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織田信長という人物を一言で表現すれば稀代の天才的な政略家と言えるだろう。おそらく何千年に一人出るか出ないかの天才だろう。信長があと10年長く生きていたら一時的に日本は全く変わった体制となっていたかも知れない。

おそらく信長は朝廷の上に立つ政権として日本に君臨していただろう。それを基礎として海外に進出して行ったかも知れないが、秀吉の朝鮮征伐のように場当たり的ではなく基礎的な技術、造船術、航海術、あるいは大砲など武器の製造技術をしっかりと学ばせた上で世界でも最先端の装備を誇る精鋭軍として世界に乗り出すことを考えていたのではないか。

魔王などと恐れられその残虐な行為も強調されるが、これまでにない全く新しい支配体制を確立するために信長にしてみれば旧勢力を一掃し、はむかう者を凍りつくような恐怖に慄かせることもまた必要なことだったのだろう。

秀吉というのは天才的な戦術家で、ある一局面での戦術には天才的な才能を発揮する。味方だけでなく敵の戦力も温存して味方に組み込もうとするような調落や水攻め、兵糧攻めなどを得意とし、また当時の常識的な戦術の枠を超えた奇手を好んだ。

たしかに一つの局面での奇抜な発想は群を抜いてはいたが、長期的かつ広角的なものの見方に関しては信長に大きく劣っていたように思える。云わば信長という頭を頂いてのナンバー2という位置がもっとも適していたのかも知れない。ナンバー1となってからは虚栄心や暴挙が目立つだけでこれといった実績は何ら上げていない。

家康は極めて常識的且つ極めて優秀な行政的手腕を持つ秀才かも知れない。織田信長の天才的な政略手腕も秀吉のような天才的な戦術能力も持ち合わせていないし、それを百も承知している家康は、時間の経過に己の運命を委ねて極めて常識的な手堅い政治手法と大名達の人脈をたぐって組織固めを行った。

結果として運命は武家の権力を手に入れ、徳川家の存続繁栄だけを目指した家康に微笑んだ。信長は明智光秀の謀反に倒れ、秀吉は頂点に立った後は場当たり的な暴挙で自滅した。日本の歴史は既存の勢力分布を温存することを選んだ家康を望んだのかもしれない。

ところで明智光秀の謀反は信長と光秀という2人の個人の問題として語られてきたが、実際にはそんなに単純なことでもないのだろう。明智光秀は室町幕府の再興を目指していた守旧派の秀才で信長の目指す新体制とは全く相容れない。

おそらくは信長の目指すところを理解どころか思いを馳せることもできなかっただろう。信長と相容れずに自身の信条と主である信長の間に立って揺れ続ける光秀の力をうまく使って信長を倒すことを企てた者と言えばそれは朝廷あるいはそれに極めて近い貴族勢力だったんだろう。これらの貴族勢力は15代室町将軍足利義昭も利用したのかも知れない。

結局、あまりにも当時の日本の既存の政治勢力から遥かにかけ離れた新体制を目指した織田信長という稀代の天才的政略家を時代は選択しなかったということになるのか。それにしても信長がもうしばらく生きていたのならどのような支配体制を作り上げようとしたのかそれを考えると興味は絶えない。