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太平洋戦争当時の日本の航空機の機銃は戦闘機も爆撃機も大口径(20弌砲半口径(7.7mm)の混載だった。どうしてそのような混載になったのか理由は明らかではない。多分一撃必殺の大口径を主に、そして小口径を従にするつもりだったんだろう。

米国は基本的に12.7mm一本槍だった。戦闘機も12.7mm機銃を4~8丁装備し、爆撃機も大型のものはこの機銃を10~12丁も装備しており、まさにハリネズミと言った重武装だった。100機程度の編隊だと一方向に数百丁の機銃を指向でき、まさに槍襖ならぬ機銃弾襖と言った状況で迎撃した多くの日本軍戦闘機がこの犠牲になっていたようだ。

この機銃はブローニングM2重機関銃でもうすでに米国で正式採用されてから80年が過ぎている名機関銃である。日本では住友重機械工業がライセンス生産して陸海空自衛隊で使用しているが、こうした一機種大量生産は生産は元より補給整備の面でも大きなメリットがある。

日本は航空機用機銃をずい分多種生産している。小口径は英国式の7.7mm機銃、その後ドイツ式の7.9ミリから最後はブローニングM2をコピーした13ミリ機銃を生産使用した。大口径は海軍がスイス式20个ら最後は30ミリへ、陸軍もヨーロッパや米国式の機銃を模倣した各種機銃を生産している。こうして多くの機銃を生産しなくてはいけなかったのはその出来栄えが決して良くなかったかららしい。

特に発射後の銃身後座位置から通常の位置に銃身を戻し、その動作で薬莢を排出し、新たな弾丸を装弾するという機構をうまく動かすために使用するバネが精度や耐久性に劣っていた。そのために銃身がスムーズにスライドしなかったのでしばしば装弾不良を起こしたらしい。今では信じられないようなことが起こっていたようだが、当時日本の工作精度は欧米に比べてかなり劣っていたようだ。

その後遺症か日本では今でも良い機関銃が作れない。かなりラフな機械のようで機銃というのは精密工作品のようだ。円滑に一定の速度で安定して弾丸を撃ち出す機関銃と言うのは相当な経験と技術の蓄積が必要なようだ。日本が戦後製作した機関銃はたったの一種類、それも評判はあまり芳しくない。またベルギーの機関銃をライセンス生産しているが性能がやや劣るという話を聞く。世界最先端の工業技術を持っている日本がどうしてと不思議に思うが、性能の安定した機関銃を生産するには相当な技術力を要するのかも知れない。

話を戻すが、日本は大口径の機銃を使った一撃必殺を好んだのかも知れない。多銃装備も一撃必殺もそれなりに理由があるのだろうが、高度な射撃技術を必要とする一撃必殺よりも数撃てば方式の方が誰にでも命中壇を得ることが出来て合理的かも知れない。特に爆撃機は自機や僚機を機銃で防御するのだから機銃の数が多くて短い時間に大量の弾丸を発射出来る多銃式の方がこれもやはり合理的に思える。

結局、日本のように貧乏だった国が戦うための準備をすると少数の名人に出来るだけ少ない資材をあてがって大きな戦果を挙げるという方向に走ったことは理解出来ないでもない。目標に当てることが難しくても当たれば威力が大きい大口径弾を使用して鍛えに鍛えた少数の精鋭で大きな戦果を挙げる、そのために威力が大きい兵器を使用するというのが当時の日本の考え方だったのだろう。

でも結局多種多様な機銃を生産し、その機銃に合った弾丸をそれぞれ何種類も生産するという煩雑な補給生産体制を維持しなくてはいけないと言うジレンマに陥り、貧弱な生産体制をさらに貧弱にしてしまうと言う矛盾に陥ることは考えなかったのだろうか。

最後に余談のようになってしまうが、当時の日本でもっとも信頼性が高く評判の良かった機関銃は九二式重機関銃という歩兵支援用機関銃だそうだ。この機関銃は装弾不良がなく何時も安定して弾丸を発射することが出来て歩兵が自分たちを支援してくれる最も頼りになる兵器と信頼していたようだが、この機銃は発射速度が毎分250発程度で欧米の機関銃の半分から三分の一程度だったらしい。あまりの発射速度の遅さに米兵があざ笑ったと言うが、命中率は極めて良好だったようだ。

この機関銃の欠点は重量が55キロと極めて重かったことくらいでその他に不具合はなくまことに頼りになる兵器だったそうだが、それも発射速度を落とし、旧式ともいえる確立された確実な方式を使って設計製造したことが幸いしたのかも知れない。何とか欧米に追いつき追い越そうとしてもがいて背伸びしては自滅していた日本の技術開発の中で当時の日本の身の丈に合った兵器だったのだろう。