「僕はSMみたいなことは趣味じゃないが、あなたのように頭が良くて行動力があって恐ろしく気が強い女が屈辱にまみれて泣き喚いて謝罪するのを見るのも一興かも知れない。今日はちょっと趣向を変えようか。」
 
奴はゆっくりと立ち上がった。うーん、ここまでやるか。それはちょっと想定外だった。でも僕は女の格好をしていても中身は百戦錬磨の中年男性だということをお前は知らないだろう。女の姿をしているからと言ってなめたらいかんぜよ。
 
奴との距離は二、三メートル、いきなり飛び込まれたら困るが、奴は僕を刺そうとしている訳じゃないし、あくまでも脅しだから飛び込んでくることはないだろう。僕は腰を下ろして手に持ったグラスを床に置くとゆっくりと後に下がりながら座っていた丸椅子を手に持って体の前に構えた。
 
ナイフの長さは十五センチ程度、椅子は手で持った部分を除いても五十センチ以上はあるので勢いをつけて飛び込まれない限り椅子で上手く刃先をさばいてかわせば何とかなるだろう。後は体力勝負で隙を見せた方が負けということだ。
 
「ほお、さすがに並みの女のように慌てたりはしませんね。あくまで戦うと言うことですか。その方がこっちもやりがいがあるというものだ。その勝気がどこまで続くか見ものですね。では始めるとしますか。」
 
とうとう本性を現したな、この魑魅魍魎が。妖怪物の怪のような奴はこの僕が成敗してくれる。
 
奴は一歩踏み出すと軽くナイフを振るった。その刃先を椅子で軽く払った。刃がパイプに当って乾いた金属音を立てた。以前に対北の政所様戦の時にも話したが、こんな場合は慌てたり逆上したりして大きく椅子を振り回してはいけない。大きく振り回せば隙も出来易いし体力も消耗する。相手を良く見て最小限の動きで刃先をかわせば良い。
 
こんな時は素手で組み付かれる方が僕としてはずっと対応が難しくなるが、奴もそんなに格闘戦の経験はないようだし、体力もさほどでもなさそうだ。奴がこんなことをしている一番の理由は女が恐れおののくのを見ながら獲物を弄びたいのだろう。
 
奴はその後も数回軽く反応を確かめるように刃先を突き出してきた。僕はその都度椅子で軽く刃先を避けていたが、この状態が長引くと、いくら軽いとは言ってもナイフの何倍も重い椅子を構え続けるのは僕の方に不利だった。
 
「何時までそうして構えていられますかね。縛り上げられたあなたが泣き喚く姿が見えるようだ。楽しみですね、本当に。まあゆっくりやりましょう。時間はいくらでもあるんだから。」
 
奴は薄笑いを浮かべながらナイフを突き出し続けた。こんなことをしたことが過去にもあるんだろう。とんでもない奴だ。しかし、どうもこの状態は僕にとってあまり良いとは言えないようだ。
 
そうかと言ってこの手合いは口で挑発しても乗ってきそうもない。どっちにしてもこれにけりを着けないと物事が進まない。考えた末にこっちから仕掛けることにした。
 
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