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「あんた、どうしたのよ、こんな時間に。家にいなさいって言ったでしょう。」

僕がちょっと非難がましく言うとクレヨンがテーブルに駆け寄ってきた。

「あのね、一度家に帰ったんだけどあなたのことが心配でタクシーを呼んで様子を見に来たの。」

こいつに心配されて様子を見に来られるようになったら人間も廃業だ。

「おや、この間のお姉さんだな。あんたはこの人の恋人か。」

マスターがクレヨンに声をかけた。

「違います。そんな危険なこと、命がいくつあっても足りません。それに私は正常ですから。」

僕は後ろからクレヨンを捕まえると指を口に突っ込んで両側に引っ張ってやった。クレヨンは「ふふぇー」などどとても声にもならない音声を発した。

「なるほど、確かに危険かもしれない。まあ今日はもう店を閉めて皆で飲もうか。」

 マスターはそんなことを言って店の入り口の明かりを落とした。そんないい加減な商売で良いのかと思って時計を見るともう十一時を過ぎていた。そこにまた一組中年男女のカップルが顔を出した。

「マスター、今日はもう閉店ですか。」

 男の方が尋ねるとマスターは「乾き物でいいなら好きに飲んでよ。」といい加減なことを言ってこの中年カップルを店に迎え入れた。それから三組も客が来たが皆同じことを言って店の中に入れた。しかし別に自分が接待をするわけでもなくカウンターの上に乾き物の袋と飲み物やグラスに皿を置いてお客の方がそこから勝手に食い物を持っていって勝手に好きなジャズをかけて好きに飲んでいた。これは良い商売かもしれない。そうして適当な雑談をしながら暫らく酒を飲んでいたが突然マスターが変なことを言い出した。

「なあ、佐山さん、あなたは男と寝たことがあるのか。最初は彼氏もいたんだろう。」

「そんなことしないわよ、おぞましい。冗談じゃないわ。マスター出来る、男の人と。」

「いや、俺はご免被りたいな、そんなこと。でもその彼氏はどうしたんだ。」

「別口があったようだから私の方はお引取り願ったわ。」

「そんなに良い女なのに他にはないのかい。」

「後はストーカーの社員さんとここにいらっしゃる富岡さん。でも同性だったら良い友達になれただろうにと言ってくれた人が何人かいますけど。」

「そうか、やっぱりそんな感じだよな。俺もそう思うよ、男同士だったら面白そうだ。でもやはり外見が女だからいろいろ問題もあるよな、対外的にも内々にも。ところで、おい、姉さんよ、この人の体は本当に全くの女なのか。」

 マスターはいきなりクレヨンにこれまたかなり問題のありそうなことを聞いた。クレヨンは僕の顔を見て目で『答えてもいいか』と聞いて来た。僕もちょっと首を振って『いいわよ』と返事をした。

「正真正銘女性です。でもどうしてそんなことを聞くんですか。この人、性格は極めて凶暴だけど間違いなく女の人ですよ。ご本人も時々『自分はつい最近まで男だった』なんて言っていますけど、そんなことあり得ないことでしょう。確かに性格が全く変わったと聞きますけど、凶暴だからきっとどこかで暴れて頭でも打ったんだと思いますよ。それで本能が目覚めたんじゃないんですか。」

 このバカ、人の苦労も知らないでとんでもないことを言う。こいつも少し人が変わるように足でも持って振り回してカウンターの角にでもぶつけてやろうか。

「うーん、そっちはどうだ。佐山さんの素性について。」

マスターは僕の変身についてクレヨンの次に言葉屋に聞き始めた。

「もう何だか分からないけど、それはそれとして僕は佐山さんが好きだな。元男だろうがなんだろうが今は間違いなく女なんだから問題は全くないしな。」

「そりゃ彼女を抱きたいってことかな。」

「もう酔っ払っているから暴言も大目に見てもらおうということで言うけどそういう形で彼女が僕を受け入れてくれるのなら最高だな。」

「私も酔っ払っているから言わせてもらいますけど、富岡さんの人格とか人柄とかそんなことは全く関係はなくて本能的に男性は受け入れられません。」

「そうか、振られたな、諦めろよ。」

「うーん、残念だ。それじゃあ今日は飲むか。」

 二人は何だか分からないことを言い合うとまた新しいグラスを持って来た。何時の間にかお客は全部帰っていて店にいるのは僕たち四人だけだった。料金はきちんと飲み食いしたメモと一緒にカウンターの上に置かれていた。なんて行儀のいい客だろう。きっとこんなことには慣れているんだろう。