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世の中には良いことやら悪いことやらいろいろな商売があるものだが、今度は自殺請負業というのが現れた。

これまでも集団自殺サイトによって集う集団自殺など訳の分からない自殺が散見されたが、一緒に死ねば怖くないというのだろうか。それともゲーム感覚なのだろうか。

確かにあまり先が明るい世の中とも言えないし、生きていれば良いことがあるなどと自信を持っていえるかどうかも分からない世の中だ。

生きていてもあまり良いことがなければ、もういい加減にこの世とおさらばしても良いんじゃないかと思うのかも知れない。

僕などは良い悪いよりも好奇心が強いのかこの世がどう動くか何が起こるのか見てやりたいと思っているのでそれなりに自分の命と引き換えにしても引き合うものがない限り敢えて死のうとは思わない。

まして死などというものは一人で向き合って一人で受け入れ静かに死んで行きたいと思っているので金を払って他人様にお願いしてまで殺してもらおうとも思わない。

忙しく騒がしい世の中なのだからせめて人生の終わりくらい自分のこととして静かに迎えられればと思う。金を払ってまで殺してもらうなど言語道断だし、また金をもらって人を殺してやるなど畜生にも劣る。

もっとも畜生にも劣るなどと言っては畜生に失礼で向こうこそ人間にも劣るなどと言っているかも知れないが。

生きていれば良いことがあるなどということは軽はずみには言えない。艱難辛苦、棘の道が続くのかも知れない。

ただ、何が幸せで何が不幸なのかということはかなり主観的なことで考えようによってはかなりの自由度がある柔軟な問題だろう。

大体おかしな死に方をすると検視やら解剖やら死んでからも他人に己の姿態をさらしたり切り刻まれたりしなくてはならないし、山の中で死ねば獣に食われ虫に食われ腐敗して無残な姿を晒しながら崩れ去っていくのだからそういうことのないように出来るだけ自然に死んで行きたいと思う。

「人間 五十年 下天のうちをくらぶれば. 夢まぼろしの如くなり」

織田信長ではないが、人の一生など本当にあっという間、夢幻のように過ぎ去って終わって行く。何の縁があったのかは分からないが、せっかくこの世に生を受けたのだから大きく目を見開いてこの世を、そして自分をしっかりと見ておきたいと思うのは平穏な生活をしているからだろうか。

もしも今死にたいと思う人がいるのならちょっと気を取り直して取り敢えず10年ばかり生きてみると良い。死んでしまえばこの世の中は自分の前から消滅してしまう。そして自分自身も消滅してしまうのだから。

ある人が、「何十年も生きてきて何も出来なかった。」と嘆いたら名前は忘れたが高名な哲学者が、

   「何と言うことを言うのだ。君は生きて来たのではないのか」

と叱ったそうだ。

   ”Living one's life itself is very very much work"

ということなのだろう。

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