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「難しいことを振ってくるなあ。どうすれば良いのかなんて何とも言えないよなあ。この戦争は後一年も続かんだろう。日本の戦力は間もなく枯渇する。しかし、俺たちの中に、そのわずかな間を生きていられる者が一体何人いるんだろう。特攻に指名された者は言うまでもなく、他の者にしても誰も生き残れんのじゃないのか。

 ついこの間も海軍航空隊随一の撃墜王と言われ、どんな激戦でも敵を震え上がらせて悠然と帰還してきた高藤少尉が戦死した。死神は相手を選ばない。しかし必死と決死は天と地ほどの差があることもまた事実だ。どうしたもんかなあ。」

 高瀬は例に似ず極めて歯切れの悪い答え方をした。そう答えるより他に方法がないことは私も百も承知していた。

「あなたたちは当面の命を保証されているからそんなことが言えるんだ。死ねと命令された者の気持ちなど分かりはしない。」

金山がヒステリックな声を上げた。

「どうすればいいのですか。」

予備少尉たちは高瀬に詰め寄った。

「人が生きようとするのは生き物としての本能だ。それを否定するつもりは毛頭ない。だが、この時代に生きる者としての義務もおろそかには出来ない。俺たちは生きて戦うことが与えられた義務だ。君たちは命を投げ出して戦うことを義務として与えられた。先に待っているものはどちらも死だろう。しかし、死ぬことを命令された君たちに俺が何かを言う資格などない。ただ、神に祈るだけだ。君たちの人生が意義深いことを・・・。」

 高瀬は最後を濁して言葉を締めくくった。高瀬自身が疑問を持っている今の指導部のやり方に苦悩する若者を前に彼自身何も言えなかったのかもしれない。
金山少尉はいきなり席を立って外に飛び出した。何人かが後を追おうとするのを高瀬は制止した。

「やつも分かっているんだ。分かっているから苦しいんだろう。そっとしておいてやれ。」

高瀬は酒を満たした湯飲みをつかむと一気に飲み干した。

「海軍には海軍の責任の取らせ方があります。海軍は金山少尉をこのままにはしておきませんよ。そういうことにならなければいいんですが。」

島田一飛曹が金山少尉の駆け出して行った出口の方に目をやりながら言った。

「俺も知っている。死に配置といって戦死しそうなところにばかり出撃させられる。それが海軍の合理的措置らしい。こんな状態ではどんなことをされるか分からんぞ。」

 そんな海軍の合理的措置は思いもかけないほど早く、そして悲惨な形でやって来た。翌日、我々は待機所で任務に就いていた。高瀬は防空隊員と一緒になって対空射撃の研究に精を出していた。そこに一人の下士官が走り込んで来た。

「おい、昨日の予備士官が一人で出撃するようだぞ。今、指揮所前で乗り物の準備をしている。二十五番が針金で機体に固定されている。出たらもう戻ることは出来ないぞ。それにこんなに日が高くなってから単機で出かけるなんて撃墜してくださいといっているようなものだ。」

 待機所はこの下士官の言葉に動揺した。誰もがこんなに早く、しかもこんな形で海軍の合理的措置と呼ばれる罰が金山少尉に下されるとは思ってもいなかった。高瀬もざわついた待機所の雰囲気を感じ取っていた。対空機銃陣地から戻って来て事情を聞くと指揮所に走った。それに続いて私たちも高瀬の後を追った。

 指揮所では金山少尉が直立不動で型どおりの指示を受けていた。その顔は緊張のためか、こんな仕打ちをした海軍に対する憎悪のためか、蒼白になって両目は異様に吊り上っていた。指揮所前で発動機を始動している機体は一体どこにこんなおんぼろがしまってあったのかと思われるような旧式の使い古した零戦だった。そしてその胴体の下には黒い二十五番が針金で機体に固縛され、その頭には信管が鈍く光っていた。

 金山少尉は敬礼をすると機体に乗り込んだ。その時、指揮所を振り返った金山少尉の顔に無気味な笑いが浮かんでいたのを認めて私たちは顔を見合わせた。機体は滑走を始めるとずいぶん長い距離を使って滑走路の端の方でやっと浮き上がった。そして緩やかに左に旋回しながら高度を取って行った。しかしそのまま西へ向かうかと思われた機体は切り返して緩降下しながら基地の方へ戻ってきた。

「あいつ、この期に及んでまだ・・」

誰かがそう言いかけた時、高瀬が叫んだ。

「やつは、やつは指揮所を狙っているんじゃないのか。」

 その言葉にその場の全員の視線が金山少尉の機体に注がれた。確かに金山機は何かの不具合で不時着しようとする機体の航路とは明らかに異なって、真っ直ぐに指揮所に向かって降下しているようだった。

「危ない。退避しろ。」

 高瀬が大声で叫んだ。それと同時に指揮所から人が転がり出て来た。金山少尉の機体は指揮所の屋根に触れんばかりの低空で通過すると、大きく旋回して何度も指揮所の上を信管の装着された二十五番を抱えたまま低空で通過した。まるで自分に死ねと命令をしておいて自分に危険が迫ると命からがら逃げまどう幹部たちをあざ笑っているようだった。

「防空隊、やつを撃墜しろ。早くせんか。」

 一人が叫び声を上げた。それまで呆気に取られていた隊員たちはその声を聞いて対空機銃に取り付いたが、飛行機の動きに合わせて機銃を旋回させるだけで発砲しようとはしなかった。

「撃て、撃て、撃ち方始め。」

 指揮所から転がり出て来た参謀が叫んだが、機銃は金山機を追って旋回を続けるだけだった。金山少尉の乗った零戦は二十五番を機体に固縛したまま基地の上空を低空で旋回し続けた。そのたった一機の零戦に基地全体が翻弄され、誰もが右往左往するばかりでなす術がなかった。

「回せ。」

全員を待機所に戻した高瀬が機付整備員に言った。

「武田、島田一飛曹、一緒に出るぞ。」

 我々は高瀬に言われると始動の終わった紫電に飛び乗って滑走路を蹴った。高瀬は相変わらず基地の上空を旋回する金山機を追った。

「武田二番、左に回れ。島田三番、後ろを押さえろ。」

 高瀬の指示が無線から流れてきた。私は金山機の左に並んだ。高瀬は右に付けて指示を書いたボードを金山少尉に示した。

『着陸せよ。』

高瀬が示した指示に金山少尉は首を振った。続いて高瀬が示したボードには『従わねば撃墜する。』と書かれていた。金山機は突然機首を上げると左へ旋回した。いきなり機体を振って来た金山少尉に衝突されそうになった私は慌てて機首を下げた。金山機は私の頭の上を逃れていった。その後を高瀬が追った。私はすぐに左に機首を振って高瀬たちの後を追おうとしたが、機首を下げて突っ込んだ分だけ高瀬たちに遅れた。ようやく三機の後方に付けた時、高瀬の曳光弾が金山機の上を走った。

『次は本当に撃墜するつもりだな。』

私はそう思った。その直後金山機は急激に機首を上げた。

『失速反転には高度が低すぎる。墜落するぞ。』

 一瞬の後、金山機は失速して後部から滑るように降下したと見ると折れるように頭を下げ、飛行場周辺の林に突っ込んで巨大な爆炎を吹き上げた。万に一つも金山少尉に生存の可能性はなかった。我々は高瀬の先導でしばらく基地上空を制圧してから着陸した。高瀬が指揮所に報告に行ったが、冷や汗をかいた司令部はただ、「ご苦労。」と言っただけで他には何も言わなかった。