日本海軍の標準的な対空火器は89式12.7センチ高角砲と96式25mm機銃だった。高角砲は新しくもないが、発射速度が大きく操縦性も良く命中精度も高かったため使用実績は良好だったようだ。また、対空戦闘だけでなく対水上艦戦闘においても高い評価を得ていたので、この砲を両用砲としてもっと積極的に使えば良かったという意見も多かったようだ。
 
96式25mm機銃はあまり評価は高くない。威力不足という意見が多いようだ。弾倉を用いて給弾する方式も持続射撃が困難という意見が多かったようだ。それに加えて射撃指揮装置の能力不足もあったようだ。しかし、米軍の反攻作戦が開始されると、南方の島嶼戦ではこれらの機銃を対地上用に転用し、LTVや上陸用舟艇などへの射撃に用いられ、戦果をあげたという。弾速900m、口径25mmの機銃弾で軽装甲車両に有効なほど威力があるということは飛行機は重装甲と言うはずはないので威力不足というのは当たらないだろう。
 
高角砲の射撃式装置は94式高射指揮装置、25mm機銃には九五式機銃射撃指揮装置が使用された。いずれも光学測距儀と機械式計算機を組み合わせたものだが、これらの射撃式装置は機速200キロ程度の航空機を対象に設計されたもので太平洋戦争時の飛行機の速度はこれらの指揮装置の限界を超えていたのだから効果が上がらないのもやむを得ないだろう。
 
また、大戦末期に多くの艦艇に増設された25mm機銃は、米軍がレーダーや射撃指揮装置による射撃システムを構築して行ったのとは対照的に日本海軍では銃側の環式の簡易照準器でシステムとしての運用を放棄し、個人の技能へ依存する方式へと移行して行ったようだから差が開く一方だったのかもしれない。
 
こうして書いていると砲熕兵器も電波兵器も音波兵器も航空機も艦船も何もかもが劣っていてどうして戦争など始めたのかと思ってしまうが、対空兵器もその通りのようだ。艦船が航空機に抗し得ないというのは史実だが、それにしても日本の軍艦が多くの米軍機を撃墜したという話はあまり聞かない。唯一例外は、エンガノ岬沖海戦で、戦艦伊勢と日向がそれぞれ50機程度の米軍機を撃墜して無事に帰還したことくらいだろうか。実際にはもっと少ないのだろうが。沖縄特攻時の第2艦隊などはたったの10機しか撃墜できなかったというが、攻撃を終えた米軍機を映したフィルムでは機体や翼に大穴が開いている機体が映っているので米軍機がタフなことも原因だったのかもしれない。
 
終わったことだからあれこれ言っても仕方がないのだが、戦争末期の日本の艦艇はハリネズミのように機銃を装備しているので重い機銃で無闇に航空機を追いかけることなく射撃する範囲分担を決めておいてそこに入ってきた航空機だけを一定の距離で射撃すれば高度な指揮装置がなくても効果があったのではないか。攻撃する航空機は必ず目標の艦船の上を通過するのだからその航路に弾丸を流し続けていれば必ず命中するだろう。そのためには弾倉による給弾ではなくベルトまたはボフォースの40mm機銃のような落とし込み給弾である必要があるのだろうが。
 
日本の射撃指揮装置は旧式で仮に日本に近接信管があったとしても効果を上げ得なかっただろうという説もあるようだ。砲自体はそれほど劣っていたわけでもなさそうなので指揮装置が優秀であるか、射撃の方法を工夫すればもう少し効果を上げることが出来ただろう。砲戦には血道を上げていた日本海軍だが対空戦にはさほど熱心ではなかったようだから。
 
○ 高角砲と機銃の間を埋める中口径砲の採用
○ 対空射撃方法の研究
○ 機銃の給弾方法の改良
 
これだけでもずい分と効果が上がったのではないだろうか。そう言えば航空機用の25mm機銃を試作していたようだが、威力不足ということで新たに30mm機銃を開発したそうだ。米軍の航空機は重防御だったようだが、それにしても過大評価ではないだろうか。
 
それでもこの25mm機銃は戦争中に33,000門も量産されたというから大したものだ。これだけ量産するのならせめて給弾方式くらいは改良しても良かったのではないだろうか。鍛えに鍛えた艦隊を洋上狭しと駆って艦隊決戦と意気込んでいたのに戦争の様相がすっかり変わってしまってこんなはずじゃなかったと力んでいるうちに対応が後追いになってしまったというところだろうか。最近の中口径砲やCIWSなどを見ているとこんなものがあれば大和もむざむざ撃沈されなかっただろうと思うことがあるが、沖縄まで行き着いても待っている結果は同じだっただろう。
 
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