掃海母艦、掃海艦、掃海艇、掃海管制艇…。海上自衛隊が機雷掃海のために保有する艦艇は27隻に上る。米国や英国など主要国の掃海艦艇は20隻以下とされ、海自は世界有数の陣容を誇る。
「日本は高い掃海能力を持っている。掃海によって機雷を敷設することが無意味になっていく。つまり抑止力にもなる」
安倍晋三首相は昨年6月9日の参院決算委員会で、自衛隊の掃海能力について、誇らしげにこう語った。
最新鋭の「えのしま」型掃海艇は、木造船を使用してきた海自で初めて強化プラスチックを船体に使用し、耐用年数が大幅に延びた。掃海艇より大型の「やえやま」型掃海艦は潜水艦を標的とする深深度機雷の処理も行うことができる。
「うらが」型掃海母艦は旗艦として補給支援や機雷敷設などを行うほか、ヘリコプターの発着艦が可能で、掃海艇を狙った機雷を処理するためダイバー(水中処分員)を現場海域に送り届ける。「いえしま」型掃海管制艇はラジコンのような遠隔操縦式掃海具を操り、掃海艇が入れない水深の海域に敷設された機雷を処理する。
こうした総合力は、対潜水艦哨戒能力と並ぶ海自のお家芸ともいえる。昨年7月の閣議決定で集団的自衛権の行使が認められたことにより、政府は新たに可能となる活動の1つとして、停戦合意前に中東・ホルムズ海峡で行う機雷掃海活動を挙げたのも、このためだ。
自衛隊が初めて海外での任務に投入されたのも、機雷掃海活動だった。
湾岸戦争終結後の平成3年、海上自衛隊はペルシャ湾掃海派遣部隊を送り込んだ。当時はすでに他国海軍が活動しており、“遅参”した自衛隊に割り当てられた掃海区域は「最も危険で難しい場所しか残っていなかった」(海自関係者)という。過酷な条件下で海自部隊は約3カ月間に34個の機雷を無事に処分し、他国海軍から高い評価を受けた。
安倍首相が「高い掃海能力」を誇るのは、このときの経験も裏付けとなっている。ただ、防衛省関係者は「当時の海自部隊は装備面では他国に劣っていた面もあった」と指摘する。特に、水中に潜って爆雷を投下する装置にはカメラが付いておらず、水中処分員が目視で機雷を確認せざるを得なかったという。
海自が装備の遅れをカバーできたのは、先の大戦の“遺産”によるところが大きかった。
終戦当時、日本周辺海域には旧日本海軍が防御用に敷設した機雷約5万5000個のほか、米軍が敷設した約1万700個の機雷が残っていた。主要航路の掃海は昭和40年代後半まで行われ、現在も港湾工事前の磁気探査で機雷が発見されることがある。これを処理してきた海自の経験が、精密で効率的な掃海能力を培ってきた。
機関砲や爆雷投下で処分できない機雷は、生身の水中処分員が潜って機雷に爆薬を取りつける。水中処分員には体力、知力、精神力が要求され、海自の特殊部隊「特別警備隊」と同様に精鋭隊員が選ばれる。東日本大震災では「えのしま」型掃海母艦「ぶんご」に集約されたダイバーが、水中での行方不明者捜索に当たった。
ホルムズ海峡だけではなく、東アジアでも有事の際は中国などが機雷を敷設して米軍や海自の艦艇を封じ込めようとする可能性が高い。もちろん、ペルシャ湾派遣以降、海自掃海艦艇は「えのしま」型や「うらが」型などの導入により世界トップレベルとなっている。人と装備の両方を兼ね備えた海自掃海艦艇が担う役割は大きい。
日本は太平洋戦争末期、B29による主要港湾への機雷敷設で首を締め上げられた。終戦後、今度はその機雷の掃海で戦後の機雷掃海技術が始まった。そして朝鮮戦争では最前線で機雷掃海を行い、その後も戦争中の遺棄機雷等の掃海で技術をつないで来た。海上自衛隊は戦後、一貫して掃海具の国産化を図ってきたが、能力的に欧米の掃海具に及ばないとのことから一時期英仏などの掃海具を使用していたようだが、最近はまた国産のものを使用しているようだ。しかし、昔から、「足りないものは運用で補え」と常に現場力を要求されてきた。そして世界第一級の技術を蓄積してきた。こうした高い能力が抑止力と言うのは確かに一理あるだろう。そしてこの能力は時代が変わっても受け継がれ、この国の財産となって行くだろう。
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