2015年のルマンは終わった。トヨタは6位と8位だったそうだ。何と言う情けなさだ。完走すればいいと言うものじゃない。完走などもう何度もしているだろう。


あのTS020は確かに勝てはしなかった。しかし98年はサルテサーキットを支配して快走を続け、ポルシェに、「もうだめだ、トヨタには勝てない」と天を仰がせた。


99年は、1,2号車がクラッシュでリタイアした後、日本のメーカーが金を出しているから参加だけはさせてやると言うのか、信じられないようなスローペースで走らされていた3号車がにわかにペースを上げてBMWを追走し、残り20分であわや逆転するかというところまで追いつめた。もっと早くからペースを上げていれば楽に勝てただろう。


マツダは確かに優勝したが、先行するポルシェがリタイアしたことで転がり込んで来た優勝でサルテサーキットを席巻して外国車をしり目に快走した日本車は後にも先にもTS020だけだ。あの車は間違いなく当時世界最速だった。


耐久とは言っても完走すれば良いと言うものではなく最近の耐久は24時間スプリントレースのようなもので今回のように速度で劣れば上位がトラブルを起こすかリタイヤするのを待つしかない。今回のように1周で4,5秒も遅ければ走れば走るだけ置いて行かれるだけだ。とにかく最速でなければ勝てない。ゴールまでたどり着けるかどうかは技術と運だろう。


去年はトラブルで勝てなかったが、少なくともトップを走っていたのでまだ許せる。今回は全く情けないの一語に尽きる。来年は一からやり直して最強最速のマシンを作って優勝してもらいたい。まさか「トヨタハイブリッドルマンを完走」などと言う恥さらしなコピーを出さないだろうな。


ところで今日は伊豆を走って来た。走って来たとは言っても今日はバイクではなく四輪で走って来た。あまり走らないのでバッテリーが弱くなっていると言われてちょっとと距離を走って来た。


ターンパイクから伊豆スカイラインで伊東に降りて下田まで海岸線を行き、帰りは修善寺手前から伊豆スカイライン、箱根新道で戻って来た。古い車だが足はしっかりしているし、タイヤはアドバンなので山坂道はすいすいくるくるなかなか気持ちが良かった。かなりかっ飛ばしたが、無事に戻ったのでまあ良いだろう。


戻ってから二輪館にバイク用の手袋を買いに行った。手袋と肘用プロテクターを買って下のイエローハットでワックスを買って帰ったが、出る時何だかピコピコと音が聞こえた。気にもしないで帰って来てから手袋を見ると万引き防止用警報器が付いたままだった。


すぐに戻って「外せ」と言ってやったが、入る時にイエローハットの警報と二輪館の警報が鳴って店員が何事かと皆こっちを見ていた。文句を言ってやろうかと思ったが、まあ仕方がないので止めておいた。こんなこともあるんだなあ、・・・。


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