終戦記念日は過ぎてしまったが、太平洋戦争のような一分の勝ちもないような戦争を始めたことは返す返すも残念だ。日米は戦うべき運命にあったという意見もあるが戦争を避ける方法もあったはずでもう少し深く考えるべきだったと思う。そう言うところは日本人は短気で短絡的に過ぎると思う。外交に関してはもっと強かでしなやかな思考があってしかるべきだろう。
 
 
しかし、その戦争で戦った日本人は比類ないほどの勤勉さであの戦を戦い抜いた。結果としては完膚なきまでに叩きのめされて敗れたが、それは当時の戦を戦った日本人の責任ではないだろう。あの戦争は太平洋の覇権をかけた日米の戦だった。開戦当初は戦力にしても兵器の技術にしても哲学としては違いはあっただろうが、ほぼ互角でさほどの差はなかった。戦いに備えて準備万端整えていた日本の方が確実に上だっただろう。
 
 
しかし、その優位も開戦1年程度でその後は技術的なレベルも物量も差が開く一方で最後は圧倒的な米軍の前に手も足も出ないという状況になってしまった。そうした圧倒的な技術力、物量の差があっても日本人は比類のない勤勉さで戦いに臨んで米軍に痛撃を与えた。昭和20年、ビルマ方面で当時はほとんど兵器としての能力を失っていた94式37mm速射砲1門を使って英軍のM3戦車5両を擱坐させるという戦果を挙げた。この戦では至近距離で戦車の側面を狙っても装甲を貫通できないので連続射撃で内部の破壊を狙ったり蝶番を狙って射撃したりしたという。同様に日本人は比類なき勤勉さと忠実さで太平洋方面の島嶼戦でも圧倒的な米軍に常に痛撃を与えて米軍を震え上がらせた。
 
 
こうした悲しいまでの忠実さ、勤勉さと器用さは日本人の特徴だった。劣った兵器を器用に使いこなし相手に痛撃を与えるのは日本人の十八番と言っても良い。他に例を見ない勇戦敢闘ぶりだが日本人が他に抜きん出て勇猛果敢だったと言うよりも命令に対してきわめて忠実で責任感が旺盛だったということに他ならない。
 
 
最近は日本人のこの勤勉さも忠実さも失われてしまったのかと思っていたが、東日本大震災では災害復旧に力を尽くす日本人にかつて連合軍を震え上がらせた日本人の勤勉さ、忠実さを見たように思った。それを見ていて血は脈々と受け継がれているのだなと感心した。戦争は彼方に忘れ去られていくが日本人の血は決して失われることなく受け継がれていく。これが無謀な戦で命を落とした人たちへの供養となることを祈りたい。
 
 
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