ただこれを起草した動機は人類の理想を高く掲げて崇高な民主国家を目指そうなどというよりは特攻などという欧米の戦争の理解の範囲を超えた不可思議な戦い方をする東洋の未発達で野蛮な軍事国家の牙を徹底的に抜いて去勢し、その未発達で野蛮な軍事国家に崇高な民主主義の精神を叩き込んでやろうというアメリカの策謀によって作られたものなのだろう。このあたりはナチを徹底的に排除した後のドイツに対する対応とはずい分異なる。向こうは兄弟、こちらは未開の野蛮人と言ったところだったのだろう。
しかしその目的は何であれ結果として悪くないものは受け入れれば良い。何も押付け憲法だからと排除する必要もない。ただ憲法のために国家や国民があるわけではなく国家とその国民の幸福のために憲法があるのだから最高法規である憲法でも不具合は躊躇わずに改めるべきだろう。
それにしても憲法改正と言うとどうしても象徴的に取り上げられるのは第9条の問題だろう。
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
なかなか気高く威厳のある良い条文だ。これをそのまま正直に読めば、日本は如何なる状況においても他国と戦争をするという本来国家が持つべき主権を放棄し、戦わないことを担保するために陸海空軍などの軍隊を保持しないと読める。それを解釈の変更を繰り返して今は世界でも有数の強力な軍隊である自衛隊を保有するに至った。この辺りはいかにも日本的な間に合わせと言うべきかも知れない。
そして今の世界で日本を武力侵攻する能力を持つ国は皮肉なことにこの憲法を作ったアメリカだけになってしまった。それも日本に恒久的な民主主義と平和主義を根付かせるために力を尽くしたアメリカが日本の武装化を強く要請した結果なのだからアメリカの主義思想も結構ご都合主義ではある。
僕自身は非武装中立主義ではない。現実を考えれば国家も自存自衛のために、そして外交戦術のために武装する必要はあるだろうし、真に止むを得ない自衛のためには現状では武力を行使することも必要だと考えている。
しかし戦争をしても誰も幸せにはなれないことは言うまでもない。勝っても負けても後に残るのは殺戮と破壊と、その結果生まれる悲劇と涙と憎悪だけだ。そんなことに血道を上げるのは愚か者の為せる業だと思うが、どうもこの世の中には自己の権益のために進んで愚か者になる奴っぱらが少なからずいることは確かなようだ。
戦後60年が経過して起草者の意図とは全く異なる方向に日本国憲法が大きく花開こうとしてくれればそれは真に結構なことだ。ただ日本国の最高法規として現に機能している憲法を世界遺産にしようなどということはあまり考えるべきではないかもしれない。もしもこの先日本に新しい憲法が生まれた時は結果として崇高な理想を掲げた現行憲法が評価されて世界遺産という指定を受けることについては多いに喜ばしいことだが。