太平洋戦争開戦時、日本海軍は10隻の戦艦を保有していた。長門型2隻・伊勢・扶桑型4隻・金剛型4隻で開戦後に大和・武蔵が加わった。金剛型4隻は太平洋を縦横無尽に大活躍したが、他の6隻はほとんどなすところがなかった。
金剛型4隻は使い勝手が良かったこともあるだろうが、30ノットと言う高速がものを言ったようだ。惜し気がないというのだろうか、とにかく酷使された。しかし、伊勢・扶桑型は何らなすところがなかった。長門型を含めた6隻は何よりも低速と言うのが問題だったようだ。
特に扶桑型は斉射の時に爆風が艦上を覆うこと、火薬庫が全体に分散していて防御に問題があることなどのために練習艦として不遇をかこっていたようだが、この4隻も金剛型のように高速戦艦に改造できなかったものだろうか。3・4番砲塔を下して缶を増設して空いた甲板には高射砲を増設して防空能力を高める。ついでに射界の狭い副砲も全部下して。
高速・低速というが、せいぜい5ノット、時速にすれば9キロ程度、それが戦力としての要・不要を分けたのなら何とももったいない話ではないか。砲塔を下せばスペースに余裕が出来るので扶桑のあのくびれた不安定な前檣もすっきりと改装できたのではないだろうか。
30ノットの高速戦艦が8隻そろえばなかなかの戦力だっただろう。特に護衛艦不足が著しかった空母機動部隊の護衛には役に立っただろう。戦争前期には空母を3隻ずつ2隊に分けて交互に機動攻撃をかけることも可能だったかもしれない。
しかし、これも工事量や資材の問題があり、実際に可能だったかどうかは分からない。また、機動部隊を2隊編成しても油の問題があって十分な活動ができたかどうか疑わしい。最も問題なのは戦術思想が凝り固まっていたことで戦艦の砲塔を下して攻撃力を減少させるなどと言うことを当時の軍令部が納得したとは思えない。
すべての条件を充足してこれらの戦艦を30ノットの高速艦に改装したとしても個々の戦闘でやや有利に活躍できたという程度で戦局に大きく寄与することはなかっただろう。そうすると費用対効果において無駄な改造と言うことになるのだろうか。何よりも戦艦が動けなかったのは油がなかったからと言うのが真相のようだ。
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