帝国陸海軍は戦時中お互いに雲霞のように軍用機を試作しまくっていた。しかし、日本は資源・生産力などの国力がないのだからもう少し機種を統一できなかったものか。例えば零戦と隼、どちらも同じ性格の侵攻戦闘機でエンジンも同じ栄だから陸軍が零戦を使っても良かったのではないだろうか。そうすればもっと量産効率が上がっただろうし、その分別の機体も開発が可能だったのではないだろうか。
逆に迎撃機は陸軍が開発したものを海軍が使えば良かったのではないだろうか。二式単座戦闘機「鍾馗」は格闘戦に慣れ切った熟練パイロットには不評だったようだが、当時としては高速で急降下速度も大きくなかなか良い戦闘機だったようだ。海軍は雷電で手こずって次期艦上戦闘機の試作が遅れたが、同じような機体をそれぞれ別に開発することなく、海軍が「鍾馗」を使ってみても良かったのではないだろうか。
それからBf110に刺激されて試作した陸軍の「屠龍」と海軍の「月光」だが、あんな大型機に零銭並みの格闘性能を要求したりして失敗したが、あれも単座でできるだけ小型な機体として速度と上昇力に賭けたらそれなりにいい迎撃機になったんじゃないだろうか。それもどちらか一機種でいいんだが。
地上攻撃や誘導で複座が必要なら単座から改造すればいいことだろう。あのクラスの機体なら地上攻撃用にすれば250キロ爆弾を2発くらいは搭載出来たんじゃないだろうか。そうすると99式双軽爆撃機などは要らなくなるのでその分大きな爆撃機も開発出来たんじゃないだろうか。日本は機体の規模の割に人を多く載せているが、少ない人数で小型化できるならそれに越したことはなかっただろう。
艦上攻撃機・急降下爆撃機は海軍で必要だろうが、急降下爆撃機などは陸軍の直協としても使用することが出来ただろう。大型爆撃機と言っても日本のそれはせいぜい中型程度だろうが、これも共用は可能だっただろう。航続距離に大きな隔たりがあっただろうが、その辺はタンクを増設できるようにすればいいことだ。
それから雷撃能力などと海軍が中攻に雷撃能力などを求めなければことはもっと簡単だっただろう。もっとも二式大型飛行艇にも雷撃能力を求めたのだから無理なことだろうか。しかし、四式重爆撃機は雷撃も出来たのだからやれば何とかなっただろう。それよりももう少し爆弾搭載量を増やせなかったものだろうか。要求仕様の問題だが、2、3トンはいけたんじゃないだろうか。もっとも陸軍はあまり戦略爆撃と言うことを考えてはいなかったようだが、それならば屠龍程度の機体で十分だっただろう。
そうして共用化を進めたら海軍の戦闘機は零戦とその後継で2機種、陸軍も鍾馗とその後継で2機種程度、双発迎撃・襲撃機はこれも2機種程度、中攻も2機種、その他に海軍は艦上攻撃機2機種、急降下爆撃機2機種、水上機2,3機種、陸軍は偵察・襲撃機2機種程度、そんなもので間に合ったんじゃないだろうか。
戦争後期には100式司令部偵察機を海軍が借用したり、四式重爆を海軍が使ったりしていたし、それなりにロケット機や特攻機などは共同開発していたのだから、背に腹は代えられないとは言っても、共有化や共同開発も最初からやる気になれば出来ただろう。やらなかったのは仕様の問題もあるだろうが、一番大きな理由はやはり予算だろう。お前のところとは仕様が合わないから独自に開発する必要があるというのが、大義名分で予算を削られるのが嫌だったのだろう。
そうして共用化や共同開発を行っていれば企業側もずい分と余裕が出来て開発も却って進んだのではないだろうか。生産や資材、人材などにも余裕が出来、良いものが作れただろうし、量産効果も上がっただろう。仲が悪いとは言っても国家の命運をかけた大戦争を戦うのに陸海軍がお互いにそっぽを向いて戦うというのもずい分とふざけた話だ。資源も少なく生産力も小さい国が陸軍と海軍で人材や資材を奪い合い、いがみ合っていたのでは勝てる戦争も勝てなくなるのは道理だろう。もっとも出来る限り合理化・共用化を推進したとしてもあの戦争を勝利する可能性はなかったのだが。
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