「あのね、最後にもう一つわがままを言わせてもらってもいいかしら。私、仕事を辞めさせてほしいの。今まで長い間本当によくしてもらってありがたいと思うけど今度この人と一緒に仕事をして行くことにしたの。だから、・・・。本当に迷惑ばかりかけてごめんね。」
仕事を辞めることも特に慰留はしなかった。それも個人の生き方の問題だから敢えて口を出すことでもなかった。また、テキエディがいなくなると仕事に支障が生じるということもなかった。テキエディは荷物を整理すると例の男と一緒に二人で出て行った。ああ、それからどうでもいいことだけど、今日は二人でテキエディのアパートに泊まるそうだ。
「あーあ、行っちゃったわねえ。」
二人を見送った後で女土方がため息交じりにそう言った。僕にしてみれば手数もかからす穏やかに落ち着いたことで良しとしておこうという気持ちもあったが、あいつ等いったい何を考えているんだろうという気持ちがぬぐえなかった。女土方にしてみても思いは同じだったに違いない。
「大丈夫かなあ、あの二人、またもめたりしないでしょうね。」
クレヨンがひょっこりとまともなことを言った。
「そうね、でもこの先二人がどうなっても私たちにはどうしようもないわ。せめてうまく行くと良いと思う程度ね。それ以上は何も思うことはないわ。」
「本当に冷たい人ね、あなたって。ずっと一緒に生きてきたのに。仕事も生活も。」
「生活って言ったって職場での生活だけでしょう。それ以上は何もないわ。それに男と女の間のことは他人には理解はできないものがあるのよ。もっともあんたも一時は男をとっかえひっかえしていたからあの子と相通じるものがあるのかもしれないけどね。」
「ほらほら、ここでもめないのよ、二人とも。まあいいじゃない。穏やかに収まったんだから。私には分からない世界だけどいろいろあるんでしょう。男女の間って。さあ、お風呂に入って明日の支度をしましょう。明日は仕事だし、もう時間も遅いわ。」
女土方の一言で僕たちは今を引き上げて部屋に戻ったが何時もの通りクレヨンは僕たちの部屋に居候することになった。何となく女土方と二人きりになりたい気分だったが、まあいいか。今日はこいつでも抱いて寝てやろう。
翌日、僕らが出勤するとテキエディはもう出勤していて僕たちを待っていた。
「早いのね、今日は」
僕がテキエディに声をかけた。
「辞表を持って来たの。正規社員じゃないけどけじめだから。」
テキエディは封筒を僕に差し出した。
「分かったわ、じゃあ伊藤さんに話してもらうわ。」
僕は受け取った封筒を女土方に手渡そうとした。
「一緒に社長のところに行きましょう。でもまだ時間が早いからちょっと待っていてね。」
女土方は封筒は受け取らずにそのまま自分の席に着いた。テキエディの辞表は僕の手に残ってしまった。
しばらくの間、テキエディは自分の机の中を整理したり掃除をしたりしていたが、そのうちに席に座り込むと感慨深げに部屋の中を見回し始めた。
まあ何だかんだ言っても住み慣れた場所を離れるという感慨はあるのだろう。そんなことをしているうちに社長の出勤を示すランプが点いた。そこで僕は北の政所様に電話を入れてテキエディが退職のあいさつに来ていることを告げた。実は昨日のうちに社長にはメールを入れてこのことを知らせておいたのだった。
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