「原発は、大量破壊兵器の原爆とは別だと思っていました。しかし制御不能に至った原発を目の当たりにすると、認識を変えざるを得ません」--。広島・長崎の被爆者の多くが放射線被害に長年苦しめられた自らの経験を重ね、今回の原発事故に懸念を抱いている。広島の被爆者で福島大名誉教授の星埜惇(ほしの・あつし)さん(83)は、福島市内の自宅で毎日新聞の取材に対し、福島第1原発の事故への憤りを語った。

◇「認識変えざるを得ない」
星埜さんは旧制高校1年生だった17歳で被爆した。広島県呉市の自宅で広島の空をキノコ雲が覆っているのを目撃、翌早朝から広島市内で友人を捜して回った。一面の焼け野原。燃え続ける赤い火。異臭。嗚咽(おえつ)。死体の山々。星埜さんが知っている広島は消えていた。捜し当てた友人は鼻孔と唇が炭化して水を飲むこともできなかった。全身にわくウジ虫を取り除くしかすべがなく、むなしい思いで見送った。

多数の市民の遺体を焼く作業にも従事した。この作業は凄絶(せいぜつ)をきわめた。約5畳、深さ約3メートルの穴を掘り、男女の区別のつかない遺体を次々に入れた。まとまると鉄板で覆って重油をかけて火をつける。この繰り返しだった。「遺体は男女の区別もつかないほど無残で、人間の尊厳などありません」

◇「人の命守る気概を」
戦後は白内障と直腸がんの後障害に苦しんだ。現在は福島県原爆被害者協議会事務局長を務める。福島第1原発事故のあおりで捜索が進まない地域の被爆者の安否を心配している。県内の協議会会員は約90人。原発周辺の自治体に住む十数人と連絡が取れないという。

星埜さんは「東京電力、政府、原子力安全・保安院には非常に腹が立ちます。安全管理が信じられないほど安易ですよ、事故後の対応を含めて。人間の命を守るのだという真剣な気概が感じられない」と憤る。「今回の原発事故を教訓に、エネルギー政策のあり方、私たちの生活のあり方を見直さなければならないと思います」

原爆に装てんされたウラニウムの量はせいぜい数十キロ、福島第一原発の原子炉に装てんされている核燃料の量は合計すれば数十トン、原爆は一度にエネルギーを放出するので瞬間的に大規模な破壊をもたらすが、原発が本当に爆発してしまうとその汚染被害は原爆の比ではない。
 
国を豊かにするにはそれ相応のエネルギーが必要だ。そのためには今後も原子力エネルギーは不可欠だろう。貧しくても安全で穏やかな生活がしたいと言うならそれなりの方法があるだろう。そうした選択をしなければいけない時期なのかもしれないが、日本の経済活動は単に日本だけに止まらないので現在の経済活動の質や量を急に落とすのはどう考えても難しいだろう。
 
地球温暖化防止のための二酸化炭素削減で脚光を浴びていた原子力、今回の事故で世界の先進国はエネルギーの確保に難しい問題を抱え込んだようだ。
 
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