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「大丈夫ですか。」

 救護隊員が声をかけながら私を操縦席から引き出して担架に載せると治療所に運び込んだ。
治療所で手伝いをしていた小桜は担架に載せられた私を見て一瞬顔色を変えたが、私が首を振るとすぐに重傷者の介護に戻って行った。

 入れ替わりにあの若い軍医がやって来て足と肩の傷を見てから「かすり傷くらいのものですよ。ちょっと待っていてください。すぐに処置をしますから。」と言って大声で衛生兵を呼んで処置を伝えた。
深手と思った足の傷口は弾片で切り裂かれて肉が弾けていたが、さして深くもないようで出血はほとんど止まっていた。

 肩の方は本当にかすり傷だった。衛生兵は手早く傷口を縫い合わせると包帯を巻いた。縫合する時、麻酔もなく痛かったので「痛い。」と声を上げると衛生兵が一瞬手を止めて怪訝な顔で私を見た。確かにここには私の傷など問題にならないほどの重傷者が大勢収容されていたが、意識のある者で弱音を吐いている者など一人もいなかった。私もさすがに恥ずかしくなってそれからは痛くとも声を上げるのは慎んだ。

「処置は終わりました。宿舎に戻っていただいてけっこうです。」

 言われて立ち上がろうとすると足の傷に激痛が走ったが、今度はさすがに外聞が悪いので下腹に力を入れて堪えて平静を装った。やっとのことで宿舎に戻って横になっていると偵察員が入って来た。

「おかげで命拾いしました。何と言ったらいいのか言葉もありません。」

偵察の中尉が深々と頭を下げた。

「気にしないでください。こっちは一人、そっちは三人、それに制空は我々の任務です。皆さんを守り切れずに返って申し分けないと思っているんですから。」

私は体を起すと偵察員に頭を下げた。それでも彼等は何度も頭を下げて帰って行った。偵察員と入れ替わりに高瀬が宿舎に戻って来た。

「大空の英雄が診療所では引っかき傷くらいで大声をあげて叫んだそうだな。」

高瀬は楽しそうに笑っていた。

「側車をかっぱらってきた。倶楽部に行こう。」

 高瀬は私の返事も聞かないうちに外に出て行った。私は仕方なく上着を羽織ると作業帽を被って足を引きずりながら高瀬の後を追った。高瀬は側車の発動機を始動させて待っていた。

「乗れ。出すぞ。」

「貴様、何時の間にこんなものの運転を習ったんだ。」

側車に乗り込みながら聞くと高瀬は片目を瞑って見せた。

「内燃機関で動くんだから飛行機も側車も同じだろう。」

 私が乗り込むのを確認した高瀬は営門を出ると畑の中の道を器用に側車を走らせて倶楽部へと滑り込んだ。

「彼女は治療所にいる。上がって適当に休んでいてくれと言っていた。おい、肩を貸すか。」

「いや、大丈夫だ。」

 この上弱みを見せたら何を言われるか知れないのでやせ我慢をして出来るだけ普通に歩いて座敷に上がった。

「勝手に酒を出してと言っても酒は傷には良くないな。まあ加減して飲めばいい。」

高瀬は勝手でがさがさ何かを探していたが、酒と南京豆やら乾燥芋を手にして戻って来た。

「どこにしまっているんだかこんなものしか見つからん。しっかりしてるな。」

高瀬は腰を下ろすと湯飲みに酒を注いだ。

「今日はなかなかの戦だったな。あの状況で十六機が出撃して七機を失った代わりに十五機を撃墜した。貴様、戦うのはやめた、守るんだといいながら四機も撃墜してるじゃないか。」

「そうだったのか。命中は確認したけど撃墜したかどうかは確認できなかった。敵の攻撃力を殺げばそれで充分だと思った。被弾して敵機が傷ついたのを確認したら次に向かっていた。でもあの状態では一撃離脱で戦わなければ、一機にかまけていたら確実にこっちがやられていただろう。」

「そのとおり。しかし貴様が偵察の彩雲に被さった時は驚いたぞ。間違いなくいかれたと思った。まあ実際、無事に戻ったのは奇跡に近いが。敵も離脱すると思った戦闘機が目の前に飛び出して来たんで面食らったのかも知れんな。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。偵察では大変な持ち上げようだぞ。」

「どうしてあんなことができたのか自分でも分からん。退避しようと思ったんだが、体が勝手に動いた。気がついたら敵機と偵察の彩雲との間に割り込んでいた。」

「俺達は戦闘機乗りだ。護ってやることは大事なことだが、命は一つしかないことを忘れるなよ。護ることも大事、命も大事、難しいな。今日のことで偵察の我々に対する信頼は随分深まったろう。しかし今度もまた同じことが出来るとは限らない、・・だろう。」

「うん。それはそうだな。なあ、人間というのは本当に不思議な生き物だな。こんなばかげた争いを数限りなく繰り返してきたかと思うと、本当にこれが同じ人間のすることかと思うことをやってのける。自分の命も構わずに。

 特攻隊の連中もそうだ。自らの命も顧みずにひたすら義務に忠実であろうとただ黙々と敵に向かっていく。それに引き換え指揮をする者はただ機動部隊撃滅の妄想に凝り固まって何の策もなくヒステリックに精神論を叫ぶだけで、自分たちは安全な場所に引っ込んでいる。

 敵にも立派なやつはいる。敵のPBY、奴等はたった一人の搭乗員を救助するために撃墜されても撃墜されても救助にやって来る。一機落とされれば七、八人は死んでしまうのに。そんな奴等を見ていると感動することがあるよ。ところがそういう献身的な行為をする奴等が無抵抗の非戦闘員を無慈悲に撃ち殺していく。一体人間という生き物は何なんだろう。」

「そうだな。何なんだろう。そんな矛盾は自分自身の中にもたくさんあるだろう。人を殺してはいけない。そう信じているのに貴様も俺も随分人を殺したよな。個人の信条として殺人は絶対悪だと確信しているのに義務の一言でそれを正当化してしまう。そういういい加減さが人間にはあるよな。

 これは全くの私見だが人間は進化の過程から見ればほんのわずかな間に急速に知能を発達させた。その発達があまりに急過ぎてその知能を制御する精神が知能に較べて未発達なのかもしれない。それが時として行動の不調和になって現れるんじゃなかろうか。しかしこれは俺の根拠も何もない空想だから本当のことは分からん。

 なあ、貴様、沖縄も陥落してしまって海軍は総力を傾けた一戦に破れた。この戦はもう終わりだ。本土決戦になんかこの国を導いたら指導者は全員打ち首だ。陸軍は強硬に本土決戦を主張しているらしいが、後は主戦派を終戦へと導くための合意を作り上げるための時間稼ぎだけだろう。俺は戦争が終わったら大学に戻ってもう一度勉強をし直そうと思う。」