今日はホテルを出て京都へ。光秀さんの首塚があると言う 京都府 京都市東山区 白川筋三条下る梅宮町475 「餅寅」と言う和菓子屋さんへ。この和菓子屋さんが管理していると言う。


京都は小路に入ると入り組んでいて石畳の小路も多い。嫌な予感が脳裏をよぎる。慎重に走ってその場所へ。やはり川沿いの一方通行でおまけに近所は粟田祭とかで人通りも多い。やっとのことで辿りついて「餅寅」さんの駐車場にバイクを止めさせてもらって見物に行く。


角の小さな土地に祠と石塔があるだけの塚、ここにさらし首になっていた光秀さんと打ち取られた明智軍の将兵の首3千人が晒されたとか。真偽のほどは定かではない。「餅寅」と言う小さな和菓子屋さんで光秀饅頭を買う。今、食ってみたが、普通の饅頭だった。


そこから西へ、大山崎の古戦場へ。京都の街を突っ切ってバイクで西へ向かう。光秀さんの本陣と言う古墳に行く。住宅街で古墳は一部残っているものの御墓と集会所が建てられていた。高台と言うが、周囲はほとんど住宅街で天王山方向は全く見通せない。看板が立っているだけで古戦場と言う雰囲気は全くない。


そこから今度は勝龍寺城へ。またまた嫌な路地ばかりで面倒だから止めようかと思っていたところに勝龍寺城前に出る。何だかミニチュアのような小さな城でこれもあっけらかんとしている。元々は郭がいくつかあってもう少し大きかったようだ。山崎の戦いに敗れた光秀さんは残兵とともにここに引いたと言うが、この規模の城ではとても持ち堪えられないと坂本城に脱出する途中、小栗栖付近で土民に打ち取られたと言う。


勝龍寺城に引いた兵は700ほどと言うので3万を超える秀吉さんの軍勢にはとても対抗できなかっただろう。勝龍寺城からも市街化で戦場を見通すことは出来ない。天王山が一部見えるだけだ。一番良く古戦場が見渡せたのは大山崎のJCT上からだが、止まって写真を取ることが出いないので見るだけで止めておいた。確かに山と川に遮られた隘路で敵を防ぐには持って来いだが、兵力量で倍以上では勝負にならないだろう。


何となく哀れを誘う光秀さんの物語を訪ねる旅はこれで終了、大山崎から430キロのバイク旅で無事に帰宅するはずだったが、御殿場と大井松田インターの間で事故で大渋滞とか。御殿場インターの手前から渋滞で通過に100分とか言うので御殿場で高速を降りて箱根を越えて帰ることにした。日が落ちて真っ暗な山の中をバイクで走るが、国道1号も箱根新道も大渋滞、やむを得ずターンパイクまで走って下って来た。


燃料はメモリ一つを残すだけで燃料が気になったが、帰宅して給油すると17リッターばかり入ったので4リッターも残っていたことになる。真っ暗な山道を右へ左へと走りまわったが、素人おっさんライダーを無事に自宅まで送り届けてくれたCB1300スーパーボルドール、大したバイクだ。2日で1千キロ強、最後の渋滞は余計だった。それにしても疲れた。

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※ 菩提寺パーキングで。縁起でもない名前だが、ちょっと一休み

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光秀さんの首塚、ささやかなものだった。

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※ 光秀さんの本陣と言う古墳、生活感が溢れてどうもそぐわない。

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※ 勝龍寺城、ミニチュアのような小さな城だった。

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※ 市街化で戦場の方は見通せない。右端が天王山、左に川が流れる。知っていれば雰囲気はある。

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※ 多賀サービスエリア、バイクも人も給油

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