戦艦武蔵の発見が話題となっているようだ。大和型戦艦は46センチ主砲を搭載し、米国の戦艦をアウトレンジして数的劣勢を補おうと建造された戦艦である。4隻が計画されたが、航空機の発達で海戦の様相が全く様変わりしてしまったので2隻を建造したところで4番艦は建造中止、3番艦の信濃は空母に改装された。
大和型戦艦の主砲は最大射程が41キロ、米国の戦艦の主砲の最大射程が40キロ程度なのでこれらをややアウトレンジできる。しかし、遠距離砲戦は訓練ではそれなりの命中率を得たが、実戦では思うように命中弾を得られず、苦心したようだ。自分は撃たれずに敵だけを撃とうと言うのはなかなか虫がよすぎるのかもしれない。
発射した弾丸が相手に届くまで60秒以上を要すると言うことは相手もそれだけ動くのでこれに命中させると言うのは至難の技で実際の戦闘距離は2万から3万メートル程度と思われる。発射弾数も40秒に1発程度でこれは米国の40センチ砲搭載の戦艦よりも劣っている。また制度のよい射撃レーダーを装備していないので夜間や雨天の射撃は制限される。
大和型戦艦の装甲はかなり厚く注排水装置も完備しているが、非装甲部の容積が大きすぎて大浸水で艦首部が水没するなど浸水に耐えられなかったという。また装甲はリベットで固定されているので被弾するとリベットが飛んで内部を破壊し、装甲が緩んで浸水したと言う。
実際に米国の戦艦と砲撃戦をしたらどうかと言えば、そうした例がないので不明としか言いようがない。しかし、各国の戦艦が魚雷5,6本で撃沈されているのに20本と言う魚雷を受けてもなお数時間浮いていた抗堪性と46センチ主砲から撃ち出される1.5トンの弾丸を考えれば1対1なら間違いなく勝っただろうし、2対1程度までなら相当にやれたのではないかと思う。
しかし、時代は空母と航空機による攻撃へと移っており戦艦を活用する場面はなかった。せめて戦争前半のガダルカナル島を巡る攻防戦までなら活躍の場面もあったかもしれないが、乾坤一擲の決戦用に建造された戦艦を局地戦に活用しようと言うほど日本海軍は豊かではなかった。
大和型戦艦は建造時には想定しなかった圧倒的な航空攻撃に曝され2隻とも撃沈された。武蔵は圧倒的な米軍の航空攻撃の中で20本の魚雷を受けたが、米国は少なくとも数隻の大型艦を撃沈したと誤認していたようだ。また、その戦訓を受け、片舷に攻撃を集中された大和は左舷ばかりに10本の魚雷が命中し、大浸水による傾斜を復旧できずに転覆したが、それでも極めて沈み難い戦艦として米国側も認めている。
日本海軍が国家の命運をかけて建造した大和型戦艦はその役割を果たすことなく沈んだが、戦後の造船界に大型艦建造の技術を伝えた。大和型戦艦はピラミッドや万里の長城と並んで壮大な無駄と言う見方もあるが、世界各国が新鋭戦艦の建造に血道を上げていた時代でもあり、その建造が無駄とは言い切れない。
もしも無駄と言うなら勝つ手段のない戦争をその場の勢いで始めてしまったことこそが無意味で無駄だったのであり、大和型戦艦も当時の権力者の無策無謀の犠牲者だったのかもしれない。今後も戦争で沈んだ艦船の乗組員が眠る墓標が荒らされることのないよう祈りたい。
日本ブログ村へ(↓)