「辛いな。」
私を遮って飛行長は一言そう言った。
「生き残るってことがこれほど辛いとは考えもしなかった。」
私は飛行長に答えることが出来ずに黙っていた。
「武田中尉、貴様はこれから何をする。」
「それを聞きにここに参りました。私は俄か雇いの予備士官で職業軍人ではありません。戦争が終わったらやりたいことが山ほどあったような気がしていたのに、実際に戦争が終わって海軍が消滅してしまったら、何を拠り所に何をしたらいいのか分からなくなってしまいました。私は戦争を憎んでいました。そして軍の不合理を嫌悪していました。
しかし、そういう気持ちとは裏腹に戦っている時の自分はこれまでになかったくらいに真剣で充実していたように思います。しかも、どこかで海軍という組織に惹かれ、自分が海軍軍人であることを誇りに思い、自分の拠り所にしていたような、今になって思えばそんな気がします。
高瀬が戦死しても、妻が空襲で死んでも、戦が続いている時は自分には負うべき任務があり、自分も何時でも彼等のそばにいけるように思えたので、それほど辛いとも感じませんでした。しかし、こうして戦が終わってしまうと、海軍は消滅し、我々が命を預けて戦った紫電も敵にゴミのように燃やされ、高瀬や妻も、もう二度と手の届かない遥か彼方に去って行ってしまったように感じます。今、急に生きろと言われても私にはどうして生きればいいのか分かりません。飛行長、我々はどうしたらいいのですか。」
「俺にも分からんのだよ。分かることといえば生きることが何と辛く苦しいのかと、それだけだ。ただな、どう生きればいいのか分からないのなら、しばらくは何もしないで様子を見ようと思う。今、この国は混乱の極みにあるが、しばらくすれば落ち着いてくるだろう。
まあ、今は生きていくことさえも容易なことではないのかもしれないが、戦が終わってしまった今になって死んでみても何もならんだろう。生きていればそう遠くない将来、それぞれまた生きる道が見えてくると思う。そうしたらその方向に向かって生きていけばいい。俺はそう思うよ。それが貴様の問いかけに対する答になっているかどうかは分からんが、今の俺にはそれしか言えない。」
私たちはずいぶん長い間黙り込んでいた。部屋には何時の間にかすっかり秋らしくなった柔らかな日差しが差し込んでいた。
「おい、ちょっと外に出てみないか。」
飛行長はそのまま外へと出て行った。私は黙って飛行長の後を追って外に出た。米軍が整備した滑走路や格納庫にはもう紫電の姿はなく、米軍の航空機が並べられていた。
「覚えているか、初めて横須賀の料亭で顔を会わせた時のことを。あの時、貴様たちの言うことを聞いて頭がおかしくなりそうだったよ。同じ海軍士官の軍服を着ている者がどうしてあんなことを口にするのかと。俺達は意思を完全に統一されて、そうして組織を構成する人間が意思を統一することは組織を円滑に動かすためには最良の方法だと信じていたからな。それを貴様たちはとんでもないことを公言して憚らない。どうしてこんな奴等が海軍士官の軍服を着ているのか、あの時の俺には分からなかった。」
「生意気なことばかり言いまして。」
私は飛行長に向かって頭を下げた。
「俺はあれから今度の戦をいろいろ考えてみたが、組織の意思を統一する前にしておかなければならないことがあったんじゃないかと思うようになったよ。議論だ。いろいろな立場から意見を出して議論をすべきだった。それぞれが考え抜いて智恵を絞って意見を出し合って、そうして搾り出した意見を検討して結論を出すべきだったんじゃないかと。
始めから情況を設定して、それについて意思の統一をしておけば確かに結論を出すのは早い。多かれ少なかれ誰もが似通った意見を持ち出すからな。しかし、それでは想定していない事態には柔軟に対応が出来ない。今度の戦を戦ってそのことを思い知ったよ。
しかし、俺の目を開かせてくれたその戦で日本は壊滅的な打撃を受けて、これからの日本を背負っていかなければならない若者を大勢殺してしまった。山下や安藤そして高瀬、高藤、竹本、多田、みんな純真な心とすばらしい才能を持った若者たちだった。そして貴様の奥さんも。優しい心を持った日本女性だった。戦は何時もそうして若者や国民に残酷な負担を強いる。後に残るものは殺戮と破壊とそして空虚な喪失感だけだ。
我々はそんなことは何も考えずに図面の上で定規やコンパスを広げては硬直した戦術議論に明け暮れて本当の戦争の実態を見ようともしなかった。いや、金科玉条に凝り固まった頭では実情を正確に見ることも出来なかった。そうして大勢の若者や国民を戦火の中に投げ込んでしまった。そんな自分たちこそ死ぬべきだったのにこうして生き残ってしまった。それを考えるとこうして自分が生き残っていることが何よりも辛い。」
私たちは格納庫の前を通り過ぎて何時の間にか診療所壕のあったところに来ていた。爆撃で大きく抉られた土は何時の間にか生い茂った野菊に覆われていた。そして粗末な慰霊塔が肩をすくめるように立てられていた。
「私が偵察の彩雲を庇って負傷した時、高瀬が倶楽部にやって来てこの戦争や学問について話していきました。高瀬は今度の敗北の原因は国力や戦力も劣っていたこともあるが、それ以上に日本は文化や知性でも米英に及ばなかったからだと言っていました。
奴はこの戦に生き残れたら今回の戦についてしっかりと見直してみる。そして二度とこんなことを繰り返さないために、この国の特質と、そして教育や学問の意味と役割についてもう一度よく考えてみるとそう言っていました。
戦争は悪かも知れませんが、自分自身そう思いながら、戦っていた時はこれまでにないくらい真剣で充実していました。それが戦に負けて海軍が崩壊してしまってからは支えが外れたようになって忘れてしまっていましたが、今ここに来てあの時高瀬が話していたことを思い出しました。とりあえず大学への復学を考えようと思います。私は戦闘機乗りとしても学究としても高瀬のように優秀ではないかもしれませんが、せめて生き残った者の義務としてこの戦争を考えてみようと思います。」
「そうか、それもいいことだ。戦争の惨さ、悲惨さは実際に弾の飛んでくるところで戦った者にしか分らんからな。俺は部隊の葬儀を済ませたら、東京に出て海軍航空戦史の編集をすることにするよ。米軍さんからお誘いがあったんでな。海軍しか知らない俺達には君たちのように学問なんてしゃれたことは出来ない。せめてこの戦争を研究する者のために正確な戦史を編集しておこうと思う。」
私は壕があった場所に踏み込んで行って土を一掴み掬い取ると麻のハンカチにくるんでポケットに入れた。
その日の午後、私は部隊を離れた。こうして私の海軍軍人としての生活も戦も終わった。実家に帰ってからしばらくして私は大学に復学した。大学には私のように軍隊を離れて復学した者があふれていた。中には兵学校や士官学校からの編入組もいた。そんな者たちが集まって会社を興したのは最初に話したとおりだ。