米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が3日(日本時間)、太平洋戦争中に撃沈された戦艦武蔵をフィリピン中部シブヤン海の海底で発見したと、自身の投稿サイト・ツイッターで明らかにした。海中で撮影された船首とバルブの2枚の写真も掲載した。


アレン氏は資産家で海洋探査などにも出資する。ツイッターへの投稿によると、船体は潜水調査によって水深約1千メートルで見つかった。写真の一つには武蔵の船首とみられる部分が写っている。もう1枚にはバルブのハンドルが写され、「主弁取手」「開」と読み取れる漢字が刻印されている。船首の写真には3月2日撮影との表示もある。船体には水あかなどが付着している模様だが、原形をとどめている。アレン氏は艦上のほかの部分の動画もまもなく入手するとしている。



武蔵は第2次世界大戦中の1942年8月に、旧日本軍の大和型戦艦の2番艦として就役。全長263メートル、排水量6万5千トン。44年10月24日、レイテ沖海戦に向かう途中、シブヤン海で米軍機の集中攻撃を受けて沈没した。


戦艦武蔵が発見されたと言う。艦首の写真を見ると特徴あるフェアリーダーの形や菊の紋章の取り付けなど武蔵に間違いないだろう。武蔵は大和とともに戦前国力も技術も英米に劣る帝国海軍が国家の命運をかけて建造した世界最大の戦艦だったが、航空機の発達で本来の戦艦対戦艦の艦隊決戦を行うことなく、航空攻撃により撃沈された悲劇の戦艦だ。


その建造については戦後様々に取り沙汰されているが、レーダー技術の遅れ、対空兵器の劣性能、注排水装置の性能、装甲取り付け工法の欠陥など、必ずしも最新最強の戦艦ではなかったのではないかとも言われる。しかし、魚雷20本を受けてなお数時間浮いていたその抗堪性は他国の戦艦をはるかに引き離しており、建造時には想定し得なかった圧倒的な航空攻撃の前に不沈艦ではなかったものの極めて沈没し難い戦艦であったことを身を以って証明した。


貧乏国日本がつめに火を点す思いで建造した戦艦も運用には膨大な燃料を必要とすることや使い惜しみと時代の変化で期待されたその役割を果たすことなく沈んで行ったが、二度と帰れぬ船出と分かって出撃して行った大和と武蔵、今は海底に眠るこの二隻の戦艦は我々に何を伝えようとしているのだろうか。



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