例年7月の第2週末、イギリスのフェアフォード空軍基地において、世界的なエアショー「ロイヤル・インターナショナル・エアタトゥー(RIAT)」が開催されます。

 
この「エアタトゥー」はヨーロッパを中心に世界中から数百機の軍用機が集結し、飛行展示に限っても朝から晩まで8時間以上途切れることなく行われる「世界最大の軍用機エアショー」として知られます。今年も7月10日・11日に大盛況のうちに開催されましたが、今回は「エアタトゥー」史上初となる「珍客」が多くの注目を集めました。

 
その珍客とは海上自衛隊のP-1です。P-1は川崎重工製の国産哨戒機であり、現在、P-3C「オライオン」の後継として配備が進められ、まもなく実働体制に入る見込みの新鋭機。その飛行展示が今回、実施されています。また「哨戒機」とは、対潜水艦などを想定した航空機です。

 
2012年の「エアタトゥー」においては、航空自衛隊のKC-767空中給油機が自衛隊機として地上展示のみながら初参加していましたが、KC-767自体は米製のボーイング767旅客機の派生型。しかし今回のP-1は機体からエンジンまで日本製の国産機であり、しかも飛行展示を実施するという歴史的なイベントとなりました。


「エアタトゥー」は冷戦時代から続く歴史あるエアショーであり、実は主催者による自衛隊の招待は以前から行われていました。これまでずっと断り続けていた自衛隊がなぜ2012年になってKC-767を初派遣し、そして今年になって自衛隊機として初となるP-1の飛行展示に踏み切ったのでしょうか。
日本はこれまで堅持していた「武器輸出三原則」を緩和。2014年、新たに「防衛装備移転三原則」を制定し、自衛隊機として開発された航空機の輸出解禁に踏み切りました。そしてすでに海上自衛隊の新明和工業US-2救難飛行艇が、インド海軍へ導入されることが決まっています。

 
このUS-2は非武装の航空機ですが、今回は「潜水艦ハンター」である戦う航空機P-1の輸出成功を目指し、世界的なエアショーである「エアタトゥー」で“営業活動”を目的に飛行展示が行われました。


「エアタトゥー」におけるP-1営業活動の最大のターゲットは、ずばり開催国であるイギリスです。現在、イギリス海軍では次期哨戒機選定計画が進んでおり、ボーイングP-8A「ポセイドン」、ロッキードC-130MP「ハーキュリーズ」といった候補が有力であるとみられており、P-1はこれらと争うこととなります。

 
P-8Aはボーイング737旅客機を原型とした双発ジェット機で、C-130MPは輸送機を原型とした4発ターボプロップ(プロペラ)機です。いずれも数千機あまりが大量生産され高い信頼性を有しており、この点、後発のP-1は大きな不利となるでしょう。

 
しかしP-1は哨戒機専用に設計された4発ジェット機であることから、低空飛行の多い哨戒任務においてエンジンが1発停止してもまだ3発残る冗長性、そしてジェットがゆえの高い速度性能など、純粋に哨戒機として見た能力に分があります。

 
ただイギリス海軍では2011年までホーカー・シドレー「ニムロッド」4発ジェット哨戒機を運用していましたが、高コストから「ニムロッド」の性能向上計画を断念。後継機導入を待たずに早期退役してしまっています。また哨戒機としての能力は飛行性能よりも搭載されるレーダーや音響装置などミッションシステムが重要です。飛行性能の高すぎる高級機であるP-1は、逆に苦戦を強いられるかもしれません。


日本の海軍航空の始まりは、1921(大正10)年にイギリスから「センピル教育団」を招聘し、技術指導を受けたことに始まります。翌1922(大正11)年にはイギリス海軍の空母を参考にした日本初の空母「鳳翔」が完成し、さらに1923(大正12)年には「鳳翔」へ初めての着艦が行われましたが、このとき着艦に成功した三菱「一〇式艦上戦闘機」はイギリス人技師の手によって設計され、パイロットもまたイギリス人でした。

 
現在工事が進むイギリスの都市間高速鉄道計画においては、日立製の車両の導入が決まっています。日本の鉄道史も航空と同様にイギリスの技術供与から始まりました。もし日本海軍(海自)航空の結晶であるP-1哨戒機を逆に輸出することができたならば、鉄道に続き航空分野においても100年を経た良師への恩返しとなるでしょう。

 
なお余談ではありますが1941(昭和16)年、日本海軍は大恩あるイギリス海軍の戦艦を、よりによって航空機で2隻も沈めてしまいました。そして時のイギリス首相チャーチルは、「センピル教育団」を日本に派遣したまさにその時、航空相を務めていました。チャーチルは日本海軍の「お礼参り」こそが第二次世界大戦で最も憤慨した出来事だったと回想録に記しています。


明治以降、日本は英国の支援で近代化を推進してきた。太平洋戦争前も日本と同様に中国に利権を持つ英国は日本に同情的で米国のように先鋭化した反日行動はしなかった。当時の日本も頑なにならずに英国を介して和平交渉をするという手があったかもしれない。


米国はDC4という失敗作の欠陥機を日本に売りつけたが、(日本も旅客機を導入すると言って密かに爆撃機に改造するために買ったのだから似たもの同士かもしれないが、・・)英国はショート社に飛行艇を発注した日本に自国内で受注したものよりも品質のいい飛行艇を輸出するなど誠意のある対応をしてくれたそうだ。


明治以降、英国と友好関係にあった時の日本は国際社会で比較的安定した立場を占めていたというので英国は日本にとっては保護者でありお手本のような国でもあった。太平洋戦争で英国を敵として戦った日本は英国の友ではなくなったが、時代が過ぎて日本が英国に航空機を輸出しようとするのは画期的なことだと思う。


今の世界で高性能対潜哨戒機を製造できるのは日本のほかには米国くらいのもので、戦争中、米国の潜水艦に手ひどくやられた日本は、戦後米国から供与されたグラマンTBFを対潜哨戒機として運用し始めて以降、S2F、P2V7、P2J、P3Cと米国の技術を導入して対潜哨戒機を運用してきた日本は機体も装備も全て自前で開発できる能力を備えるに至った。


P-1は世界最新最強の対潜哨戒機でその能力は折り紙つきと言われるが、英国に採用になる可能性は低いだろう。それにしても日本が英国に対潜哨戒機を輸出しようとするのは時代がずい分と変わったことを思わせる。最近、英国とは兵器の共同開発の話が出ているようだが、英国は日本にとっていいパートナーだろう。また、かつてのいい関係が復活するといいのだが、・・。


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