この一言で政府与党には逆風が吹きまくっているが、女性は子供を産む機械等と言ってはいけない。子供を産むという行為は本当に命がけの尊い行為なのだから。子供を産むなんてあんなことは男にはとても出来ないし、そんな勇気も出そうにない。自分の体の中に別の生き物がいてそれが動いたりしたら、それだけで気が狂ってしまうかもしれない。

 ある書物に男性がお産をしたらほとんどの男は死んでしまうと書かれていたが、女性はお産をするので痛みに対して強い(悪く言えば鈍感)らしい。確かに男の方が痛みに対して敏感(言い換えれば痛みに弱い)のかもしれないが、それはそれとして子供を10ヶ月も自分の体の中で育ててそれを外に産み出すという行為は随分大きな負担だろう。子供を産んで頭髪や陰毛に白髪が混じったなんて話も聞いたからかなりの負担を強いるんだろう。

 それと共に男が驚くのは子供を産んだ女がいきなり母に変わってしまうこと、母になると言うよりも母性本能むき出しの動物のようになってしまう。でもそれも子供を産んでそれなりに成長するまで育てると言う行為が並大抵のことではない証拠かも知れない。それに比べれば男なんて意気地のないもので子供を産んだ女の傍でおろおろうろうろするくらいで父親なんて自覚はかなり先にならないと生まれ出て来ない。

 ただし、生まれて出て来た子供を育てるのは男にとって経済的に大きな負担だろう。子供を大学まで進学させるとしたら普通の勤め人ではいくら頑張っても3人までだろう。それ以上は無理かもしれない。この国は子育てに金がかかりすぎる、あるいはかけ過ぎるのかもしれないが。教育というものはそれなりに金がかかるのかもしれないが、その辺を何とかしないと出産数は増えていかないかも知れない。

 産休などはずい分と取り易くなっているようだし、子供を産んで育てる環境は改善されているのかも知れないが、子供の虐待や子殺しなど子供を産んで育てる資格のないような人間が増えているのも残念ながら事実なようだ。それに何十年か先に国の規模が縮小するなんてことを言っても元々国家という概念の薄いこの国で、しかも戦後の教育で益々自己中心的になっている人間達にそれを言っても無駄なことかも知れない。

 今でもそうなんだが、これから先、日本はいろいろな人種が入り込んで多民族国家の様相を深めていくのかも知れない。日本が一国家、一民族、一文化、一言語と言ってもそれは国家統一のために作られた印象で、今の日本も幾つもの民族が混在する多民族国家なんだからそれも良いのかも知れない。