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「おい、武田、学問とは何だ。知識は何のためだ。」

 ただ、敵と戦うことしか考えていなかったこの数ヶ月間、高瀬と色々なことを話しはしたが、学問などに思いを馳せたことは一度もなかった。この戦いの最中に高瀬はとんでもないことを言い出し、その唐突さに私は戸惑ってしまった。

「え、学問。それは高度な精神的活動によって文化や技術を高めること、個人的には・・学問とは人に対する優しさだと思う。」

「貴様らしいな。急に言われても答えに困るか。一つのことに囚われずに普段からいろいろと思いをめぐらしておかなければだめじゃないか。

 まあ、そんなに肩肘張ったことじゃないよ。高度に専門的な学術研究とか先端技術開発のための研究なんて話じゃなくて一般的に高等教育としての学問のことだよ。高等教育としての学問とは何のためか、どうあるべきかと、つまりそういうことだよ。こんな時代に口にするような話題ではないかもしれないが。

 俺はな、こんなことを考えているんだ。知識とはものの形や重さを計る時に使う物差しや秤の目盛りのようなもの、学問とは物差しや秤に刻まれた目盛りの意味やそういったものの使い方を学ぶこと。知識をたくさん身に付けていればそれだけ物事を正確に捉え、客観的に分析することができる。しかしその目盛りの意味や使い方を知らなければいくら知識があっても宝の持ち腐れだ。だからこそ知識を使いこなすための指示書として学問が必要だ。

 社会科学、人文科学、自然科学、それぞれ目盛りの意味するところも違えば物差しや秤の使い方も違う。社会が複雑化すればするほど正確に自分を取り巻く状況を捉えて正しく分析するには色々な目盛りを振った物差しや秤が必要になってくる。また、ひとつのものを計るにもたった一つの物差しではなく、いろいろな測り方が要求されるし、そうすることによって事象の具体的な形が詳細かつ正確に把握できる。まさに高等普通教育とは、学問とは、そこに存在の意義も必要性もあるんじゃないか。

 職業教育は例えそれがどんなに高度なものであっても、話のついでだから稲作を例に取って話せば、稲を早く育てる方法とか、一本の稲に少しでも多くの籾をつけさせる方法とか、寒冷に強い稲を作る方法とか、病虫害を防ぐ方法とか、つまりはそれが非常に深く高度なものであっても、物事のある一部分を取り出してその部分だけに焦点を当てた教育だ。それは特殊な物差しであって一般的に広く様々な価値観を認識する基準としては不向きだ。また、その意思さえあれば、職業教育は一生何時でも学ぶ機会がある。
ところが普通教育のように今その場で必要のない学問はこの国では軽んぜられてきた。時としてこうした学問をしっかりと身につけた人間が必要とする時が必ずやって来るのに、中々そういうことに手間をかけようとしなかった。

 高等普通教育はそれをしっかりと身につけるのには手間がかかる。時間をかけて真剣に学べる時期は人生のある一時期しかない。いや、やろうと思えば出来るのかもしれないが、生活に追われるようになってしまえばなかなか機会を作ることは難しいし、どうしても目先の必要に目を奪われがちだ。しかも学んだらといっても、今その場の役に立つというものではない。努力して身につけても一生使わないものもあれば、使ってはいるのだが目に見えてそれに気がつかないといった類のものも多い。

 またこうした学問はすぐに役に立つように噛み砕いた知識ではないから取り組んでから自分のものにするには正しく理解して自分なりに整理するという手間もかかる。知識の量も半端なものでは役に立たない。そうして蓄積した知識を自分なりに使いやすいように整理して構成する。どのように構成していけばいいのか智恵を絞って考える。本当はそのことこそが大事なのだ。しかし、そうした手間がかかってすぐには役に立たない学問というのは実利を重視する社会では軽んぜられがちだ。芸術を学んで腹が膨れるか。数学を学んで家が建つのか。生き物を眺めて作物が実るのか。本来厳然と区別されるべき基礎的学問としての普通教育と実学としての職業教育のような専門教育を混同してそれを省みることさえしない。

 学ぶ方も目に見えて使い道のないと誤解されがちな普通学をいとも簡単に投げ捨ててしまって『高等教育など意味もない。大学を出ても実務の役には立たない。』と公言して憚らない。おい、学問とは目先の役に立つからするものなのか。高等普通教育とは他人から与えてもらうものなのか。確かに必要があって行われる職業教育と一般的には個人の教養と考えられている普通教育とでは目先の実効性ということでは大きな差があるかもしれない。あるいは普通学の場合、身につけた知識を使って何かをするというような機会は一生廻って来ないかも知れない。それでも高等普通教育を受けた者はその身につけた幅広い知識を駆使して、常に変化する状況に対して臨機応変に対応する能力を身に付けて今回のような国家の非常時に備えておくのが社会に対する責任だと思う。」

「それでは貴様は自分が学んだ学問が一生何かの役に立たなくてもそれでいいのか。それで貴様は納得できるのか。」

「学んだことが役に立ったと考えるか、立たなかったと考えるかは個人の考え様だ。教養を身につけて広い視野を持って一生を生きることができたと思えば、それはそれで立派に役に立っているんじゃないか。それにそうした知識やそれを身につけた人間を必要とするか、あるいは必要としないかは自らが決めるのではなく時代が選択するものだと思う。時代が必要としなかったら身に付けた知識は自らのものとして自分のために使えばいい。そして静かに一生を終われれば、俺はそれで充分満足だ。」

「それでは貴様のその考え方から言えば、今のこの時代は俺達を爆弾や砲弾の代わりに必要としているのか。」