これは指揮官が倒れた時に指揮に間隙を生じないという一見すると極めて合理的な制度で実際に最前線などでは戦闘で倒れた指揮官の指揮権を直ちに引き継いで部隊を統率するという効果を発揮したことも数多くあったようだ。
しかし、戦隊や艦隊、さらにもっと大きな単位である連合艦隊など海軍全体の統率という点では一見して極めて合理的に見えるこの制度は重大な問題を抱えていた。それは個々の能力や向き不向きを画一的に解釈してしまったことから適時適所に適材を配置出来なかったということだ。
例えば航空戦の専門家がいたとしてもその上位に航空が全く素人の士官がいた場合、これを飛び越えて下位の士官を指揮官の任に就けることが出来ないということだ。だから已む無く素人の士官を指揮官として就けて失敗することもあっただろう。
この点アメリカは強かで能力がないと分かればすぐに解任してしまうし、下位の者が上位の者を何人も跳び越して司令長官に就任した例もある。先任後任の順位など関係なく適材を適所に配置するのが常識のようだ。
当時の兵学校卒業生は日本国でも屈指の秀才ぞろいなのでこのような制度は平時には誰がなっても真に良く機能するし、順位の基準が明らかなので人間的な摩擦も引き起こさず結構ずくめの制度であった。しかし戦時には海軍首脳が頭を抱えてしまうような人事をせざるを得ない状況が一度ならず出現することになる。
国家の命運をかけて戦っているのだからこんな制度は不都合なら吹き飛ばしてしまえば良いと思うが、それが出来ないのが集団の和を必要以上に重んじる日本人の特質と自己の利益の保全を図る官僚体質なのかも知れない。
国力に劣り、生産力に劣り、技術でも劣り、合理性でも柔軟な思考でも敵わないならやはり太平洋戦争は負けるべくして完敗したのも無理はない。しかしウォーゲームではないのだから戦争には莫大な人的物的被害が生じる。戦争に付きまとうのは破壊と殺戮と憎悪だけだ。
だからこそその血で購った経験を後世に生かすべきなのだろうが、どうも今もいろいろなところで同じようなことを繰り返しているように思えて仕方がない。そう思うのは僕だけだろうか。