たとえ軍隊が崩壊しても国家と国民が健在であれば、そして国と国民に軍を再建しようという意思があれば、軍の再建は可能だ。戦略、戦術あるいは兵器の操作に対する習熟度といった技能や士気、規律、伝統といった無形の財産もあるだろうけど、それらにしてもある程度の時間をかければ再生は可能だ。同じ国民が作る軍隊だからな。
それは組織に対する思い入れはあるだろう、自分たちが作ってきた組織だからな。しかし国家が崩壊してしまって軍隊だけが残ってもそんなものは何の役にも立たない。それこそ本末転倒というものだ。開戦当時の状況が真に国家存亡の危機に瀕していたのかどうか、それ自体俺には疑問だ。探れば戦争以外にまだまだ打開の道はあったと思う。
それなのにどうしてこんな戦を始めてしまったのか。開戦当時の日本の軍事力は英米にとって無視することは出来ない脅威だったのだから、その軍事力を背景にしたたかな粘り強い外交を展開すれば彼等からある程度の譲歩は引き出せたはずだ。仮に国外の領土を失っても日本本土と国民が無傷で残れば、ここまで破壊されるよりはずっとましだったはずだ。
どの道、朝鮮も台湾も、そして中国にしても、近い将来自主独立の道を歩き始めるはずだ。他にも、今欧米の植民地になっているアジアの諸国も何れ近い将来独立に向かい始めるだろう。他国の支配下に置かれるというのは誰でも耐えがたい屈辱だろうからな。そしてそうした流れを押さえ込むのは宗主国にとって決して小さな負担ではない。
それならば、いっそのこと独立を援助してやって将来にわたっての影響力を残しておく、そんな方法もあるんじゃないか。少なくとも戦前のアジアでは日本は第一の強国でリーダーであったことは間違いないのだから。
大東亜共栄圏を唱えるのなら独立国家相互の共栄圏を考えるべきではなかったのかな。戦争に莫大な国家予算をつぎ込むのなら、その金で国内経済を振興させて外国から原材料を買い入れて日本で加工して輸出する。同時に現地にも資本進出する。現地産業の振興に必要な技術指導をして地域の発展にも貢献する。アジア圏全体の発展を視野に入れて日本はそのリーダーとして他国を牽引していく。
そうした中で欧米から植民地主義の圧力がかかったのなら、そしてその時、真に止むを得ない事情があるのなら、それで開戦に至ったとしても日本の大義名分は立つだろうし、日本の味方をする者も出来るはずだ。日本の経済にしても、開戦当時の経済不振の状態から沈みっぱなしということはないだろう。少なくともこれだけの能力を持った国家なんだから、戦にかける金を注ぎ込めば必ずまた発展するだろう。まあ、それにしても当面経済対策は必要だろうけど。その金はやはり戦費、軍事費の削減だろうか。そこでまた多いにもめるか。
いっそのこと軍は作戦と用兵だけに専従させて軍の規模や予算は行政府の管理に移すとか、そういう方法もあるだろうが、これも統帥権を根本から揺るがす大問題か。しかし政府機関の一つである軍が政府の管理を受けずに独自に兵力量や用兵を決定するやり方は国家機能の斉一性を考えればいかにも不都合だ。陸軍にも海軍にも、そして中央の行政府にも天下の秀才が集まっているのだから何とかいい知恵が出るかと思うとどいつもこいつも金太郎飴のように同じことしか言わない。
同じ知恵しか出さない。しかも何度失敗してもばかの一つ覚えのように同じことを繰り返す。状況が流動的になったり不利になったりすると思考の固定化は益々ひどくなって客観的な状況判断に基づいた方向修正など欠片も無くなる。
横須賀で貴様に会った時に話したよな。戦略戦術の専門家であるべき職業軍人が戦略も戦術もなくただただヒステリックに「死ね、死ね。」と叫び続けるだけだったと。最もそれは今もそうなんだが。今度の戦で緒戦は味方が練りに練った作戦を細心の注意を払って実行したのに対して、敵方は大方不意打ちを食らったようなものだったから、ことはこちらの思惑通りに進行した。考え抜いて敷き詰めたレールの上を几帳面に走るのは日本の得意技だからな。
そうして真珠湾で米国の主力艦隊を叩いて南方資源地帯をそっくり手に入れてしまうと天狗になってしまった。磨きに磨き上げた戦力は天下無敵だと。しかし悪いことにそこから先は練り上げた筋書きがなかった。南方資源地帯を確保しての自給自足による長期不敗の体制と言ってもそれをどのように実現するのか具体的な計画があったわけでもない。
しかし無敵不敗妄想に取り付かれて天狗になっているから地球を縦に半分に割る米豪分断なんてとんでもないことを考え出す。太平洋を縦に断ち切るなんて正気の沙汰じゃない。本当ならここで真剣に講和休戦を考えるべきだったのかもしれない。」
ずっと黙って高瀬の話を聞いていた私は高瀬が湯飲みをつかんだ間を見て言葉を返した。
「貴様だったらどう戦う。それから先を。」
「俺か、俺は職業軍人ではないから戦略や戦術のことはよく分からん。この戦、最初から日本が勝てる見込みはない戦だった。それは誰も心ある者には分かっていたことだ。向こうから攻めても来ないのにわざわざ勝てない戦争を自分から始める馬鹿があるものか。俺だったら始めから勝てないと決まっている戦争なんかしない。そんな戦争はやっても国家を疲弊させ、国民に辛酸を舐めさせるだけだ。
勝てない戦なんか戦い方などあるものか。どうやっても負けるに決まっているのだからな。それでも、どうしても戦わなければならないとしたら、機動部隊に陸上航空兵力、そして潜水艦を加えて西太平洋の島を足場に立体戦をやるより方法がないだろう。
戦の最大の懸案は敵海上戦力の撃滅だろうな。それも敵の巨大な工業力がものを言い出す前の出来るだけ早い時期にな。とりあえず敵の海上戦力を潰してしまえば米国は太平洋で戦う手段を失ってしまう。そこを捉えて出来るだけ早い時期に戦争を終結させる方法を考える。真珠湾奇襲もミッドウェイもそれが目的だろう。
前にも話したかも知れないが、真珠湾で戦艦部隊をやられてから米国は空母と巡洋艦を中心とした高速機動部隊を押し立てて日本の拠点にあちこち強襲をかけてきた。東京空襲なんかそのいい例だ。向こうとしたらそれ以外に戦う手段がなかったのだろうが、あれを日本が先手を取ってやるべきだった。南方資源地帯を確保して長期自給体制というが、長期戦になったら敵の生産力がものを言い始める。アジアに展開する欧米の戦力を一掃することは必要だろうけど、その資源を当てにして長期戦を戦うのは得策ではないだろうな。
赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴、この六隻の空母を半数づつ、二個の機動部隊に編成して敵の痛いところを機動強襲する。艦隊決戦なんて時代遅れの思想はきれいさっぱり捨てて、特に戦艦なんかは大和、武蔵もそうだが、長門、陸奥、伊勢、日向、山城、扶桑も砲塔を下ろして主砲の数を減らしても高角砲や機銃をたくさん積んだ高速戦艦に改造して空母の護衛や機動打撃部隊に編成し直してしまう。高速という武器を得た金剛級があれだけ活躍したんだ。惜しいことをしたよな。
既定の路線はなかなか捨てがたいだろうが、乾坤一擲の戦なんだ。大胆に路線を変更しなければ戦えない。南方作戦は基地航空隊と軽空母、それに高速戦艦部隊で充分だろう。潜水艦は通商破壊と敵の後方撹乱だな。とにかく神出鬼没、太平洋を暴れまくる。そうして敵を慌てさせておいてミッドウェイでもポートモレスビーでもハワイでも敵の痛いところを機動強襲して敵の海上戦力を引っ張り出す。目的は敵の海上戦力、つまり空母部隊の撃滅なのだから占領なんか考えない。そうすれば高速艦艇だけで艦隊を編成できる。
当時の味方の機動部隊なら三隻で敵と互角に渡り合えただろう。それで敵の海上戦力を潰したら、そこで講和を持ち出す。もちろん占領した地域からはすべて軍隊は引き上げるくらいの条件で。そうすればこの戦は領土的野心のためではなく、日本にとって国家と国民が自存するため真に止むを得ないものだったという主張も成り立つかもしれない。
そのかわり戦略物資の安定供給と中国との講和休戦の調停を依頼する。それが受け入れられなければハワイから米国西海岸と行くんだろうけど補給と維持を考えたら占領なんぞは夢のまた夢だろうから、空襲とそして出来れば砲撃か。そうして手を変え、品を変えしているうちに敵の生産力が物を言い始めて打ち破られるだろうな。後は同じ結果になるだけだ。
基本的に日本には英米相手の長期戦は不可能なんだから。だからこそそれを基礎とした国家戦略を立てるべきだった。英米との戦争は出来ない、戦えば敗れるとはっきり言うべきだった。日本が引けば英米は自ら戦争を仕掛けてくることはない。しかしそれが言えなかったんで今の事態があるのだから、これはいくら言ってもメビウスの輪のように堂々巡りなんだが。