「被弾箇所を調べてから機銃弾と燃料を補給しておいてくれ。」
整備員は黙って敬礼すると機敏な動作で作業を始めた。
「しかし、分隊士、見事な撃墜でした。当るを幸ばっさばっさという感じで剣豪のようでした。三機も撃墜しましたな。」
「そうだったのか、あまり敵が多すぎて確認もできなかった。撃墜しようと思ったわけではない。やつ等が攻撃を断念して戻ってくれればそれでよかったんだ。ところで被弾はどうか、急所には食らっていないと思うが。」
整備班長はちょっと顔を上げて怪訝な顔をした。撃墜する気はなかったという私の言葉が引っかかったらしかった。
「急所には食らっていませんけど被弾箇所が多すぎます。今日はもうこいつは無理ですよ。分隊士の言うようには敵さんは諦めてくれなかったようですな。しかし敵さんもこれだけ叩けば気がすんだでしょう。」
私は掩体から顔を出して空を見た。火災の煙や爆煙が立ち込めてかすんでいたが、敵機の姿は見えなかった。そして整備班長が言ったとおり、それからしばらくして空襲警報は解除になった。私は掩体を出て小桜の様子を見に行こうと歩き出したところに自転車に乗った司令部要員が大声を出しながら走ってきた。
「発進可能な者はいないか、誰か発進可能な者はいないか。」
「どうした、何があった。」
「味方の偵察機が大村湾で敵機に絡まれて救助を求めている。発進可能な者を探している。」
「よし、分かった。出るぞ。」
私は掩体にとって返すと「回せ。」と叫んだ。呆気に取られている整備員に「味方の偵察機を救援に行く。回せ。」ともう一度叫んだ。
「燃料は1時間分ほどしか有りません。機銃弾は補充してあります。」
「今日はもう無理ですよ」と言っていた整備班長が耳元で怒鳴った。
「分かった。ありがとう。」
私は誘導路を走りきると一気に滑走路を蹴って大村湾へと向かった。後方には高瀬と山下隊長が追って来ていた。進路を西にとって大村湾に出ると味方の偵察機はすぐに見つかった。発動機の具合が悪いらしく敵を振り切れずに機体を左右に滑らせながら敵の射撃を避けていた。
「助けに行くぞ。」
私は無線に向かって叫んだ。
「山下一番、高瀬、武田は左の三機に向かえ。」
「了、了」
私は翼を左右に振るとスロットルを全開にした。燃料はもう三分の一ほどしか残っていなかった。とにかく敵を食い止めて偵察機の退避する時間を稼ぐことにした。敵はこちらに気がついたのか、三機づつ左右に開いて向かって来た。グラマンではなくて逆ガル翼を持ったコルセアだった。
速度は速いが格闘戦にはあまり向かない機体だったので、少し引っ張りまわすつもりで大きく廻り込んだ。二回も旋回すると敵の後に着くことが出来た。照準器に捉えた敵機に向かって連射するとあっけなく翼が折れて落ちて行った。
私たちはものの五分もしないうちに三機を撃墜して敵を追い払った。偵察機の搭乗員は安堵の笑顔を見せて手を振っていた。それを両側から取り囲むように編隊を組んだ。燃料はもうほとんど底を尽きかけていた。編隊を組み終わって基地に向けて頭を振った時に後方に異変を感じた。それと同時に山下隊長と高瀬が翼を大きく翻して左右に分かれた。後方を振り返った私の目に真っ直ぐに急降下してくる敵機の姿が飛び込んできた。
『このままでは俺も偵察機も食われる。山下隊長や高瀬は間に合わない。』
頭の中で彼我の状況を描いてみた。この場から離脱というのが私の答えだった。
『フットバーを蹴って操縦桿を右に倒して、・・・。しかし、俺は一人、向こうは三人。』
頭で考える前に体が動いた。私は操縦桿を左手前に引いて敵機と偵察機の間に割り込んだ。同時に何十もの金槌で機体を叩かれるような衝撃を感じた。機銃弾に貫通された風防が割れて飛び散り、計器が砕けた。それまで規則正しい回転を続けていた発動機が金属のぶつかり合う不規則な音を立て始めた。
『死ぬんだな。』
苦痛も恐怖もなかった。初めて敵機の斉射を食って当たり前のようにそう考えた。プロペラの回転が落ちて高度が下がり始めた。敵機の姿はどこにも見えなかった。偵察機は私の脇に寄り添って心配そうにこちらを見ていた。
『こっちは一人、そっちは三人、気にするな。』
そういうつもりで手を振った。機首が下がっていたがもうすっかり死ぬつもりになっていたので特に気にもしなかった。
「頭を上げろ。高度を保て。火は出ていない。まだ飛べるぞ。諦めるな。」
割れるような大声が受話器に響き渡った。高瀬の声だった。私はその声で正気を取り戻した。両手足をゆっくり動かしてみたが左大腿と右腕に痛みがあるものの動かせないことはなかった。他には負傷はないようだった。計器版は機銃弾でほとんど破壊されていて役に立ちそうなものはなかった。
両翼にも機銃弾の貫通孔がいくつも開いていたが火は出ていなかった。燃料をほとんど使い切っていたのが幸いしたのかもしれなかった。ただプロペラの回転が弱く不規則でカウルからは白煙が漏れ出していた。取りあえず機体を水平にして高度を保つことを考えた。
「できるだけ高度を保て。基地に戻るぞ。機体を傾けすぎないよう大きく旋回して頭を基地に向けろ。」
山下隊長の声が受話器を通して聞こえてきた。私は出来るだけ機体を傾けないよう注意しながら機首を基地へと向けた。『着陸よろし。』を意味する緑の旗が指揮所に見えた。翼を振って偵察機が滑走路へと進入して行った。次に高瀬、そして山下隊長が着陸した。私は全機が着陸するまで上空で旋回して待機していた。着陸で事故を起して滑走路を塞いでしまうと健全な機までが着陸出来なくなってしまうので、それを防ぐための措置だった。
滑走路は爆撃で出来た孔を塞いでかろうじて離発着が出来る程度の長さを確保していた。その滑走路に向けて旋回しようとしたところで発動機が焼き付いて止まった。速度もあまり出ていない今の状態で急激な旋回をすると失速する恐れがあった。
『落ち着け、落ち着け。』
私はゆっくりと機首を滑走路に向けようと機体を操っていった。脚を出している暇はなかった。機体が滑走路に乗った時には地上はもう間近だった。尾輪が接地すると同時に巨人に捕まれて揺すぶられるような衝撃を感じた。いつもよりも地面がずっと近かった。衝撃はすぐに弱くなって機体は通常の着陸よりもずっと早く止まった。救護隊員が駆け寄ってきたので立ち上がろうとしたが、左足に力が入らずに立ち上がることが出来なかった。傷は思ったよりも深いようだった。