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日本海軍は対米戦の基幹戦術として洋上迎撃、つまり太平洋を押し渡って侵攻してくる米海軍の艦隊を西太平洋で迎撃して撃破するという日本海海戦の再現を狙った対米作戦を立ててこれを長年にわたって磨き上げほとんど精緻を極めたと言えるまでに練り上げた。

それは主力艦の保有量を対英米6割に削減され、常に燃料に不安を抱えた海軍の血と汗の結晶と言っても良いものだった。そのために海軍の兵力量はすべてこの作戦のためだけに決定され整備された。

その極めて限定的かつ単能的な機能しか有していなかった海軍は資源地帯の確保のための南進両様戦と対米短期決戦を目指した洋上機動・航空打撃戦という極めて複雑な立体戦うことになった。そして開戦当初は例によって微に入り細に渡って組み上げられた作戦は相手の準備不足にも助けられて概ね順調に進行した。

しかし開戦半年後、圧倒的な兵力を以って臨んだミッドウェイ海戦で主力空母4隻を失う大敗北を喫した。本来ならこの辺で米豪分断などと言う途方もない戦略を捨てて一度作戦を根本的に見直すべきだったのかも知れないが、軍部は相変わらず律儀に最初に策定した作戦を実行しようとした。

ところがミッドウェイの敗戦のショックも覚めやらないうちにアメリカは反攻の第一歩としてガダルカナルに上陸して来た。これは本格反攻の第一歩でこの辺から戦争の主導権をアメリカが握り、これまでの事前に作り上げた精緻を極めた作戦計画は相手の都合に翻弄され役に立たなくなって来る。いわばその都度状況に応じた臨機応変な対応が必要になって来る時だった。

日本の兵力に決定的な打撃を与え戦争の勝敗を決定したのは実際にはミッドウェイ海戦の損害ではなくガダルカナルを巡るソロモンの消耗戦だったと言われている。ミッドウェイでの空母4隻と航空機300機の喪失は決して小さな打撃ではなかったが、生産力の小さい日本にとっても回復不可能というほどのものではなかったと言われている。

ところが半年にわたるソロモンの戦闘で海軍は戦艦2隻を含め24万トンの艦艇と鍛え抜いた精鋭の母艦航空部隊を含め7千機の航空機を喪失した。その物的損失もさることながら特に訓練に時間がかかる母艦搭乗員を多数失ったことも海軍の再起に決定的な打撃を与えたという。

それは日米戦争の勝敗がソロモンの戦闘が終わった時に決定したと言っても良いほどの損害だったと言う。開戦以来2年が経過したこの時期早期講和の道も閉ざされしかもアメリカの巨大な工業生産力がものを言い始め戦力の格差は開く一方だった。

これから先は太平洋に散在する各島嶼の争奪戦で日本の戦力は各個撃破され、日本は敗戦への道を転げ落ちていく。戦力は隔絶している上に暗号を読まれ作戦書を奪われ手の内を知り尽くされた日本には戦争の勝敗はおろか個々の戦闘でも全く勝ち目はなかった。

マリアナ海戦で破れてから海軍はもう正面からアメリカに戦いを挑む戦力は無くしていたが、特攻を含めてほとんど思考力をなくしたように残った戦力のすべてを注ぎ込んでアメリカの機動部隊に挑みかかっては何らなすところなく撃破された。そして絶対国防圏と位置付けたマリアナ諸島を簡単に奪われ東南アジアからの物資輸送路を締め上げられ本土は空襲で破壊されて日本は力尽きた。

本来ただ一回戦だけを勝つために整備された軍事力を以って国力が隔絶しているアメリカに総力戦を挑んでも勝つ道はなかったことは当時の日本の軍部も識者も当然のこと百も承知していた。そのために当時の連合艦隊司令長官の山本五十六も練り上げた洋上迎撃からほとんど対米8割に近かった海軍力を機動的に使って太平洋からアメリカの海軍力を一掃して早期講和を目指す作戦に切り替えた。

しかしそれも従来の艦隊決戦を目指す軍令部との妥協の産物として実行された結果徹底を欠くきらいがあった。真珠湾では戦艦部隊を撃滅したものの空母を撃ち漏らし支援施設である海軍工廠や重油タンクを手付かずのまま残した。その後インド洋のイギリス海軍を一掃した後のミッドウェイで完敗して早期講和の道はなくなった。

ここで一気に戦線を整理していわゆる絶対国防圏の確保と東南アジア、大陸からの物資輸送路の確保に絞った兵力配置と作戦の転換をしていれば戦争の様相はまた違ったものになっていたかも知れない。あるいは最初から小笠原、マリアナ、トラックを結ぶ西太平洋の防衛線を固めて東南アジア、大陸からの物資輸送路の確保を目指しても良かったのかも知れない。

日本人は生真面目で律儀だが状況に応じて臨機応変に方向を変えたりすることが苦手なようだ。一度金科玉条を策定してしまうと状況の変化があっても何とか律儀に既定の方針を実行しようと足掻いてしまう。

ガダルカナルへの上陸がアメリカの反攻の第一歩と判断したのは確かに間違ってはいなかったが、何分にも日本にとっては足場が悪かった。その足場の悪いところで無理をして戦う必要があったのだろうか。

ガダルカナルを失うとラバウルが危なくなる。そうすればニューギニアが敵の手に落ち米豪分断が失敗する。次にはトラックが、そしてマリアナが、と言う具合に順に危険に曝されると言うが、トラック、マリアナ、小笠原のラインとフィリピン、ボルネオ、ジャワ、スマトラ、マライ半島、ビルマ、ベトナム、中国南岸を確保すればそれで十分だったのではないか。それだけでも気が遠くなるような広大な地域だ。

守備する地域を縮小すれば兵力は厚くなる。そして自己の足場の良いところで次の決戦を企画すれば勝てる可能性は高くなる。何をしても戦争に勝てる可能性はなかったにしても広大な地域に兵力を分散して補給もままならずに兵隊を飢えと病で苦しませ挙句に各個撃破されるよりはよほどましだったろう。

また何でもかんでも艦隊決戦に投入しないで他の戦い方もあったはずだ。潜水艦などはその際たるもので日本はアメリカの泊地攻撃などと言う極めて困難な作戦ばかりに潜水艦を投入しては何らなすところなく消耗してしまったが、太平洋と言う広い地域で通商破壊でもした方がもっと戦果を挙げられただろうしアメリカにしてもその対策に戦力を割かなくてはならなかったのでその弱点は広がっただろう。

低速で役に立たなくなった戦艦にしても砲力を減らしても高速と対空兵装を充実させれば機動部隊の護衛として活躍も出来ただろう。暗号も強度に不安があれば乱数表を頻繁に変更するなどの方法を取れば解読も困難になったことだろう。その辺は一度使った乱数表は二度と使用しない陸軍の方が進んでいたのかも知れない。

航空機のエンジンも無闇に持てる技術を超えた高度なものを作っては故障ばかりでまともに機能しないものよりも安定した性能が発揮できる範囲で最高を目指すべきだっただろうし零戦などもエンジンの装換を含めた性能向上を早期に行えばもっと活躍出来ただろう。

また工業力が貧弱な割には無闇と様々な試作機を作っては生産者側を混乱させていた。機種を絞って多目的な用途に使用するとか陸海軍で共通機種を生産使用するとか生産力を有効に活用する方法も考えるべきだったし、そもそも資源を日本に運ぶ手段方法も真剣に考えるべきだったのにご都合主義的な甘い見通しで場当たり的な対応しかしなかったために結局首が絞まってしまった。

電波兵器もほとんど欧米と同じ時期にその有効性に着目していたにもかかわらず防御的な兵器ということで切り捨てられその後アメリカのレーダーに散々に痛い目に遭わされてから慌てて開発をしたが手遅れだった。

総力戦は持てる力を総動員して遮二無二敵を打ちのめすことを考えないといけないのに江戸時代の自身に何の危険も及ばない時代に考え出されたただただ観念論的かつ無定見な武士道の精神などを持ち出して近代戦を戦おうとするなど笑止千万を通り越して悲惨としか言いようがない。

日本人は情に左右され易いが、反面几帳面で律儀な性格だ。少なくとも当時の日本人はそうだった。そして確たる方針も成算もなく激情に突き動かされて戦争に突き進み状況判断も臨機応変な対応も出来ずに練り上げた戦争計画を律儀に遂行しようと足掻いて破滅して行った。そしてそれは今もあまり変わっていないのかも知れない。