太平洋戦争で残念に思うことがいくつかある。何よりも勝算のかけらもない戦争を始めたことは返す返すも残念なことだが、それはやむを得なこととして置いておく。
まず、零戦だが、戦争の初期は熟練パイロットと火力・運動性・航続力を備えた万能戦闘機として大活躍したが、中期以降になると防弾装備がないこと、速度が出ないこと、そして機体構造が弱く急降下に難点があったことなどから次第に劣勢となり最後は特攻機として使われるなど悲劇的な最期を遂げた。
この機体、22型までと52型以降では機体の性格がまるで変っている。22型までは軽戦闘機として運動性を重視した機体だったが、52型からは高速・重武装の重戦闘機に様変わりしていた。防弾や武装など装備は増えるが、エンジンは栄のままで馬力は大きく増加することはなかった。
そのために速度・上昇力・運動性ともに低下して徐々に時代に取り残されて米国の新型機に対抗できなくなってしまった。52型を制作する時にエンジンを金星に換装しようという意見があったが、栄でも十分に要求性能を達成できると海軍側に押し切られたという。海軍は航続距離が落ちることを嫌ったようだが。
金星と言うエンジンは三菱が制作した14気筒空冷星形エンジンで最終の62型は1500馬力まで増強され、五式戦や100式司令部偵察機などに装備されたきわめて完成度の高い航空機用エンジンだった。後半では中島の誉や三菱のハ43など2000馬力級が出来ているが、実用性に乏しく試作の域を出ていないので、日本の実用航空機用エンジンでは火星と並んで最高のものと言ってもいい。
終戦間際に54型と言う金星を装備した零戦が完成したが、速度と上昇力は零戦各型の中で最高値を示したという。当時は紫電改が一部で活躍していたが、誉のトラブルで速度は550キロ程度しか出せなかったというので、580キロ近くまで速度を上げていた54型は海軍でも雷電に次ぐ高速性能を示したという。
仮に52型から金星を装備したからと言って戦局が変わるなどと言うことはなかっただろうが、グラマンF6Fには速度でやや劣るが、上昇性能と運動性ではやや勝るという実用的な艦上戦闘機になったと思われる。戦争後半では戦闘は防衛戦が主になって長大な航続距離は必要がなくなっていたので少しくらい足が短くなっても問題はなかっただろう。ついでに武装も弾道性能の悪い20mmは止めて13mm4丁から5丁を装備してみてもよかったのではないだろうか。
エンジンは日本の航空機のネックになっていたが、実質的に日本では航空機用は1500馬力級エンジンまでしか実用化できなかったのだから、この際、この高性能のエンジンをもっと活用すべきだっただろう。ただ、そうしたところで戦局にはさほど変化はなかっただろうし、戦局を挽回するなどと言うのは夢のまた夢であったことは言うまでもない。個々の空戦でもう少し有利に戦えたかもしれないという程度だったろう。
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