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Death smiles at us all. All a man can do is smile back.

これは「グラディエーター」の中の台詞だが、確かに「死」は人間誰にも必然で不可避だ。この作品をご覧になった方もいるだろうが、こういう生き方、生き方というのは「死に方」と言っても同じだと思うが、これもいいなと思わせるところがある。もっともこれは男の究極の生き方かも知れないが、こんな生き方が出来るような勇気も胆力も持ち合わせていないし、そういう背景にも恵まれることは滅多にないだろう。

ところで最近、以前に仕事を共にした人が亡くなった。まだ人生半ばの働き盛りの年代だった。誠にお気の毒なことだ。人は死が不可避と言うことは理屈では分かっているだろうが、どうも自分だけはもしかしたらずっと死なずに生きていけるのではないかとか、良い生き方をして天寿を全う出来るのではないかという思いがあるのかも知れない。あるいは殊更死ぬとか生きるとかそんなことをを考えるのを避けているのかも知れない。

考えても考えなくても死は誰にも必ず訪れる。死は個体の終焉で死には復活もなければ輪廻転生もない。そんな死を迎えた時、人は一体何を思うのだろう。毎日たくさんの人間が生まれ、そして消えて行く。いわゆる天寿を全うしたと言われ自然に亡くなる人もいれば、病や事故あるいは犯罪、戦争などでその生を奪われる者もいるだろうし自分で自分の命を消してしまう者もいるだろう。それは人が持って生まれた運命のようなもので何時どうして死を迎えるかは知る術もない。

僕自身は時々死について考えることがある。考えたからと言って自分の死に方が分かるわけでもない。ただ終わりがあることを認識して少しでも納得の出来る生き方をしようと思うだけだ。この世に何十年か生を受け、それで何かが出来るかといえば何とも答え難い。出来るかも知れないし出来ないかも知れない。それは自分の才能や能力だけで決まるものではない。

ただ何かが出来るか出来ないかそれは分からないが、自分に与えられた生を大切にすることは間違いなく出来るだろう。自分の生が有限であることを認識してそれを前提に生き方を考えることが生きることの始まりなのではないか、最近はそんなことを思う。そして自分の生を大切にすることは同様に他人のそれも大切にすることになるかも知れない。

この世には大馬鹿者がいて、夫婦でパチンコをしたいからと自分の子供をバイクのヘルメット入れに押し込んで殺してしまうようなことをする。こういう人間は自分の生を何と思っているのかは知らないが、結局犯罪者の汚名を被り刑務所で服役するのだから自分の生をも台無しにしていることになる。

あまり自分が死ぬことなど考えたくないだろうが、どう死ぬかということとどう生きるかということは結果として同じことだ。立派な生き方は出来なくともせめて他人の生に不当に干渉することなく、あるいは他人の生についても尊重してやれて、自分も良い生き方が出来ればそれで十分なのかと思っている。

最後に自分が死ぬということについてはある程度やむを得ないと思うところがあるが、この世の中がこの先どう変わっていくのかを見ることが出来なくなることが悲しい。もしもこの世の中の遷り変りを何所かで見ていられるなら死も決して受け入れ難いものでもないかも知れない。

もっともこの地球もあと30億年で消えてなくなってしまうのだからそうすると何処かからこの世の遷り変りを見ることが出来たとしても30億年で見るものがなくなってしまうのではちょっと困るかも知れない。