侵攻して来る米国海軍艦隊に潜水艦や駆逐艦、そして空母艦載機によって連続的に攻撃を仕掛け、その勢力を漸減させておいて最後に主力の戦艦部隊による艦隊決戦で一気に決着をつけるというのがそのシナリオだった。しかし戦争が始まった時には戦艦対戦艦の戦いから空母艦載機による航空決戦という形へと戦闘の様相は変わってしまっていた。
ハワイ奇襲からインド洋侵攻と航空機の威力を世界に示した日本海軍は昭和19年6月のマリアナ沖海戦に至るまでその主兵力を戦艦部隊とした編成を崩さなかった。ミッドウエイで大敗した日本海軍はソロモンの果てのガダルカナルで米国の反攻に直面し、ガダルカナル島に設営した飛行場を米国に奪われ、逆に発展的に設営されたヘンダーソン飛行場の制圧に苦しみ戦力を逐次投入しては撃破されて消耗して行った。
そして海軍が同島を巡る戦局好転のために打った博打が戦艦による飛行場砲撃だった。そしてこの作戦に従事したのが、2度の改装により近代化されたとは言え、就役後30年近くが過ぎた旧式の金剛、榛名の2戦艦だった。しかし、この従来の戦訓を無視した大博打は見事に成功を収め、一時、飛行場はその機能を喪失するほどの打撃を与えることが出来た。
しかし、陸軍との協調がうまく行かず、陸上部隊が飛行場を占領するには至らなかった。そこで海軍は2度目の砲撃を計画する。そしてこの作戦に選ばれたのが、同じ旧式戦艦の比叡、霧島だった。これらの戦艦は改装により高速を得たが、砲力、防御力は海軍の戦艦の中で最も貧弱だった。そして砲撃のためにガダルカナル島に接近した2戦艦を中心とする日本艦隊は同島防御のために配備された米国艦隊と遭遇し、暗夜の乱戦の結果、比叡を失うことになる。
翌日、残った霧島は巡洋艦を従えて飛行場砲撃のため再度ガダルカナル島に接近する。しかし、同島死守の決意を固めた米国側も就役したばかりの新鋭戦艦サウスダコタとワシントンを投入して日本艦隊を待ち構える。そして太平洋戦争最初の戦艦同士の砲撃戦が展開されたが、砲力、防御力ではるかに米国戦艦に劣る霧島はサウスダコタを大破させたもののサウスダコタの後方に位置して発見出来なかったワシントンのレーダーによる集中射撃を受けて撃沈されてしまう。
当時、日本には最新最強の戦艦大和が連合艦隊旗艦としてトラック島に控えていた。その他にもやや旧式にはなるが、長門、陸奥の2隻の戦艦があった。当時、ガダルカナル周辺は米国が制空権を握ってはいたが、未だ戦争末期のような絶対的な航空優勢ではなくその航空機の数も少なかった。この際、ここで大和、長門をこの砲撃戦に投入していたらどんな結果になっただろう。
砲力は世界最大の46センチ主砲9門に加えて長門の40センチ砲8門、米国戦艦の40センチ砲18門に十分対抗出来ただろう。防御も大和は米国戦艦よりも強力でおそらく40センチ砲弾の直撃にも耐えることが出来ただろう。
大和が出撃しても米国戦艦に勝利出来たかどうかについては種々の状況を考慮しないと何とも言えないだろうが、健闘したとは言え2隻の戦艦を撃沈されることもなかったのではないか。その世界一の砲力で米国戦艦を圧倒することも可能だったかも知れない。
大和、武蔵の超巨大戦艦は大戦末期に圧倒的な米国の航空優勢下で航空攻撃により何らなすところなく撃沈されたことを考えると日本海軍が太平洋戦争で戦艦の砲力を活用できたのはこの辺りまでだったように思う。大和などの大艦の出撃には燃料などの問題があったようだが、貧乏海軍が爪に火をともすような思いで建造した大和や長門を局地戦で損傷させてはいけないという出し惜しみがなかったとは言えないだろうか。
よくミッドウエイが太平洋戦争の運命を決したと言うが、劇的という点では確かにこの戦いが天王山のように言われるが、ミッドウエイで負けた後もまだ海上兵力については日本海軍の方がやや優勢だった点には注意を要する。本当に日本の首を締め上げてその継戦能力を奪い、米国との間に埋め難い兵力量の溝を生み出したのは半年にわたるガダルカナル島を巡る消耗戦だと言われる。ここに出し惜しみをしないで持てる戦力のすべてを集中して注ぎ込んでいれば戦争の様相は変わらなかったかもしれないが、戦闘の様相は変化があったかもしれない。それが出来なかったのはやはり艦隊決戦に夢を託した貧乏海軍の出し惜しみがあったのではないかと考えざるを得ない。
海軍にしても陸軍にしても理由のない米国の戦力軽視を楯に戦力の出し惜しみをしてはあっけなく敗れ去ったが、本当に短期決戦を企画していたのならその戦力が敵に優っているうちに集中使用により敵を撃破する作戦を立てるべきだった。
ただし、戦術的な視点からすればそれで良かったのかも知れないが、戦略的な視点で見れば戦いを回避することが唯一無二の妥当な国策であったことには何ら疑義の余地はないと思われる。