仕事については販売した商品への対応やオプションの変更などを続ける傍ら新企画の資料収集を続けていたところに社長から呼び出しを受けた。人にクレヨンなど押し付けて北の政所様と二人でシンガポール旅行を楽しんでとんでもない奴だなどと思いながら社長室に行った。
総務で呼び出しを受けたことを伝えるともう手配してあったらしくすぐに社長室に通された。北の政所様は秘書席には姿が見えなかったが、部屋の中に入ると北の政所様、女土方に人事担当役員が座っていた。これはどうも市場調査企画室の話のようだった。
「佐山さん、例の話、具体的に立ち上げたいんだが、ちょっとその前に了解してもらいたいことがあって来てもらった。まあ座って話そう。」
社長が僕に向かってそう言った時また何とも言えない嫌な予感がした。
「私に澤本さんを使えと言うんじゃないでしょうね。」
僕は腰を下ろす前に直感的に感じたことを口に出した。
「まあ、ゆっくり話そう。」
社長はもう一度僕に座るように促した。どうも図星のようだ。でもこのままでは話になりそうもないので僕は「失礼します」と言って椅子に腰を下ろした。
「結論から言うと佐山さんの言うとおりだ。澤本君をアシスタントとして使って欲しい。その理由を人事担当の方から説明させる。人事担当、頼む。」
人事担当は「はい」と返事をするとファイルを取り上げた。この男はまだ四十代も半ばくらいの役員としては若手に類する男だった。噂ではクレヨンの父親の銀行から引き抜いたのか押し付けられたのか知らないが、とにかくその銀行から派遣された社員だった。この銀行屋さんはファイルを手にして僕の方を向いて説明し出した。
「社長のお考えでは商品企画調査室の体制は室長、副室長格の総括担当の他に調査三名、企画三名合計八名程度を考えておられたようですが、この時期新規採用は極力控えて現在員でやり繰りせざるを得ないというのが人事担当としての意見です。
それを基本方針に新部門の体制を検討すると配置換えなどによる人員の捻出は室長の他に室員四、五名が限界と考えています。それ以外に必要な人員を手当てするとなると非常勤社員で充足せざるを得ません。
体制としては室長、副室長兼務の調査主任以下調査が二名、企画が二名で非常勤職員を両部門にそれぞれ一名づつ配置すると言うのが私の構想です。なお室長は社長室長を兼務していただいてこの部門に秘書機能も負担していただきます。その人員は現在の秘書担当をそのままここに配置換えすることになります。
これで室長以下調査二、企画二、秘書二で七名、これに非常勤が加わって定員で九名の部門になりますが、秘書主任は室長に兼務していただきます。ああ、後もう一名社長付の運転手が加わりますね。
企画室の業務については市場調査と商品企画ということですが、当然これまでの業務にも参画していただきますし、調査、企画は相補的に業務を負担していただきます。秘書については室長直轄と言うことでこれは従来の業務を担当していただきます。具体的な業務については各部門の責任者から室長を通じて社長に報告をお願いします。
続きまして人事につきましては室長が取締役格で森田氏、役職名は企画調査室長で参与ということになります。副室長格の調査主任は主幹待遇で伊藤氏、そして武田主任、企画主任は副主幹格で佐山氏、それに石崎主任、秘書は室長、佐伯秘書、それと高山運転手、非常勤については澤本氏が内定していますが、調査については責任者で検討していただきます。
室の使用する部屋につきましては現在の社長秘書が使用している部屋を仕切りまして使用する予定でございます。若干手狭かとは思いますが他に部屋が確保出来ませんし秘書機能を負担していただきますとこれ以外の選択肢がございませんので。人事担当からは以上です。」
何だ、この体制は。運転手以外は全部女じゃないか。確かにこの会社は仕事の性質上女性が多いことは多いが、これでは大奥じゃないか。こんな所属じゃあ新北の政所軍団とか言われてしまう。それにこの社長、愛妻家とか聞いていたが北の政所様とは抜き差しならない仲の様だし挙句の果てには自分の周りにこんなに女を集めて本当はかなりの女好きじゃないのか。男だからそれも仕方ないといえば確かにそうだが。僕にしても女になっても世間の偏見にもめげずに女土方とくっついているんだから。
そんなことはどうでもいいが、今回の新部門のこの人事と体制は何なんだ。企画なんて言っても僕とテキストエディターとそれにクレヨンじゃあ全く今のままで何の変わりもないじゃないか。調査にしても女土方とそれから女土方とペアで仕事をしているあまり目立たない大人しい女性でこれも変更なしだ。変わったのは北の政所様、女土方それに僕の役職で北の政所様は平社員から役員格へと二階級特進以上の昇進、女土方は課長代理、僕は係長を飛び越して課長補佐待遇と破格の昇進だった。
でも僕としてはこの人事には大いに不満があった。大体既成概念に囚われずに今後の市場の動向を分析しながらこれまでにない新しい企画を考えていこうというのが今回の部門新設の趣旨だったのだじゃないのか。それをこんな社長雑用係のようなものを作ってどうするんだ。しかもクレヨンを使えなんてサファリパークでもあるまいし。いっそのことサルやオウムに言葉を教える方法でも考えて売り出してみるか。女土方は一体この人事をどう考えているんだろう。何だかこの会社の先行きが不安に思えてきた。
「概ね新部門の体制は今人事担当から説明があったとおりだが、諸般の事情で必ずしも当初の思惑通りにはならないところがあるようだ。責任者、それから各部門の責任者についてはいかがだろうか。何か意見は。」
僕は真っ先にもの申してやった。
「当初の思惑通りとはいかなかったと言いますけどこれでは社長室の拡大拡充のようなもので市場調査、商品企画などには程遠いものだと思います。これなら機構改革などと大げさなことを言わなくても今のままでも十分に対応出来るでしょう。何だかポストを与えるための機構改革のようじゃないですか。
それから非常勤のことですけど澤本さんはお断りしたいと思います。彼女ではアシスタントどころかあの子を見るだけで仕事が進みません。それどころか私生活まで大いに影響を受けています。それでお聞きしたいのですが一体私に何をしろと言われるのですか。社の命令ならばそれがどんなことでも私に出来ることは甘んじてお受けするつもりですが、会社が私に期待していることは仕事ですか、それともあの子の養育ですか。」
一瞬座が静まり返った。そして社長が徐に口を開いた。
「機構改革と人事については特段の事情がない限り今説明のあった内容で決定事項と考えてもらいたい。体制や人事に異論はあるだろうが、僕はとにかく立ち上げることが大事だと思う。澤本君のことについては別に話したいと思う。人事担当、ありがとう。今日はこれで閉会としよう。」
社長に言われて人事担当は一礼すると部屋を出て行った。後には社長、北の政所様、女土方それに僕が残された。しばらくは誰も口を開かず嫌な沈黙が四人の間を支配した。その沈黙が気持ちを重苦しく圧迫し始めた時に社長が口を開いた。