「高瀬分隊士、あなたは不思議な人ですね。誰も口をつぐんで言わないような破滅的なことを飄々とさらけ出して、そのくせ部下の士気は決して落さない。松山の初陣の時もそうだった。私自身、もう勝てない、勝つどころか、どんなに戦っても、もうこの国は一年も持たない。そう言われて目の前が暗くなるような衝撃を受けながら、それでもあなたの言うことを聞いていると心の底から闘志が湧きあがってくる。自分でもよく分かりませんよ。
でもね、あなたは決して戦うことを望んではいない。それどころか、この戦争を憎んで一刻も早く止めるべきだと考えている。ところがいざ戦闘になると誰よりも敵を撃滅することを第一に考えて行動する。一番戦争を憎んでいる人が一番激しくこの戦争を戦っている。あなたをそうして戦いに駆り立てるものは一体何なんですか。」
「義務感だろう。」
微笑みながら黙っている高瀬に代わって私が答えた。
「高瀬はこの戦争は一日も早くやめるべきだと考えている。それは高瀬個人の信念だ。しかし、この時代に生を受け、海軍に籍を置く者として、つまり公人として戦闘に参加する義務を負う者として、その責任は決しておろそかには出来ないと、そう考えているんだろう。個人としていくら戦争に反対してみたところで、この戦争はまだしばらくは続く。その時最前線で戦闘に参加すべき者は我々だ。」
高瀬は首を傾げながら聞き入っていたが、やがて自分から口を開いた。
「確かに武田の言うとおりだ。我々が負うべき義務は決しておろそかには出来ない。確かにそのとおりだ。しかし、それよりももっと基本的なことがある。良くも悪くも俺たちの国はこの日本しかないということだ。
君たちどんなボロ屋でも自分の家が火事になれば消そうとするだろう。同じことだよ。良かろうが悪かろうがこの国をなくしてしまっては俺たちの未来はない。戦争は悪だ。だが、その戦争を終わらせる目途がつかなければこの国が完全に燃え尽きてしまわないように守っていく他はない。そのために戦うんだ。」
その場にいた者すべてが頷きながら聞いていた。
「大学出の分隊士たちの言うことは難しくてよく分かりませんが、高瀬分隊士の言うことはよく分かりました。この戦争がどうも分が悪いことは我々にも分かっています。もしも、家が火事になったら誰でも火を消そうとするでしょう。家族が取り残されていれば炎の中に飛び込んで命を落すこともあるかもしれません。今、国のために、いや、日本という同じ屋根の下に住む者のために命がけで戦うことも同じなんですね。」
補充で配属になった山形三飛曹が大いに納得したという顔つきで明るく笑った。高瀬は少年のようにあどけない山形三飛曹に向かってゆっくりとした動作で頷いた。
「戦争が終わって生きていたら、君は何をする。」
高瀬が山形三飛曹に向かって尋ねた。
「今、分隊士の話を聞いていて、小学校の先生になりたいと思いましたが、私のような百姓の倅では師範学校などとても無理ですから・・。」
山形三飛曹は頭を掻いた。
「そんなことはないさ。戦争が終われば世の中も変わる。誰でもその能力と努力に応じた教育を受けられるようになるかもしれない。教育は社会の基本だ。小学校の教師とは世の中を創る大事な仕事だよ。」
高瀬の言葉に山形三飛曹は何度も頷いた。それからしばらくは戦後談義に花が咲いた。国に帰って百姓をするという者、会社を興したいという者、所帯を持って穏やかに暮らしたいという者、軍隊が残っていればやはり軍隊に残って飛行機に乗りたいという者、それぞれ様々だった。話が一段落した時、山形三飛曹が高瀬に聞いた。
「分隊士は、この戦争が終わったら何をされるのですか。」
「俺か、俺はなあ、大学に戻ってやり残した学問をもう一度勉強しようと思う。だがその前に俺はこの戦争で見失ってしまった自分の神を探そうと思う。」
「神様ですか、まさか靖国神社へ・・。お参りに・・。」
その言葉に全員が笑った。高瀬も声を上げて笑った。
「俺はな、山形、クリスチャンなんだよ。キリスト教、耶蘇教、知っているだろう。敬虔なクリスチャンではないが、この戦争に出征するまでは自分なりに神を信じて神と話をすることが出来た。しかし、戦争で殺し合いをしているうちに神と話をすることが出来なくなってしまった。だからな、俺は戦争が終わって生きていたらまず自分の神を探そうと思うんだ。」
高瀬がこの戦争で見失った自分の良心を求めていることは私にはよく分かった。戦闘を合理的に見つめ、勝つために誰よりも激しく戦っている高瀬は、同時に誰よりも戦争の無益さ、悲惨さを知って誰よりも戦争を憎んでいるのかもしれなかった。そして戦闘を自らが負うべき義務と考え、それに全力を傾けている高瀬と、自分の生にも他人の生にも穏やかでやさしくあるべきという彼自身の信念に忠実であろうとするもう一人の高瀬が、一つの心の中で呻吟し合って悲鳴を上げているように思えた。
翌日も我々は待機任務についた。高瀬の指示で訓練用の紫電を引き出して整備して機数を揃え、少しでも数的劣勢を補えるよう効率的な運用を心がけた。そして「熟練搭乗員は紫電改に搭乗してください。」という周囲の声を「紫電一一型だって悪い戦闘機じゃないよ。」と一蹴して高瀬は紫電に乗り込んだ。
「武田、貴様もまだ熟練搭乗員とは言えんな。」
高瀬は私にも紫電に乗るよう促した。私自身、一度乗った紫電がそれほど悪い戦闘機には思えなかったので躊躇うことなくこれを受け入れた。
我々は敵の奇襲を食わないようにと空中待機方式を取ることにした。燃料の窮乏を理由に渋る補給や司令部を説き伏せて、腹の下に大きな増槽を抱え込んで出来るだけ発動機を絞り込んで空中で待機した。午前八時に離陸して昼まで空中で待機し、昼食は半数交代として搭乗員と同時に機体に燃料を補給し終わるとまた空に上がった。燃料切れ寸前に会敵する危険性を指摘する向きもあったが、高瀬は「空戦は長くて十分、敵も遠くから遥々やって来るんだから長くは留まれない。こっちはどこに降りても日本だよ。」と言って取り合わなかった。
午後三時過ぎ、水分を控えた体には喉の渇きが辛くなってきた頃、敵の接近を知らせる無線が入った。私は水筒に入れたお茶を一口飲み込むと高瀬の率いる第一区隊の後を追った。
敵のP三八の編隊は何時ものように基地の銃爆撃のために低空で接近してきた。我々は大きく回りこんでその編隊を後方から捉えようとした。何時もこうして上空からの奇襲を受けて被害を出しているのに、敵は上空の警戒を無視しているかのようにまっしぐらに基地へと接近してきた。その様子を見ていて私は何かしら落ち着かないものを感じた。
「奴等は敵地に攻撃に来るのにどうしてあんなに無邪気に接敵できるんだ。」
私は口の中で呟きながら後方を見上げた。その私の目に飛び込んできたのは空から降ってくる十数機の敵機だった。
「敵機、後上方。」
私は大声で無線に叫んだ。そして同時に機体を左に旋回させた。高瀬の区隊が右に逃れるのは見えたが、第三区隊がどうなったのか分からなかった。
きわどいところで機体の右側を敵の曳光弾が流れていった。首を一杯にひねって列機を確認した。一機、二機、三機、全機が無事に後に続いているのを見て胸をなでおろした。
その後は突っ込んできた敵の戦闘機を追って格闘戦に入った我々と反撃のために切り替えしてきた敵との間で殴り合いのような乱戦が始まった。我々は数で勝る敵に囲まれてばらばらになり苦戦を強いられたが、足が短く一定の成果を上げると長居は無用と引き上げる敵の戦術に救われて三々五々基地に滑り込んだ。私は離脱しようとする敵機を捉えて射撃を繰り返しが、白煙を吐かせるに止まり撃墜には至らず基地へと引き返した。
行き足の止まった機体に整備員がよじ登ってきた。発動機を切ると風防を開けてくれた整備員に帰還した機数を尋ねた。
「分隊士を含めて九機であります。」
「九機。誰が未帰還か。」
「第三区隊は隊長機しか戻りませんでした。敵の最初の攻撃で列機はすべて撃墜されました。」
そこで最初の奇襲で山形三飛曹たちが撃墜されて戦死したことを知った。味方は高瀬と島田一飛曹がそれぞれ一機、合計二機を撃墜し、そして私が一機を撃破したにとどまった。敵との戦力差を考えれば互角どころか立派な勝利と言えたが、奇襲を食わないように工夫をしながらむざむざ敵の奇襲による一撃で一度に三機を失った衝撃は決して小さくはなかった。特に第三区隊長だった小島少尉は一人にしてはおけないほどの落ち込みようだった。司令部から呼び出しを受けた高瀬が通夜のように静まり返った宿舎に帰って来た。
「どうした。しょげ返って。元気を出せ。三倍の敵を相手に互角の戦いをして、基地にも大きな被害は出なかった。戦は勝ったじゃないか。ここの司令からも一升出たぞ。」
高瀬は静まり返った宿舎を見回して言った。
「私がもっと注意深く警戒していれば、むざむざ列機を殺さなかったものを。私などは指揮官失格です。」
小島少尉は両手を握り締めた。そのこぶしの上に涙が一粒、二粒と落ちて砕けた。
「敵だってそんなにばかじゃない。今までは我々の戦力を見くびって油断していただけだ。だから上空警戒もなしに気楽に突っ込んで来ては痛い目を見て来た。そんなことを何度か繰り返せば敵も考えるさ。今日は敵の方が我々の上を行っていた。我々は何度も優勢な敵を打ち破って図に乗っていた。油断していたんだ。それは総指揮官の俺の責任だ。」
「しかし、殿にいた私は、もっと、もっと注意深くあるべきでした。」
「俺たちは万能じゃない。今日は武田が敵の奇襲に気づいた。それがなければ我々はあの一撃で壊滅していたかもしれない。誰の責任でもない。お互いに補い合って戦わなければ勝ちはない。」
「私には指揮官の資格がありません。」
小島少尉はうめくように呟いた。
「小島少尉、俺たちは戦争をしているんだ。戦って被害は付き物だ。被害を出さずに戦争が出来るなら負ける戦争などなくなってしまうだろう。そんな戦争が出来るのなら莫大な金と時間をかけてわざわざ君たちのような職業軍人を育てること必要などないではないか。
個人の感情など今いくら語ってみても何の役にも立たん。失敗を嘆く時間があるなら、明日同じ失敗を繰り返さないように知恵を絞って考えろ。今我々が一晩中嘆いていても山形たちは帰っても来ないし喜びもしない。今は戦え。智恵を絞って鬼になって戦え。分かったか。」
大声を出すわけではなかったが、静かに強く語る高瀬の声は心の底まで響いた。
「そうですね、嘆いていても始まらない。さあ、せっかく司令部から賜った酒があるんですから、戦死した者の弔いをかねて飲みましょう。」
島田一飛曹が湯飲みを取り出した。高瀬は手にもっていた一升瓶の口を開けると島田一飛曹の取り出した湯飲みに酒を注いだ。しかし、小島少尉は思いつめたような顔で一点を見つめたまま口を開こうとはしなかった。