2月9日投開票された東京都知事選には、国民的人気を誇った元首相、小泉純一郎氏の支援で「原発即ゼロ」を旗印にした細川護煕氏が出馬、政治史上初の元首相の知事選挑戦に関心が集まった。だが「元首相連合」は約95万票で3位。当選した元厚生労働相の舛添要一氏(約211万票)の半分未満で、政治経験のない元日弁連会長の宇都宮健児氏(約98万票)にすら届かなかった。なぜ、元最高権力者は惨敗したのか。選挙戦現場から、改めて捉えてみたい。
■「原発以外は誰がやっても変わりない」
2月4日午後、JR蒲田駅前。強い風雨の中、細川氏は小泉氏の応援演説なしに1人で看板政策「原発即ゼロ」を訴えていた。演説を聞いた60代女性は「細川氏に入れよう。原発ゼロは大事」とうなずく。ただ、こうも付け加えた。
「でも、具体策がちょっとないね…」
2月4日午後、JR蒲田駅前。強い風雨の中、細川氏は小泉氏の応援演説なしに1人で看板政策「原発即ゼロ」を訴えていた。演説を聞いた60代女性は「細川氏に入れよう。原発ゼロは大事」とうなずく。ただ、こうも付け加えた。
「でも、具体策がちょっとないね…」
「どんな素晴らしいプランでも、誰が、何を、どういう方法で、どれだけのコストをかけ、いつまでにやるのか示す必要がある」。細川氏はこう語ったが、原発即ゼロ実現策の具体化は「専門家によるエネルギー戦略会議で」「首都大学東京で」と繰り返し、自然再生エネルギー比率の目標など大きな方向性も示さなかった。“同志”の小泉氏は「1人で代案を出せ、という方が無責任。代案は出さない」と言い放った。
有権者の関心は雇用や福祉に集中したが、細川氏は「原発の話は命に関わる」と強調するあまり、「荒っぽいが」と前置きしつつ、こう言い切ることもあった。「原発以外は誰がやっても変わりない。お金で解決できる」
脱原発を願うからこそ具体的処方箋を期待し、また身近な都政課題への手立ても求める有権者と、その複雑な期待の機微に気づかぬ細川氏。その溝は、最後まで埋まらなかった。
■街頭演説の大半は「午後からスタート」
陣営が自信を持っていたのは街頭での聴衆の数だ。
「動員していないのに7000人集まった」「きょうは1万人」。陣営幹部は街頭の熱気を強調した。確かに、聴衆の数は他候補を圧倒したかもしれない。
都知事選は「日本最大の小選挙区」とも言われる。島から山まで、62区市町村に散らばる約1080万人の有権者に、くまなく訴えを伝えなければならない。
陣営が自信を持っていたのは街頭での聴衆の数だ。
「動員していないのに7000人集まった」「きょうは1万人」。陣営幹部は街頭の熱気を強調した。確かに、聴衆の数は他候補を圧倒したかもしれない。
都知事選は「日本最大の小選挙区」とも言われる。島から山まで、62区市町村に散らばる約1080万人の有権者に、くまなく訴えを伝えなければならない。
だが、細川氏は渋谷駅前をはじめ、大きな駅前や繁華街ばかりを演説場所に選んだ。他候補が「殿様選挙だ」と皮肉ったように、大半の日は午後の始動で、午前中の演説は17日間で3回のみ。他候補が1日に10回以上こなす日もある中、終盤でも最大5回、総計で約50回にとどまり、23区も回りきれなかった。舛添氏は23区と多摩地域20市以上で、計130回を超えた。
「周辺の無関心な人にも届く工夫をしなければ」。宇都宮氏は、前回選の反省から今選挙戦でこう語っていた。群集の輪の外側から静かに耳を傾けるような、支持者以外の有権者を説得するには、細川氏の説明は丁寧さに欠けたといえる。
■浮世離れした「殿」の戦略 選対事務局長も交代
細川陣営の戦略には当初から、どこか“浮世離れ”した感覚があった。
細川陣営の戦略には当初から、どこか“浮世離れ”した感覚があった。
「殿、出番です!」。細川氏が出馬の意向を小泉氏と示した翌日の1月15日。真っ黒な背景に細川、小泉両氏の写真とキャッチコピーだけをあしらったホームページが登場した。アドレスは「tokyo-tonosama.com」。開設を知らない関係者は報道機関に「偽物」と返答し、ドクター・中松氏は自身のホームページを「直参旗本、出番です!」と更新するなど、“いじられ”対象となる始末だった。
公示後に「殿、本番です!」に変える構想もあったとか。選対幹部は「アクセス数は上がった。成功」と語るが、“話題を集めただけ”ともいえる。
なぜなら肝心の政策掲載が、正式出馬会見の22日夜まで遅れたからだ。別の幹部は「発表を急ぐ必要はない」とし、細川氏は討論会を「めちゃくちゃな議論になる」などと拒否。有権者に何のメッセージもないまま1週間、「殿様」だけがさらされ続けた。満を持して出された政策も冒頭のように、多くの有権者を満足させたとは言い難かった。
ちぐはぐぶりは告示後も続き、選対スタッフは人ごとのように「警備が厳しく、なかなか有権者と握手できない」と愚痴る。「出遅れた候補」の必死さは感じられなかった。事務所には、空いた椅子も目立った。
空気が変わったのは1月28日。この日、選挙事務所を訪れた細川氏の妻、佳代子氏はこう口を開いた。
「新しい方と古い仲間、いろいろありましたが、一致団結し、きょうが選挙戦の出発です」
出馬表明を準備した「新しい方」の馬渡龍治・元自民党衆院議員が選対事務局長を解かれ、日本新党立ち上げから細川氏を支えた側近、金成洋治氏が後任に据えられたのだった。
海江田万里代表自身がポスター貼りなどの下請けを宣言した“組織的勝手連”の民主党への態度も二転三転した。都議らは当初「23区は間に合っている」と多摩地区だけ貼り出しを求められたが告示直前、23区にも要請が。それでも「団体支援お断り」の建前で事務所出入りが禁じられ、29日に細川氏が「出入りしていただければ」とようやく“許可”。元都議が連絡役に入るなどし始めた。
■豪華な応援弁士も“もったいない”扱いに
それでも、統率がとれたわけではなかった。1月31日。細川氏は国会前での毎週金曜日の脱原発デモに現れた。主張と共感を伝える好機。だが、マイクなしで叫んだのみで、小泉氏と数分で退去した。話題化はされず、マイクで脱原発への思いを語っていた宇都宮氏との差が、引き立つばかりとなってしまった。
それでも、統率がとれたわけではなかった。1月31日。細川氏は国会前での毎週金曜日の脱原発デモに現れた。主張と共感を伝える好機。だが、マイクなしで叫んだのみで、小泉氏と数分で退去した。話題化はされず、マイクで脱原発への思いを語っていた宇都宮氏との差が、引き立つばかりとなってしまった。
「もったいない。勝手連と、取り巻きとの間に溝があった」と語るのは民主都議。スピーカー音量が小さいとの指摘にすら、素早い反応がなかったという。「基本すらできていないのでは」とため息をついた。
応援弁士の処遇も“もったいない”ものだった。菅原文太さん、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、湯川れい子さん、桜井勝延・福島県南相馬市長ら、そうそうたる面々がマイクを握ったが、細川氏とは別の選挙カー。本人は小泉氏と2人か、単身での演説にこだわった。理由は「おふたりの好み」(選対幹部)。だが劣勢が続き、2月に入って菅原さんらとも始めた。
名前と顔写真だけのポスターを「原発ゼロでオリンピックを」との文言入りへと貼り替えだしたのは、投票日直前の5日だった。
■「脱原発」候補一本化問題もしこり
舛添氏当確報道から約40分後の9日午後8時40分すぎ。細川氏は準備していたかのように紙を読み、敗戦の弁を語った。敗因は「脱原発が争点としてなかなか取り上げられなかった」。だが産経新聞の世論調査でも、脱原発など国政課題の争点化を「納得できる」としていた人は計6割超に上る。当日の複数の主要紙の見出しも「原発争点」とあり、細川氏の弁は“有権者が取り上げてくれなかった”とも聞こえた。
舛添氏当確報道から約40分後の9日午後8時40分すぎ。細川氏は準備していたかのように紙を読み、敗戦の弁を語った。敗因は「脱原発が争点としてなかなか取り上げられなかった」。だが産経新聞の世論調査でも、脱原発など国政課題の争点化を「納得できる」としていた人は計6割超に上る。当日の複数の主要紙の見出しも「原発争点」とあり、細川氏の弁は“有権者が取り上げてくれなかった”とも聞こえた。
そもそも今回は「東京都」という一自治体の首長を決める選挙。出口調査で原発・エネルギー問題に関心を示した人でも、投票先は細川、宇都宮、舛添各氏などに分かれていた。
にも関わらず、細川氏が自身と宇都宮氏の票を「脱原発票」と規定したことで、ネット上などでは逆に、それ以外が「原発推進票」とみなされる事態も生んだ。当初は宇都宮氏支持だった識者らが“勝てる反原発候補”として、「細川氏一本化、宇都宮氏辞退」を求めた経緯も、双方の支持者間にしこりを残した。
9日夜、小泉氏は「『原発ゼロ』の国造り目指して努力を続ける」とのコメントを出した。が、ツイッターは「閉じさせていただきます」と止まったまま。細川氏のツイッターも14日現在、「選挙が終わった時から、今回一緒に立ちあがっていただいた志を同じくする方々と広く連携し、脱原発の活動をこれからも次の世代につなげていく」との敗戦の弁を紹介した10日のつぶやきが最後だ。
出馬決意にあたり「勝ち負けではない」と語ったという細川氏。その「大敗」が残したものは、大きい。
あれこれ理由をつけても、何もできなかった細川護煕とこれも何もできなかった国賊民主党がくっついて何かが出来るなんて思う方がおかしい。小泉も脱原発をアピールできればよかったので細川が当選しようがしまいがどうでも良かったのだろう。大体、地方首長選でどうして脱原発なのか。穏やかで豊かな生活とでも題打ってその中に原子力に依存しないエネルギー政策とでも入れるのが妥当なところではないだろうか。まあ、考えなしで担がれてその気になったのだろうが、最後の最後まで愚かしい限りだ。要するに所詮は、「バカ殿様」だということだろう。
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