ゼロ戦は、速度、運動性、航続距離を兼ね備えた太平洋戦争初期の傑作機と言われる。その分、軽く作る必要があった機体は構造が華奢で急降下速度に制限があり、操縦士や燃料タンクの防弾は一切考慮されていないので弾が当たれば操縦士は即死、機体はあっという間に火を噴くという欠点があった。
空戦でも敵が積極的に格闘戦を挑んでくれば強いが、急降下や急加速して逃げられると追いかけることが出来なかったそうで、米軍はゼロ戦に追われたら急降下で逃げるように指示されていたと言う。戦争中期以降、戦闘が激化してくると防弾の欠如で死ななくてもいい熟練搭乗員を大勢殺した。海軍航空を破滅に追い込んだ一因はこの戦闘機にあったのではないかとも思うくらいだ。それよりも防弾などは死ぬことの怖い卑怯者のすることと言う軍の愚かな考え方にあったのかもしれないが。
ゼロ戦は昭和12年に試作が始まり、昭和15年に戦線に投入され、中国戦線で大戦果を上げた。その後も真珠湾攻撃やフィリピン、東南アジア侵攻などに活躍し、奇跡の翼と呼ばれた。この頃までがゼロ戦の絶頂期で、その後、戦争中期のガダルカナル攻防戦では敵の戦闘形式の変化や新型機の投入で相当な損害を出し、凋落の兆しが見えてきた。
11型から始まったゼロ戦の量産は21型、32型と進み、ガダルカナル攻防戦の頃は22型が主流だった。この辺りがゼロ戦の絶頂期だったようだ。その後、戦訓に従って52型という武装、防弾強化型が出現するが、この52型はそれまでの軽戦闘機だったゼロ戦から大幅に重量が増大して翼面荷重も初期のゼロ戦の1.5倍と言う重戦闘機に変貌していた。しかしエンジンは初期のものとさほど変わりがない千馬力程度の栄という空冷二重星型エンジンだった。
それがどういうことかというとうちのチンコロ車のように安全性確保のために車体構造を強化して居住性確保のために車体を大きくして豪華な装備を山盛りにしたけど、燃費を考えてエンジンは小排気量の馬力の小さいものを積んだようなものだ。アクセルを踏んでもろくに加速もしないし最高速も伸びない。これが自家用車なら無闇にエンジンの馬力を大きくしても、アクセルを踏み込んで事故を起こすか警察に捕まるくらいだが、戦闘機の場合は操縦士は自分の乗った戦闘機の一瞬の加速に命をかけなくてはならないので速度が出ないということは冗談ごとではない。
ゼロ戦の試作が始まった頃、使用可能なエンジンは少なかった。三菱が作っていた「金星」と「瑞星」という航空機用空冷二重星型14気筒エンジン、これに後から中島の「栄」が加わった。最も排気量が大きく馬力も大きいのが「金星」、最も新しいものが「栄」でゼロ戦はこのエンジンがあったからこそ名機として君臨できたと言われるが、馬力は千馬力を若干超える程度の小型エンジンだった。
戦争中期からアメリカは2千馬力を超えるエンジンを搭載した戦闘機を次々に戦線に投入する。F6F、F4U、Pー38、P-47、そして世界最高のレシプロ戦闘機と言われたP-51などがそれだ。軽自動車でスポーツカーに挑んでもなかなか勝てないのと同じで、中期以降ゼロ戦は米軍の新型機に翻弄され始める。装備や武装を強化すれば重量が増えるが、エンジンの馬力は増加しないので速度や上昇力は落ちていく。結果は明白で戦闘では一撃離脱で一撃加えると高速で去って行く敵に追従も出来ずに蹴散らされてしまう。こうしてゼロ戦は衰退の一途を辿って行った。
もしも、52型を試作した際に金星にエンジンを換装していればどうだっただろう。金星は最終的に千五百馬力まで出力が増強された。栄が約千百馬力だから五割方出力が大きい。エンジンが大きくなるから機体構造も大型化するし、燃費も悪くなって航続距離が減ってしまうということで見送りになったが、勿体無いことをしたと思う。
この頃「金星」は完成の域に達した熟成されたエンジンで故障も少なく稼働率も良かった。戦争末期、ドイツ製の水冷エンジンの故障と作動不良に苦しんだ陸軍の三式戦は、エンジンを金星に換装した五式戦がかなりの実用性能向上を果たし、戦争末期に相応の活躍したのだからゼロ戦もそれなりの活躍をした可能性がある。それで戦局を挽回するなんてことは全く不可能だっただろうが、あれほど惨めには負けなかったかもしれない。それにただでさえ数が少ない戦闘機の稼働率が落ちればさらに数が落ち込んで負けてしまうが、金星は安定したエンジンだったので稼働率も上がったかも知れない。
戦争後期、軍の期待を担って登場し、奇跡のエンジンと呼ばれた中島の「誉」が、その高性能のゆえに高度な工作や良質の燃料を必要としたが、あの大戦末期に精巧な加工や良質の燃料などそんなことは望むべくもなく、工作不良や粗悪な燃料に起因する作動不良で自滅したことを考えれば、完成され尽くして性能の安定していた金星はカタログ値通りの性能を発揮しただろう。
事実、昭和20年になって金星エンジンを積んだゼロ戦54型(実用型は64型)が試作されたが、この型はゼロ戦各型の中で最も速くもっとも上昇性能が優れていたと言う。その頃、海軍が大きな期待を寄せていた紫電改は誉の作動不安定から性能の低下が甚だしく、金星を積んだゼロ戦は大戦末期に海軍が入手可能な最も優れた戦闘機だったと言う。
「翼の向こうに」で日本人は物事に拘り過ぎ近視眼的で大局を見ずに自滅する傾向があると書いた。ゼロ戦も軽く速く遠くにを突き詰めた結果生まれた宝石のような磨き上げられた戦闘機だったが、発展性に乏しく時代に対応していくことが出来なかったと言われる。しかし、目先の利や面子に拘らずに大局的に見れば発展の余地もあったのかもしれない。
徒に究極の性能を狙わず身の丈に合った性能を心がければそれなりのものが生まれたのかもしれない。もしもそれが世界に通用しないものであれば始から戦争を始めようなどと大それたことを考えなければ良かったし、実際そうすべきだった。ゼロ戦の主任設計者の堀越技師も最初から金星の搭載を考えたと言うが、大きなエンジンを積めば機体も大きくなり過ぎ、小さく小回りの効く戦闘機に慣れた海軍の操縦士には受け入れられないだろうと瑞星を選んで出来るだけ小型の機体を開発したそうだ。この時金星を選択していればゼロ戦は全く違った戦闘機となった可能性があるという。どんな戦闘機になったのか今となっては知る由もないが、可能な範囲で最善の選択をすべきところを無用な妥協をして道を誤ってしまったゼロ戦には最初から栄光の終焉はなかったのかも知れない。