近代的な双発攻撃機としてデビューした九六式陸攻の後を継いで登場したのが、「一式陸上攻撃機」だった。この攻撃機は大馬力の火星を装備し、速力の向上を図るとともに大航続力、武装の強化、軽快な運動性など96式陸攻を大きく超える性能を持つ機体として完成した。
海軍の性能要求に対し、メーカーの三菱は、要求性能を充足させたうえで十分な防弾装備を施した機体として三発もしくは四発機とすることを逆提案したものの、拒否されて実現はしなかった。当時の日本の生産能力などを考えると双発、4発、どちらが良かったのか、議論が分かれるところだが、金星4発という設計もなかなか面白かったかもしれない。
一式陸攻は大航続距離を得るために主翼にインテグラルタンクを採用したことから、このタンクを防弾することが出来ず、太平洋戦争でと甚大な被害を受けたというのが定説になっている。その分、昭和18年頃から、二酸化炭素消火装置を装備し始めた。これがさらに進化して自動消火装置へと発展し、それなりの効果を上げていたという。しかし、悪化する戦況で被害は増加し続けたために三四型では、主翼を新型翼に変更し、インテグラルタンクを廃止して自動防漏タンクを装備したが、質の良い生ゴムの入手が困難となって60機程度の生産で量産を終了している。
一式陸攻の太い胴体はなかなか使い勝手が良さそうで戦争初期には台湾からフィリピンのアメリカ陸軍航空基地を攻撃し、米軍の航空兵力を壊滅させ、マレー沖でイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈するなど大活躍しているが、南太平洋方面の対連合軍作戦では、基本構造の問題に起因する防弾性能の低さから、被害が増大するようになった。
それでも、それなりの数の護衛戦闘機をつけた高高度爆撃ではさほどの被害は出していないが、艦船に対する雷撃では大きな被害を被っている。日本海軍は二式大型飛行艇にまで雷撃をさせようとしたようだが、相手が駒を取りに来なければ妙手だったが、基本的に鈍重なこの手の大型機に雷撃をさせることには大いに疑問を感じざるを得ない。
一式陸攻は、「ワンショットライター」と言われたようだが、ガダルカナルやポートモレスビーなどの陸上目標に対する高高度での爆撃ではさほどの大きな損害は出してはいないようだ。武装もそれなりに強力で落としにくい爆撃機と言う米国パイロットの証言もあるようだ。
艦船攻撃時は30%から60%とという大きな損害を出しているが、このような大型機を低空で艦船攻撃に使用すること自体が問題で必ずしも機体そのものの責任ばかりではないようだ。戦争後半にはもうこんな大型機が活躍するような場面がなくなっていて、どんな機体でも出て行けば寄ってたかってなぶり殺し状態だったので被害が増加したとしてもそれはこの機体のせいではないだろう。
元々海軍はたった1回の艦隊決戦に勝利するために犠牲をいとわないという体質があったようで、そうすると防弾を軽視しても航続距離を得ようとしたこの機体の設計やそんな大型機を雷撃に使用しようとした戦術も納得のいくものがある。1個飛行隊が全滅しても戦艦1隻を戦列外に葬ってくれればそれで良しとしたのかもしれない。そうした思想で設計されたこの機体が大規模消耗戦を戦わなければならなくなったこと自体が一式陸攻の悲劇だったのかもしれない。
一式陸攻が4発爆撃機として設計生産されていたらこの機体の運命も変わっていたかもしれない。少なくともB17程度の性能を持つ爆撃機として活躍しただろうが、米国とは生産力がけた違いなので何百機という大編隊を組んでの戦略爆撃などと言うことは夢物語だっただろう。出来うることならもう少し頑丈でもう少し爆弾搭載量が大きく、そして防弾装備を完備した爆撃機として誕生していたらとも思うが、そうするともっと馬力が必要になるので4発と言うことになったのだろう。
海軍はその4発爆撃機にも低空雷撃をさせて大きな損害を被っていたかもしれない。艦隊決戦と言う呪縛にとらわれた海軍は戦術的には陸軍よりも頑迷な部分があったようだ。一式陸攻はどう生まれようとその艦隊決戦の呪縛から逃れることはできなかったのかもしれない。
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