そして八月九日、ソ連が中立条約を破ってソ満国境を越えてなだれを打って南下を開始したという知らせが入った。その日の昼前、長崎の方向に光が走り、その後空がなんともいえない不気味な濁ったオレンジ色に染まった。全員が滑走路脇に出て空を見つめていた。
「この間、広島に落とされた新型爆弾じゃないのか。」
そんな囁きがあちこちから聞こえた。それからしばらくして長崎が広島と同じように一発の爆弾で壊滅したという知らせが入って来た。
「原子力爆弾。何かの本で読んだことがある。ウラニウムという物質が分裂する時、莫大な熱エネルギーを放出するとか。日本では理論上のこととしか認識していないようなものを、まさかそんものを敵は開発していたのか。」
高瀬は指揮所の椅子に体を投げ出すように腰掛けるとため息混じりにつぶやいた。
「ソ連も中立条約を無視して宣戦布告してきたようだ。」
「卑怯な奴等だ。」
私が拳を握り締めると高瀬は飽きれたように笑った。
「条約なんか律儀に守っている方がお目出度いんだ。特にソ連とドイツなんか、これまで何度条約を一方的に破ってきたことか。そんなものを信じて縋っている方がお目出度いんだよ。」
高瀬は目を瞑った。そしてしばらく黙っていたが、やがて目を開くと立ち上がって焼け焦げたような色をした空を見上げた。
「いよいよだな、時が動く。」
高瀬はそれ以上何も言わずにまた椅子に深々と腰を下ろした。高瀬が終戦を言っていることは明らかだったが、我々には徹底抗戦か終戦か、この先はただ成り行きを見守る以外にはなかった。その日の夕方、飛行長から「翌日から稼動全機を以って敵を迎撃する。各員、皇国の御盾となって帝国海軍の誇りを汚さぬよう生死を省みず勇戦敢闘せよ。」との指示があった。誰も言葉を発する者はなかったが、心の中では誰も死を決していたようだった。私自身もこれで死ぬんだろうと覚悟を決めたが、差し迫った実感に乏しかった。
翌日、早朝から戦闘機が滑走路脇に引き出された。稼動全機といっても二十五機、最盛期の一個飛行隊分だったが、それでも久しぶりに滑走路に並んだ戦闘機の群れは壮観で頼もしかった。目を引いたのはどの機体も塗装が直され、胴体と翼に何時もより一回り大き目の日の丸が鮮やかに描かれていたことだった。
「何だ、死に化粧か。」
誰かが大声をあげたのに待機していた搭乗員が沸き返った。
「山下隊長の弔い合戦だ。」
「いや、海軍の弔い合戦だ。」
「海軍は死んではいないぞ。俺達が生き残っている限り健在だ。」
「広島と長崎の弔い合戦だ。」
戦力は隔絶してしまっているばかりでなく兵器の性能も大きく水を開けられ、更にはその劣勢な戦力自体が枯渇している国の軍隊がまだこれほどの士気を保っていることはある意味では驚異だった。確かに部隊としては敵と互角以上に渡り合ってはいたが、それにしても誰もが明るく振舞い、敗戦続きの陰惨さなどは微塵も感じられなかった。その日、我々は終日戦闘体制で待機し、午前と午後の二回稼動全機で制空飛行を行ったが、敵機の来襲はなく戦闘は行われなかった。
翌日も同じように早朝から戦闘体制で待機していた我々は沖縄を発進した敵の戦爆連合約百機が接近中との情報を得て空へと舞い上がった。発進前の司令の訓示は「徹底的に撃墜せよ。」の一言だった。味方は一緒に上がった他の部隊の零戦を合わせて約五十機、これまで温存していた航空機と燃料を大盤振る舞いしたような出撃だった。
上空で待機して待ち構えていた我々の戦法を見越していたのか、敵は七、八十機の戦闘機をぶつけてきたが、会敵した後の戦闘は例によって呆気ないほど短時間で終わった。敵は対空砲火を避けようとしたのか、比較的高い高度で投弾すると退避して行った。それに合わせるように敵の戦闘機も我々に深く絡みつくことなく、爆撃機が退避したのを確認すると早々に引き上げて行った。味方は七機を撃墜した代償に五機を失った。これが部隊としての組織的な最後の戦闘になった。
翌日も散発的な攻撃や偵察機の飛来はあったが、味方が迎撃に上がると飛び去ってしまい戦闘は行われなかった。敵の行動が意識的に戦闘に深入りするのを避けようとしているかのようで、そのことが我々を戸惑わせた。中には敵がかかってこないならこっちから敵に殴り込みをかけようと威勢のいいことを言い出す者もいたが、散発的な特攻は続いてはいたものの全滅を覚悟でたった一回だけの攻撃ならとにかく、この先の戦闘の継続を考えると我々にそんな余力がないことは誰の目にも明らかだった。
毎日同じような状態が続いた。敵機の来襲はあるものの、その攻撃は決して積極的とは言えなかった。敵は高高度又は遠距離で投弾しては飛び去っていった。敵襲は五月雨的に終日続いたために我々は緊急発進を繰り返したが、一部が敵機に射弾を浴びせて白煙を吐かせたのみで撃墜はなかった。
八月十四日の早朝も我々は戦闘待機のため待機所にいた。そしてこれまでのように食いついてこない敵機を捉えて撃滅する方法を議論していた。空中で待機していてもうまく敵機の来襲時を捉えることができないと返って不利な態勢で敵襲を受けることにもなりかねないし、部隊を分散して空中待機をするほどの稼動機数もなかったことから結局は敵襲の情報を得たらできるだけ早く発進して有利な態勢で迎撃するというこれまでの方法を取らざるを得なかった。
戦闘配食の握り飯を食べ終わってちょうどそれぞれに寛いでいる時だった。拡声器が大村湾へのPBYの侵入を告げた。出漁中の漁船などが攻撃を受け被害が出る恐れがあると指揮所は付け加えた。
「三小隊、出るぞ。」
高瀬は山下隊長の後を引き継いだ木村大尉を振り返った。木村大尉は黙って頷いた。私は老人と少女が無残に撃ち砕かれたあの時のことを鮮明に思い出した。もろ肌を脱ぐように引き下ろしていた飛行服を元に戻すとマフラーを巻き直し手袋をはめて島田一飛曹に目で合図をした。島田一飛曹は黙って頷くと列機に手で合図をしてから立ち上がった。誰もがこの任務を「ちょっと横丁までお使い。」といった程度に考えていた。それでも立ち上がれば行動は素早かった。我々八機は空中に上がると真っ直ぐに大村湾を目指した。