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「翼の向こうに」は連載を終わりました。ずい分長い話でしたが、最後まで読んでいただいた方には厚くお礼を申し上げます。そもそもどうしてこんな話を書く気になったのか、それを話すとまたとても長くなりそうなのですが、一口で言えば当時の日本はどうしてあんな全く勝算のない無謀な戦争を始めたのか、それが知りたかったのです。

ただ、それを自分なりに当時のことを理解してまとめるとなるとそう簡単なことでもなかったようで、それなりの結論に至るまでには長い時間が必要でした。一つの結論として導き出されたのは、日本人が長期的な展望を踏まえたうえで自分の側に有利なように強かにそして変幻自在に相手と渡り合いながら物事を進めて行く能力に欠けるのではないかということでした。

元来日本人は劇的な変化を嫌う穏やかで優しい民族だと思います。しかし、その分、何かに追い詰められると感情的になり易く冷静な判断力を失ってしまうきらいがあるようです。そしてそれは今もほとんど変わっていないように思います。作中でも零戦に例を取りましたが、僕はあれは兵器として見た場合名機でも何でもないただの欠陥機だと思っています。あの戦闘機が出来たために日本海軍が開戦に自信を得たと言うのなら、あの戦闘機は日本を滅亡へ導く一助となったとんでもない代物なのかも知れません。

当時、航空機産業は米国の模倣の域を脱することが出来ず非力なエンジンしか開発生産出来ない日本が速くそして遠くまで飛ぶことが出来、他国の戦闘機を圧倒する火力と運動性を備えた戦闘機を作り上げるために選んだ道は防弾を省くことだったのです。そのために戦闘が激化すると敵弾を受ければ簡単に燃える零戦を主力戦闘機として使用せざるを得ない日本は多くの熟練搭乗員を失うことになりました。あの戦闘機が活躍したのは本当に開戦の初期のみで後はその飛行性能と防弾の欠如から無謀な作戦の原因となり多くの死ななくても良い搭乗員を死なせ、海軍を敗戦へと追い込んだのです。

もちろん戦に負けたのは零戦のせいではありません。どんな武器もそれ自体が勝手に戦争を始めることはありません。戦争を始めるのは人間です。だから自分たちが力を尽くして開発した戦闘機に十分な武装と防弾を施してそれで欧米の戦闘機と拮抗できないのなら素直に己の力のなさを認めるべきだったのだと思うのです。そして地道な技術開発を続けて欧米と対等な立場になるための努力をすべきだったのです。防弾を施すことを主張する一部の技術者の意見を「命が惜しいのか」という一言で封じてしまうことがすでに客観的な事実を認識することを捨てて冷静な進歩への道筋を放棄しているとしか言いようがないと思うのです。

日本はあの当時もっと強かに欧米列強と交渉で渡り合うべきだったのだと思います。最後の最後まで粘り強い交渉を続けていれば道は開けたのだろうと思います。少なくともあと数ヶ月米国との交渉が続いていればドイツが東部戦線で敗北したので日本の態度にも変化が現れただろうと思うのです。相手が敢えて攻めて来るのなら武力の行使も仕方がないのかも知れませんが、中国相手の戦争で国力を疲弊させていた非力な日本があの時期敢えて世界を相手に戦争を始めること自体、感情に支配された自殺行為に他ならないように思うのです。

それが個人のことであるのならやむを得ないことなのかも知れませんが、多くの国民の運命を背負った国家の取るべき方策であったことを考えるといかにも場当たり的且つ稚拙な選択と言わざるを得ないのです。今当時の記録がいろいろと明らかになってくると日本などはほとんど米国に弄ばれる様に戦争へと向かって行ってしまったように思えます。

国力のない国が生き残るためには少なくとも知恵では相手を上回っていなくてはならないのに知恵比べでも完敗ではやはり当時の日本は崩壊へ向かってまっしぐらに落ちて行く以外にはなかったのかもしれません。だからこそまず我々はもう少し知恵をつけるべきなのだと思うのです。ただお人好しではない強かでしなやかな知性を以って自分達の未来を切り開いて行くべきなのだと思うのです。

当時の日本が総力を尽くして開発した決戦戦闘機である零戦が片手落ちの欠陥機であることを知った時日本は己の力を知り後に引く勇気を持つべきだったのです。敵を打ち破るために血の滲むような訓練を続けている軍隊が主敵としている相手に勝てないことを認めることは悲しいことだろうし勇気のいることだと思います。それでも事実を事実として認識し、感情的にならずにそれに沿った方策を冷静に考えていくことが大事なことだろうし、必要なことなのだろうと思います。

当時の主敵の米国とは今では一心同体のような同盟関係にありますが、やはりあまり利巧とは言えない米国に主導権を握られたままのようです。勿論どちらが主導権を握るかと言うようなことではなく日本には日本の立場があるのでしょうから、それはそれではっきりと相手に主張してその上で双方の最大公約数を探り合っていくことが外交交渉だろうと思うのです。そういうことが出来る日本人と言うのが本当に少ないように思います。それは能力だけの問題ではなく国民性や習慣の問題もあるのだろうと思いますが。

以前米国に初めて「ノー」と言った首相と言うのが話題になりましたが、その首相は驚いたことに本当に一言「ノー」と言ったきりで後は何もしないで辞めてしまったようですが、交渉と言うのは相手に「ノー」と言ったところから始まるのだと思います。

これから先日本と言う国がどうなって行くのか決して楽観を許されない状況がありますが、そんな時こそ我々は過去の失敗を糧として同じ間違いを繰り返さないようにそのためにはどうすべきかを考えていかなくてはいけないのだろうと思います。

なお、この物語に登場する人物はすべて架空の人物です。実在の人物とは全く関係はありませんので一言申し添えます。