菅政権の発足から8日で1年。菅直人首相の在任期間は、鳩山由紀夫前首相の266日を上回ったものの、参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」は乗り切れず、退陣間近のレームダック(死に体)状態で節目を迎えた。就任直後の参院選で公約した消費税率引き上げのように、思いつきで打ち上げては言いっ放しに終わった発言も多く、首相の言葉の軽さが短命政権を象徴している。

枝野幸男官房長官は7日の記者会見で菅政権1年の実績を聞かれ、「地域主権改革は間違いなく大きく前進できた。防衛大綱も大きな見直しができた。公務員制度改革も一定の前進だと思う。評価は分かれるかもしれないが、この1年間で日米関係は大きく改善させることができた」と強調した。

しかし、地域主権改革や防衛大綱見直しは、鳩山政権から継続する懸案だ。鳩山政権時代に揺らいだ日米関係の改善も「菅カラー」とは言い難い。

これといって菅政権らしい実績を上げることができなかった原因は、菅首相就任直後の参院選大敗に始まる。

「10年度内にあるべき税率や逆進性対策を含む消費税の改革案をとりまとめたい」。菅首相が消費税の引き上げ方針を明言したのは10年6月17日、民主党の参院選マニフェストを発表した記者会見だった。これが7月の参院選大敗につながり、ねじれ国会が菅政権の前に立ちはだかった。

10月に開会した臨時国会の所信表明演説では「有言実行内閣」「熟議の国会」を掲げ、野党に政策協議を呼びかけた。しかし、9月に尖閣諸島沖で発生した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件をめぐり野党側が政権批判を強め、政策協議どころか仙谷由人官房長官(当時)らの問責決議が参院で可決される窮地に追い込まれた。

一方、政権中枢から民主党の小沢一郎元代表を排除する「小沢切り」の姿勢は貫いた。

9月の党代表選では「クリーンでオープンな民主党」を訴え、政治とカネの問題と強権批判がつきまとう小沢元代表との違いをアピール。代表選後の内閣改造では、民主党の国会議員全員の参加による「412人内閣」も打ち出したが、政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢元代表の処分問題などで小沢グループとの確執は深まり、11年6月2日の内閣不信任決議案採決では、党分裂含みの緊迫した状況に至った。

ねじれ国会と党内対立でがんじがらめとなり、政権方針が次々と「有言不実行」に終わる中、首相が5月に中部電力に要請した浜岡原発の運転停止は数少ない実現事例といえる。原発事故への不安が広がる世論の共感も呼び、政府・民主党内からは「今回はいい思いつきだ」と皮肉交じりに評価する声も聞かれた。また首相と距離を置く政務三役の一人は「東電本店に乗り込んで(福島第1原発からの)撤退を阻止したことは唯一の功績」と認める。

消費税率10%への引き上げを盛り込む税と社会保障一体改革案や、自然エネルギーの推進、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加などは宿題として次期政権へ引き継がれる。
 
結局、この政権が一度も扶養しなかった理由は、国家を司る為政者として毅然とした政権運営ができなかったということに尽きるだろう。非難を食らったが、消費税10%は間違ってはいなかった。しっかりと理由を説明して理解を求めればあるいは風が変わっていたかもしれない。反発を食らってうろたえて方向を変え、そこからこの内閣の腰砕け迷走がが始まった。
 
尖閣問題しかり、国家として自国の領土保全に対する威信を示さず、中国にひれ伏したような形で結末を迎えざるを得なかったのは内閣の権威を大きく傷つけた。その後は、保身に走って小沢切りだの、TPP参加だの、原発停止だの、太陽光発電1000万戸だのと、その場の一発芸に終始した。
 
止めは大震災、復旧は遅れに遅れ、原発事故では混乱が続いた。結局、1年間でこれといったものは何も生まれなかった。それもこれも保身のための一発芸に終始して政策に対して毅然とした態度が取れなかったことだろう。次は誰が出てくるのか分からないが、少なくとも政治をしっかりと理解して毅然とした態度で政権運営に臨んでもらいたい。
 
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