「うん、楽しかった。今まで考えていたことを、全部ではないにしても大筋は話すことができた。まだまだ未熟な考えだがな。これからまた行ったり来たりして纏め上げていかなくては理論にもならんな。まあそれもその時間を与えられたらの話だが。しかし楽しかった。
それからな、神のこと、あれから色々考えてみたんだが、正直なところを言えば、俺はこの世に神様がいるとは思っていない。もしも敢えて神の存在を問うのなら、それは人間一人一人の心の中に問うべきなんだろうと思う。我々が神と言おうとしているものは人間が望み得る最高の良心であり、そして優しさなんだろう。どんなに力を尽くしてみても人がその領域に達することは絶対に不可能なんだが、常にその良心や優しさに向き合って自分を律していくことが信仰なんだと思う。
それとな、無力な神と智枝さんがそう言っていた例の話、俺はな、色々考えてみたが、神は無力なんじゃない。神を無力と言うことは、それは俺達自身が何も出来ない無力な、そしておろかな生き物だということになってしまう。だから神は、俺たち人間に自分で力を尽くせとそう言っているんだ。自分で自分が抱えている問題と向き合って、力を尽くして答えを出してみろときっとそう言っているんだよ。彼女もそれが理解できたからこそ、今ここでこうしているんだと思う。」
高瀬は穏やかに笑った。そして湯飲みを取ってゆっくりと口に運んだ。その時玄関の開く音が聞こえて小桜が入って来た。
「負傷された方が多くて遅くなりました。今すぐに何か支度しますから。」
小桜は土間で私たちに声をかけた。
「ああ、それから高瀬中尉、佐山飛行長から伝言です。『翌朝、○七○○に指揮所に出頭せよ。』」
「高瀬中尉、翌朝○七○○、指揮所に出頭します。」
高瀬は弾かれたように立ち上がると命令を復唱した。その大げさな様子に小桜が笑い出した。
ささやかな夕食が終わると小桜が薬を取り出して渡してくれた。それを飲み込むとむやみと眠気が差してきた。
「眠い。少し目を瞑っているから適当にやっていてくれ。」
私は高瀬に断わって体を横たえて目を瞑った。
「どうしたんだ、急に。」
高瀬が小桜に尋ねる声が聞こえた。
「市川軍医が『よく休めるように。』と睡眠薬を処方してくれました。」
「そうか、命を投げ出す覚悟をしたんだ。きっと疲れているんだろうから、それも良いのかも知れない。」
それからしばらく器の触れ合う音や小桜が居間と土間を往復する足音が聞こえた。
「武田がこれではここにいるのはどうも具合が悪い。智恵さん、ぼくは部隊に戻るよ。」
高瀬の声が聞こえたがその辺りから私は急速に眠りに落ちていった。朦朧とする意識の中で高瀬を留めようとする小桜の声が聞こえたような気がするが、それから先は深い眠りへと落ちていった。
翌朝、目が覚めたときは高瀬も小桜もすでに出かけたようで姿がなかった。独り残された私は手持ち無沙汰を持て余していたところに軍電が鳴り響いた。電話を取ると司令部からだった。敵の機動部隊が接近している。大規模な空襲をかけてくる恐れがあるので非常呼集に応じられるよう待機せよということだった。空襲をかけられても反撃はおろか、これを撃退して守りきる戦力もなかったが、戦闘が継続されている以上見敵必戦は海軍の信条だった。
私自身も午後には自主的に部隊に戻ろうと思っていたので渡りに船とばかり司令部差し回しの側車に乗り込んで部隊へ戻った。基地は一見静かだったが各部隊は搭乗員が集合し、そこここの掩体では出撃に備えて機体の整備が行われていた。
「機動部隊を発見したら機先を制して乾坤一擲の特攻攻撃をかける。今偵察機が捜索中だ。」
司令部は力んでいたが相変わらず夢物語のような敵機動部隊撃滅に力瘤を入れている司令部には反感を通り越した白々しさを感じた。結局その日は一日中厳戒態勢が続いたが、午後に沖縄から飛来した陸軍機の散発的な攻撃があっただけで敵機動部隊接近の兆候はなく、早朝からの努力は空振りに終わった。高瀬がヒントを与えた防空部隊は来襲する敵機に果敢に反撃して一機を撃墜、他にも数機に白煙を吐かせて撃退して気勢を上げていた。私自身はさすがに搭乗割には入れてもらえず指揮所の雑用や対空見張りの指揮で一日を終えた。
夕方遅くになって索敵に出ていた偵察機が戻り始めたが、哨戒の敵戦闘機に遭遇して未帰還になったものもあり、日没とともに警戒態勢解除になった基地にも安堵の中に一抹の寂しさが漂っていた。この後も沖縄海域の敵艦隊に対する散発的な特攻攻撃は終戦まで続けられたが、二度と大規模な海空戦が生起することはなかった。本土決戦に備えてなけなしの航空戦力は温存され、日本の空はほとんど敵のしたい放題という状態になってしまった。我々の部隊は西日本に展開する海軍航空隊の中でも唯一と言ってもいい制空隊であったことから、敵機来襲の報があれば迎撃には飛び立ったが、その活動は燃料や機材の不足から低調にならざるを得なかった。
私たちは自嘲的な意味もこめて自分たちの攻撃方法を『落穂拾い』と呼んだが、それは押し寄せる敵の一梯団を選んで急襲的な一撃をかけ、後は数に勝る敵に取り込まれないように一目散に逃げる戦法だった。私は戦闘空域に留まるのは五分、長くても十分を限度として、その間敵の侵攻能力減殺のため、できるだけ多くの敵機に損傷を与えることを目標とし、あえて撃墜には拘らなかった。そうして戦力の温存を図っても戦えば損害は当然のように発生したし、それはほとんど補給の途絶えかかった我々には決して小さなものではなかった。
7月の末には搭乗員の総数は最盛期の半分以下に減り、開隊以来の搭乗員は山下隊長、高瀬、島田一飛曹や私などほんの一握りになってしまっていた。それでも山下隊長の戦意は少しの衰えも見せなかった。攻撃最優先を公言して常に部隊の先頭に立って戦っていた、死神も尻込みして近づかないように思えたこの戦闘機乗りにも最期の時がやって来た。
その日は沖縄から飛来したB二四の攻撃に向かったが、攻撃の半ばで護衛のP五一の急襲を受けて味方はばらばらに分断されてしまった。高瀬は空から降ってくるように攻撃をかけてくるP五一をうまくかわすと上昇しようと反転する敵機を捉えて撃墜していたが、私は後から後から降って来る敵の攻撃をかわすのが精一杯だった。
基地に戻ると他の小隊はまだ誰も戻っていなかった。高瀬が直卒した第三小隊は上空掩護だったので七機とも無事に帰ってきたが、攻撃を受け持った第一、第二小隊はかなりの損害を出していたようだった。第二小隊は七機が出て三機が未帰還、第一小隊は半数の四機が未帰還だった。その中に山下隊長が含まれていた。
「隊長はP五一の奇襲を受けて煙を吐きながら降下して行きました。隊長機には藤田上飛曹が付き添っていましたが、P公の襲撃が激しくて思うように掩護できず、隊長機を見失ってしまいました。」
直卒の三番機だった木下上飛曹が涙を流しながら悔しそうに報告した。九州の各基地に山下隊長機と藤田上飛曹機の不時着の有無について確認の電報が打たれ、部隊の全員が指揮所に集まって双眼鏡で四方の空を見張ったが、二機の行方は確認できないまま日が暮れようとしていた。誰もが暗くなって見通しの利かない空に双眼鏡を向けていたが、夕暮れの空は静まり返ったまま味方機帰還の爆音は聞こえなかった。二機はそれから三日間行方不明として扱われた後に戦死と認定され、山下隊長は功績抜群として二階級特進して中佐に昇進したことが全軍に布告された。