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 話は戻るが、日本はむやみと精緻な作戦を立てたがったが、実戦で齟齬を来すとうまく修正が出来ずに敗れ去った。作戦なんか余計な小細工はいらない。単純明快な方がいい。例えば目的は敵の海上戦力、拠点の強襲は敵を引っ張り出すための陽動、そうしておけば現場が混乱しても誤解は生じない。そして齟齬を生じた場合も修正が簡単だ。

 強襲は改装空母に戦闘機を積んで制空をさせて戦艦部隊に砲撃をさせてもいい。機動部隊本隊はあくまでも敵の機動部隊を叩くために待機させておく。そう決めておけばミッドウェイみたいなことにはならなかったかもしれない。砲撃なんかしなくともいい、砲撃をするぞという姿勢を見せ付けておけばそれで充分だ。しかしこれもやはり艦隊決戦かな。

 海軍はハワイで勝って東南アジアを手に入れてから、精緻を極めた作戦を立てて圧倒的な兵力で勝って当然のミッドウェイに臨んで見事に負けた。本来ならその時できるだけ早急に根本的に以後の作戦を練り直すべきだった。それなのに、その後まだ性懲りもなくソロモンに出て行った。勝てる機会は、いや、講和に持ち込めるかもしれない機会はミッドウェイまで、そしてかろうじて互角の戦争はあの一連のソロモンを廻る戦いまでだったのかもしれないな。ソロモンで負けてからはもう誰がどうやってもこっちには勝機はなかった。

 しかしそれにしても日本は艦隊決戦の呪縛に縛られて硬直したように戦闘部隊ばかりを目がけて飛び掛っていったな。ハワイでもドックや重油タンクには目もくれずに艦艇や航空機にばかり攻撃を集中した。ソロモンでも郵送船には手を触れようともしなかった。そしてレイテ、ここでも手が届くはずもない機動部隊に向かって反転してしまった。潜水艦にしてもそうだ。機動部隊攻撃や泊地攻撃ですり潰してしまった。あれを敵の補給路の攻撃に向ければもっと戦果が挙がっただろう。

 戦の様相が当初の想定とは変わってしまっているのに、その変化を正しく把握して適当な修正をすることができずに、とうに筋を外れてしまっている規定の路線にしがみついて状況を再検討することもしない。負けてもその責任はうやむやにしてしまって原因の追及も検討もしない。もちろん、改善や修正なんかはこれっぽっちもない。やっと重い腰をあげた時はもう手遅れだ。感情的に強敵にばかり飛び掛ってゆく。

 戦艦だろうが空母だろうが敵には唯の消耗品だ。戦闘で喪失したら新たに建造すればいいだけの話だ。貧乏国とは基本的に考え方が異なる。物量、つまり生産力とそれを前線に持ち込む補給力、それが戦争の行方を決める鍵になっていた。そういう戦を戦いながら、海軍も陸軍も全く別に似たような性能の兵器を作って生産性を阻害させる。機銃も弾もお互いに融通することも出来ない。資源にしても生産力にしてもあきれるほど裕福で桁違いの敵を相手にしながらそうした劣勢を補う策もない。

 話が外れてしまったけれど、この国は予め計画して敷いたレールの上を走っている時は一丸となって極めて効率的かつ有効に物事を進めるのに、一旦そのレールが切れてしまうと状況を把握することも取るべき方策を考えることもしないで右往左往してしまう。レールがなくてもそこにトラックがあればそれに乗り換えてもいいのだし、自転車があればとりあえず自転車でもいい。何もなければ歩いてもいいんだ。目的は何かを明らかにしておいて手元にあるものをうまく利用して目的に向かって進む。そういうことが苦手なんだ、日本人は。

 その点アングロサクソンは強かだ。目的達成のためには手段を選ばない。あるものは何でも利用して目的を達成しようとする。そういうところは何所からその違いが来ると思う。俺はな、こんな風に考えるんだ。日本人は農耕民族だ。集団で米を作って生きてきた。米作りはそれなりに工夫も必要だが、基本的には毎年同じことの繰り返しだ。創意工夫よりも経験則が大事だ。苗を植え、田の草を取って、害虫を駆除して、じっくりと長い時間をかけて慈しむように育てる。それから作柄は天候に左右されやすい。天候は神頼みでどうにもなるものじゃない。だから創意工夫や状況判断よりも敷かれたレールの上を忠実に辿っていくことが優先される。それに諦念というのも、どうしようもない状況を受け入れるのには必要だ。

 ところがアングロサクソンは狩猟民族だ。狩猟は狩る者と狩られる者との命をかけた勝負だ。状況は刻一刻変化する。相手の行動を読んで先回りしなければこの勝負には勝てない。獲物がなければ飢え死にするのは自分とその家族だ。獲物を狩るという目的のためにはあるものは何でも利用する。知恵を振り絞って考える。一瞬、一瞬が勝負だ。木の葉の落ちる音にも水滴の滴る音にも神経を研ぎ澄ませて自分の有利な状況に獲物を追い込んでいく。残酷なほど強かに。それが狩人だろう。

 まあ、それだけでもないだろうが、やつ等のしなやかで強か、しかも意志強固な性格はそんなところにあるように思うんだ。もっともそれ以外にも欧州は強国がひしめき合って何百年も互いに食うか食われるかの死闘を繰り広げてきた歴史的背景もあるんだろうが。それだって狩猟の原理と基本的に同じだろう。
とりあえず前例踏襲の文化と自己に有利な状況判断の文化とはこんなところにも由来するのかなと思うんだ。

 俺は何も前例踏襲の文化が悪いと言っているんじゃない。穏やかに時が流れているときはまことに都合がいいんだ。ただし今のように国家や国民が滅亡してしまうかどうかの非常時、その瞬間、瞬間に瀬戸際の判断を求められる時にはどうしようもなく鈍重で急激な変化に充分に対応できないという欠陥があるようだ。」