「なるほど英語の意味は良く分かりました。確かに主任と僕は少し生活のスタイルが違うかもしれませんが歩み寄ることは出来ると思います。」
この期に及んで未練がましい奴だ。お前とは歩み寄る余地はない。
「あのね、私はね、外側は女の格好をしているけど中身は男なの。だから伊藤さんを好きになることは普通のことで異常でも何でもないの。却ってあなたを好きになることの方が一般的には異常と言えることなの。」
僕は何時までも現実を認めようとしない脳天気に本当のことを言ってやった。
「凶暴さと強引さは男以上かも。」
クレヨンがまた僕に続けて余計なことを言った。
「お黙り。後でひどいわよ。」
僕はクレヨンを睨みつけてやった。
「確かに佐山主任は最近男以上に男らしいかもしれないわねえ。」
いきなり北の政所様が顔を出した。
「でも男勝りはあり得ても中身が男と言うことはあり得ないわね。それよりも伊藤サブと佐山さん、ちょっと来てくれる。他の人は特に用事がなければもうお帰りなさい。」
北の政所様はそう言うと手招きして女土方と僕を呼んだ。僕はクレヨンに「あんたは私が戻るまでここで待っているのよ。」と言いつけておいて北の政所様の後について行った。打合せ室に入るなり北の政所様は「例の企画はどうなの。」と僕に聞いた。
「企画としては興味あるものと思っています。ただ一部はもう市場に出て商品化されています。ガーデニング留学とかそう言った類です。今後の問題は企画の内容ももちろんですがどうして質の良い受入先を確保するかと言うことになると思いますが、趣味だけでなく工芸や料理、酪農などの農業、漁業などの産業でも可能だと思います。こちらから行くばかりでなく外国から受け入れるということも可能かと思います。ただしその場合、当然身元の保証と言う問題をクリアしなくてはいけないと思いますが。まだまだ緒についてばかりの企画で、受入先の問題やコラボの相手先など問題はありますが今後の可能性については大きい企画だと思います。」
「確かに可能性はあるのかもね。でもまだまだ詰めなくてはいけないことがありそうね。それとこれまで語学教育という事業で生き抜いてきたこの会社の社風に余暇や遊びという要素が簡単に受け入れられるかどうかも一つの問題でもあるわね。いいわ、来週の役員会までに企画の概要と現状、可能性、問題点を取りまとめておいて。」
北の政所様は僕が渡しておいた簡単な報告書を見ながらそんなことを言った。そしてすぐその後に「うちの部門は出来たばかりですぐには利益を出すことが出来ないわ。研究企画部門とは言っても営利企業なんだからどこかで利益に結びつかないとそういうところを突かれる可能性があるの。しばらくは仕方がないと思うけどその辺を頭において仕事を進めてね。それと室内で個人的な問題を起さないようにお願いね。私的なことも業務上のことも。」と付け加えた。
「それって私とあの営業から来た彼のこと。」
僕は百も承知していることだったが敢えて北の政所様に聞き返した。
「その件については向こうに言って欲しいわ。私は何もしていない。全くの被害者よ。今までの分だけでも刑事告訴できるくらいのことはされているわ。これが双方向的なトラブルという認識はして欲しくないし、そうだとしたらそれは間違いよ。出来れば人を換えて欲しいくらいだわ。」
『問題を起さないように』と僕自身に言われたことにちょっと怒りが込み上げて来て突き放すような言い方で苦情を言ってしまった。
「出来たばかりなのに人を換えることは出来ないわ。だからお願いしているの。」
北の政所様は少しトーンダウンした言い方に変えて来た。
「私は端から問題なんか起す気はないわ。ただ普通に仕事をしようと思っているだけよ。勝手に横恋慕みたいなことを仕掛けて来てありもしないことを言いふらされるこっちの身にもなってみて。少しくらい負の噂が立ったからといって傷つくような年齢でも境遇でもないけど自分に責任のないことで中傷されるのは真っ平だわ。」
僕が怒り出したので北の政所様と女土方は困ったように顔を見合わせた。
『何でもかんでも始末に困るようなのを私に押し付けるのは止めてちょうだい。』
僕はもう少しでそう言ってしまうところだったのを女土方の『めっ!』という視線で気がついて言葉を飲み込んだ。そうだ、始末に困る第一号クレヨンは北の政所様の娘だったんだ。
「私もよく注意していますから大丈夫です。佐山さんと彼を二人きりにするなんてことがないように気をつけますし、私からもそれとなく彼には言っておきますから。」
女土方は模範的なことを言うが、彼女が気をつけるのは主として僕の方で営業君については誰が何と言ってもあの他人と相容れない脳天気振りではだめだろう。その辺はさすがに僕も理解した。