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 戦後の日本人は高瀬が言っていたとおり、たとえそれが誰であれ長には忠実というその性格を遺憾なく発揮して宿敵だった米国に忠節を尽くし、見事な復興を成し遂げた。しかしやはり戦後の復興をどのような形で成し遂げていくかということについては誰もがその到達点やそこに至る過程を具体的に明示することが出来なかった。

 豊かな生活というのは確かに戦後の復興を進めるうえで一つの到達すべき目標だったかもしれない。しかし一体どんな生活が豊かなのか、豊かとは一体何なのか、それを誰もがつかみ切れないままに日本人はその豊と言う抽象的な概念をただひたすらに追い続けた。

 戦後の日本は奇跡の復興と世界を瞠目させ、確かに世界でも稀に見る豊かな生活を実現させたが、豊かさということについて何一つ具体的なものを持たなかった日本人は自分たちが享受している世界でも稀なほど豊かな生活に満足することはなかった。

 その結果、日本人は何が足りないのか分からないまま欲求不満を膨らませ、慢性的な飢餓感に駆り立てられて走り続け、最後には金満長者を気取ってマネーゲームに明け暮れて、投機の対象になりそうなものには端から不相応な評価を与え、裸の王様よろしく見事に破綻した。

 しかしあれだけ見事に破綻してもこの国はまだまだ余裕を残しているのに、やはり誰もが自分達の未来を具体的に描ききれず羹に懲りてなますどころか、氷菓子まで吹きまくって萎縮し切っている。世界でも有数の豊かな生活と身近に脅威を感じることのない平和な社会、あとは自分自身の生き方があればそれで十分だろうと思うのだが、やはりこの国には何事につけても価値の基準を定めてくれる長が必要なのだろうか。

 若しも日本人が自ら自己の価値観を創出することが出来るような人種であったら、近代日本はどのように発達してきただろうか。ビジョンを持ってしなやかに強かにそして冷静に目的に向かって進んでいくようなそんな日本人だったら。だが、私にはそんな日本人はいるとは誰一人として思いつかなかった。

 ホテルからタクシーで機体を預けてあった空港の整備会社に向かった。そこで料金を支払うと燃料を満載した機体を受け取った。整備員に手を貸してもらって後席に身の回りの物を入れた小さなバッグを放り込むと操縦席に乗り込んだ。管制塔から離陸の許可を受けて私は空へと舞い上がった。高度を四千まで上げると私は機首を南西に向けた。

 絶望して死を選ぶつもりではなかった。私は精一杯自分の時間を生きて来たのだから。ただ体をチューブで縛られて病院のベッドで最期の時を迎えたくはなかっただけだ。動けるうちに自分の身の始末をつけておきたかった。

 所々に白い雲の浮んだ空は当時のままだった。その雲の間に喜界が島が見えてきた。忘れもしない光景だった。私は胸のポケットをそっと撫でてみた。そこにはあの時掬い上げて麻のハンカチに包んだ土がそのまま入っていた。

「ずい分遅くなってしまったけれどやっとみんなのところに行くことが出来る。」

 私はもう一度ハンカチに包まれた土を撫でた。そして少し機首を上げた。爽やかな気分だった。頭上の断雲を抜けると喜界が島から遠ざかるように大きく旋回した。そして適当なところで大きく翼を振って機体を反転させた。海と空が私を軸にして入れ替わった。

 その時、私の周りに紫電の編隊を見たように思った。山下隊長が、高藤飛曹長が、安藤大尉が、竹本中尉が、私よりも一足先に翼を翻して急降下して行くのが見えたような気がした。そして最後に胴体に大きな金色の十字架を描いた高瀬の紫電が翼端から白い水蒸気の筋を引いて急降下して行った。

「迎えに来てくれたんだな、みんな。」

 私はそのままゆっくりと操縦桿を手前に引いた。空は徐々に視界から消えて目の前には蒼く輝く海がだんだんと大きくなって私に向かって近づいて来た。