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今日はある機会を得て20代後半のグループに講義をした。その際、一月に最低でも1冊以上活字を中心とした本を読むものがどのくらいいるかを聞いてみた。そうしたら何と驚いたことに月に1冊の本を読むと答えた者は一人もいなかった。

これは正直僕のような活字中毒の人間からすると衝撃的だった。活字離れとは言っても月に1冊や2冊くらいの本は読むだろう、半分くらいはそのくらいの読書はするだろうと思っていた。まさか一人もいないとは夢にも思わなかった。

最近の若い人たちは文章を読まないから資料などを作る時は出来るだけ文字を少なくして絵や図で説明するよう、そういう資料を作るようにと耳にタコが出来るほど言われるが、絵で説明出来ることと出来ないことがある。文字を使わない説明の仕方にはそぐわない内容もある。大体、少しでも多くの文章に触れないと良い文章が書けなくなってしまうではないか。

最近は書類も丸をつけたりチェックしたりすると出来上がってしまうものが多くなってきた。一枚の書類の中で一番長い文字列は住所だったりする。住所が文章と言えるのかどうかは分からないが、本当に長い文章を書くことが少なくなって来た。

それがいいのか悪いのかは知らないが、これからは文章は作り出す美だとか文体の切れ味や鮮やかさなどと言ったものはなくなってしまうのかも知れない。幅を利かせるのは象形文字のような絵とも文字ともつかない記号の羅列か。しかしそれもまた文化なのかも知れない。

自分を表現する手段は何も文字に限るわけではない。絵画でも彫刻でも写真でも音楽でも何でも良いのだと思う。それでも文字が文明の指標だと習ってきた世代にはそれが失われていくことが何だか悲しい気がする。そういう感情を持つことがもうすでに時代に取り残されているのかも知れないが。