民主党は2日、小沢一郎元代表らが離党を表明したことで、96年の結党以来初めて本格的な分裂を経験することになった。元代表は03年9月、自由党を解党して民主党に合流したが、約9年で離党する事態に至った。消費増税法案をめぐる党内対立はひとまず峠を越すが、党には元代表が打ち出した09年衆院選マニフェストの総括が課題として残された。
96年9月、新党さきがけに所属していた鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相らが「官僚依存からの決別」を掲げて民主党を旗揚げ。これを母体に旧民政など4党が98年合流して今の民主党となった。しかし現在に至るまで党には綱領もなく、「寄り合い所帯」との指摘が絶えず付いて回ることになった。
民主党は、自民党の小泉純一郎政権下で党勢の伸長に苦しんだが、続く安倍晋三政権時代の07年夏の参院選が転機となった。小沢元代表は「国民の生活が第一」のスローガンを掲げ、60議席を獲得。非改選の議席と合わせて勢力を109議席に伸ばし、参院第1党に躍り出た。
民主党は与野党の勢力が衆参両院で異なる「ねじれ国会」を背景に安倍政権を翻弄(ほんろう)し続ける。元代表は、安倍氏の後を継いだ福田康夫首相との間で民主、自民両党の大連立構想を進めようとしたが、民主党内の反発で頓挫した。
自民党はその後も、ねじれ国会にあえぎ、政策決定がもたつくなか、民主党は、麻生太郎政権当時の09年8月の衆院選で308議席を獲得。戦後初の本格的な政権交代を果たし翌月、鳩山氏は首相に就き、元代表は幹事長に起用された。
10年1月、元代表の秘書だった石川知裕衆院議員ら3人が政治資金規正法違反容疑で逮捕される事件が起きる。野党は元代表に対して国会での説明を求めたが、「司法当局が捜査中だ」と突っぱね続ける。不起訴処分になり捜査が一段落しても「捜査で結論が出た」との理由で説明することはなかった。
民主党も元代表の処分を先送りし続けた。元代表に近い鳩山氏や、輿石東幹事長がけん制したためだった。結局、党員資格停止処分が決まったのは菅政権下の11年2月。民主党の対応の甘さを浮き彫りにした。
民主党は菅政権当時の10年7月、参院選で大敗。衆参両院のねじれ状態を再び招いた。元代表は、菅政権に対し「唐突な『消費税10%』発言が敗北の原因だ」と批判。10年9月の代表選に自ら出馬した。菅氏と党内を二分する激戦を展開したが、敗北。党内で政権の批判勢力となる「党中党」の様相を強めた。
11年6月には、野党提出の菅内閣不信任決議案への賛成を視野に、自らのグループの結束を確認するなど、菅政権を揺さぶり続けた。11年8月の代表選で、元代表は海江田万里氏を支援したが、野田佳彦首相に敗れた。首相は消費増税法案に「政治生命を懸ける」と訴え、元代表との妥協を否定。元代表は政権批判勢力となり、党内で摩擦を生み続けた。
政権欲しさに理念も政策もなく寄り集まった集団がとうとう分裂した。どの道こんないい加減な政党は分裂してくれないと日本のためにならない。この政党のためにどれほど日本の国益が損なわれたことか、その損失は計り知れない。政治などとは程遠いパフォーマンスや一発芸に終始しては日本を混乱の極みに陥れたその罪は万死に値する。小沢新党ももう先はないだろうが、残りも総選挙で崩壊して消えてなくなっていただきたい。
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