1982年11月4日、浜松基地の航空祭で航空自衛隊のブルーインバルスのT2が市街地に墜落して大惨事となった。事故が起きたのは下向き空中散開という曲技飛行中だった。
これは6機のT2が急上昇後、垂直降下して下向きに空中で散開してユリの花のような航跡を描くという曲技だそうだ。墜落したのは4番機でこの機体は編隊長機の直後に位置し、散開するにはまず180度のロールを打ってその後に編隊長機とは逆の方向に散開するという難しい位置にあった。
6機の編隊は急上昇後に垂直降下に移ったが、編隊長の「ブレイク・レディ、ナウ」の号令がほんの数秒遅れたそうだ。散開した高度は通常よりも600メーターほど低く、その高度で散開すると4番機は上昇できず地上に激突することになるという。事故の原因は編隊長の号令が遅れたことだった。
他の搭乗員は号令が遅れたことからやめろと叫んだが、4番機は号令で散開を始めた。180度のロールを終えて引き起こしにかかった時はもうすでに機体が上昇することはなかった。他の隊員の「引っ張れ」という絶叫で機首は上を向いたが、下向きの慣性力の方が強く機体は機首を上げたまま尾部から地上に激突して爆発した。
後日、事故を映した動画を見ると4番機は通常よりもゆっくりとロールして通常のコースよりも30度ほど東方向に飛行して住宅地の中の駐車場に墜落したという。どうしてそんなことになったのかと言うと搭乗員が亡くなっているのでこれは想像にしか過ぎないそうだが、4番機の搭乗員は「ナウ」の編隊長の号令でロールを打ったが、行く手を見て、「もうこれは引き起こせない」と悟ったのではないかと言う。
そして本来のコースの先には東名高速が走っている。そこに落ちたら高速を走る車を巻き込んで大惨事になる。それで30度ほど東の空き地に機体を向けて引き起こそうとしたのではないかと言う。そんなことが瞬時に判断できるのかと思うが、一流の搭乗員は行く手を見れば瞬時にその先の自機のコースを読むことができるという。
引き起こせないのならそのまま地上に突っ込む方が被害は少なくて済むが、搭乗員も人間、1%でも生存の可能性があればそれに賭けたのだろう。それは生物としての自己保存本能でそれを非難することは誰にもできない。
日本人と言うのは普段は超他力本願でそれぞれ勝手なことばかり言って主体性がなく親方日の丸的な民族だが、いざという時になるととんでもない自己犠牲精神を発揮して集団に尽くす。
東日本大震災でも、最後まで住民に避難を呼び掛けて津波に飲まれた村役場の若い女性職員、行けば死ぬのは分かっていても住民を避難させるために港に向かって帰らなかった警察官や消防団員、そんな例は枚挙にいとまがないほどある。誰も街のどこにでもいる普通の人たちで特別な人間ではない。
そうした市井の一般人が難局に臨むと突然とてもまねのできないような行動をとる英雄になる。沈没しかかった船から乗客を残して逃げ出すような人間は誰もいない。韓国にも最後まで乗客を誘導して亡くなった女性乗組員がいたそうだがたった一人だ。危機に瀕して乗客を放り出して逃げ出した乗組員など日本にはほとんど例がないだろう。
太平洋戦争でも日本兵は絶望的な戦闘に最後まで抵抗して全滅した。これは戦陣訓で捕虜になるのは一世一代の恥と教育されていたからと言うが、そんなことをしなくても日本人は最後まで戦ったと思う。
責任感が強いというのか集団のために自己を犠牲にするDNAが脈々と流れているのか、日本人と言う民族は危機に瀕すると恐るべき力を発揮して危機を跳ね返す。それは誰から言われたことでもない。自発的にそうした行動をとる。普段の日本人を見ていると、「この国はもうダメじゃねえのか」と思うが、こうした危機に瀕した時の日本人の行動を見ていると、「もしかしたらこの国は何があっても跳ね返して存続して行くんじゃないか」と思う。
普段は何だか頼りない日本人だが、自分を犠牲にしても集団に尽くし、これを救おうとするDNAが過去から未来に向けて日本人の血に脈々と受け継がれているのかもしれない。危難に際して何のためらいもなくそうした自己犠牲行動をとる日本人を見ていると、「この国は結構何とかなるんじゃないか」とこの日本国をちょっと誇らしく思う時がある。
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