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 その日の午後になって防空隊の士官がやって来た。待機線周辺に分派した対空機銃陣地を点検しに来たのだった。点検に来たついでにその士官は派遣された隊員に対して対空射撃訓練を命じた。隊員たちは指揮官の指揮杖の示す方向に追随しようと大型の連装機銃を操って必死の旋回俯仰を繰り返したが、動力で駆動してしかるべき重い連装機銃架を人力で動かしているため、機銃は指揮官の納得するような俊敏な動きは望めなかった。

「貴様等、何をもたもたしておるか。そんなことでは敵機撃墜は覚束ないぞ。気合を入れる。そこに並べ。」

 気負った若い士官の怒声が飛んだ。隊員たちは弾かれたように機銃から離れるとその前に整列した。まさに防空指揮官が隊員たちを殴ろうとこぶしを振り上げた時に高瀬が待ったをかけた。

「そんなに重い二十五ミリ連装機銃を人の力で振り回しても、今時の飛行機にはとても追従出来やしない。隊員を殴る前に射撃方法をよく考えるべきだ。」

高瀬の言葉に隊員の前で侮辱されたと感じた士官はなお一層いきり立った。

「我々には我々のやり方がある。搭乗員にとやかく言われる筋合いはない。黙っていてもらおう。」

 海兵出の少尉は我々が予備士官なのを見て取ったのか、階級にかまわずにぞんざいな口を聞いた。

「口を出すつもりはないが、搭乗員として一言助言したかったんだ。今時の戦闘機は五百キロ以上の速度
で突っ込んでくる。そんな高速で三次元運動をする戦闘機をこんな重い機銃を人力で動かして追従しようなんて無理な話だ。」

「貴様は俺たち防空隊を役立たずだと愚弄するのか。許さんぞ、予備士官の分際で。」

若い士官は指揮杖を高瀬に突きつけて威嚇した。

「そんなつもりはないが、君たちに撃たれる側の、俺たち立場が違う者の意見が少しでも役に立てばと思っただけだ。よし、では俺が操縦してこの陣地を襲撃する。君たちのやり方があると言うのなら俺を敵機と思って撃ち落してみろ。何なら実弾を使ってもかまわん。」

 待機所の椅子に座って成り行きを眺めていた私たちは高瀬の言葉に驚いて立ち上がった。幾らなんでも実弾を使うとは穏やかではなかった。

「やってもどうせ弾の無駄遣いになるだけだ。心配ない。」

高瀬はわざと防空隊の士官に聞こえるような大声で煽り立てるようなことを言った。

「身をもって教えてやらなければ分からんのだ。困ったもんだ、兵学校出の石頭も。」

 高瀬はぐるりと振り返ると待機線に止めてある機体へと歩いて行った。そして発動機を始動させると軽々と空へと舞い上がっていった。一旦高度を取った高瀬は待機線に布陣した対空陣地を中心に大きく円を描いて飛行していたが、突然機体を捻って狙いを定めたように上空から突っ込んできた。そして地表を舐めるような低空で機体を左右に滑らせながら全速力で陣地上空を通過した。

 地面も引き裂くかと思うほどの爆音が響き渡り、機体は振り向く暇もないくらいの高速で後方へと去っていった。その機体を追いかけて機銃は銃身を振り立てて旋回を続けたが、機銃がやっと後方に向いた頃には高瀬は左に切り返して横合いから陣地の上を旋風のように通り過ぎた。

 確かに時速五百キロを超える航空機を人力で旋回させる重い大型の機銃で追従するのは至難の業のようだった。高瀬は何回も同じことを繰り返した。そうしているうちに機銃員には疲労が目立ってきて航空機の動きには全く追従出来なくなっていた。

「分かっただろう、飛行機は地上にいて追いかけるのは厄介なものだ。標的機が引いてくるろくに動かない吹流しばかり狙っていてもこういうことは分からないだろう。それでは実戦の時になって慌てるだけだ。」

飛行機から降りてきた高瀬は肩で息をする防空隊員に向かって言った。

「おい、武田、島田一飛曹と一緒にちょっと飛んでくれんか。この陣地を攻撃するつもりで、何回か低空でこの上を通過するだけでいい。頼む。」

 高瀬に言われて私は島田一飛曹と空に上がった。基地の上空を一周すると待機線の防空陣地目がけて舞い降りた。ところがさっきとは機銃の様子が違っていた。むやみに旋回俯仰をして攻撃してくる飛行機を追いかけるのではなくゆっくりとこちらの動きに合わせて銃座が旋回していた。そして我々が陣地への襲撃侵入路を決めるとその方向で機銃はぴたりと停止した。我々は陣地上空を通過したが機銃は旋回も俯仰もしなかった。そして陣地上空を通過して旋回する我々をまたゆっくりと追いかけた。

 何度やっても我々が侵入路を決めるとそれに合わせて銃口はこちらを向いた。先ほどまで高瀬の機体を後手後手に追いすがろうともがいていた機銃の動きは滑稽でもあったが、今はその銃口に不気味ささえ感じた。

「飛行機は一旦攻撃進路を決めると攻撃をあきらめない限り簡単に進路を変えることはできない。だからその進路上に弾を流してやれば飛行機の方から弾に当ってくれる。後はうまく当ってくれるように射点を決めておけばいい。

 人間誰も長年自分が習ってきたことを変えるのは並大抵のことではできない。対空射撃も同じことだ。高射学校で習った射撃方法を変えるのは容易なことじゃない。だからこんなことをして見せた。悪意はないんだ。訓練はこちらに都合のいいように状況を固定して実施している。しかし実戦では敵はこちらの思うようには動いてはくれない。

 何基かの機銃を統制装置で制御して敵機を火線の束の中に捉える。敵機が少数で同じ方向から来てくれればこれほど合理的な射撃方法はない。しかし多数の敵機が同時に多方向から高速で突っ込んできたら、果たしてそんな射撃で対処できるだろうか。実戦は常に不透明で流動的だ。臨機応変な対応をしなければ勝てやしない。後は君たちで研究してみてくれ。」

 すべてが終わってから高瀬は防空隊の指揮官に「余計な口を出したが、」と言って頭を下げた。高瀬の言うことには確かに一理あった。たとえば防護すべき対象の周囲を機銃で囲んで常に弾丸を撃ち上げていればその上空を通過しようとする敵機はみんな弾に当ってしまうことになる。しかし機銃の数には限りがあるし弾薬も無尽蔵ではない。

 また敵機がみんな機銃に向かってくるとは限らない。機銃を避けて攻撃対象に向かう敵機をどうしたらいいのか。一発必中が叫ばれ弾幕を張って敵を防ぐほどの弾丸にも事欠き、近接信管など思いもよらなかった日本の対空射撃には物量、科学技術共に問題が山積していた。

 しかも、艦攻、陸攻などの大型低速機を標的とした射撃を頑なに守り通そうとして、高速で機動性に富み、しかも重防御の米戦闘機に対しても、その射撃方法に工夫すら加えようとしなかった海軍の対空射撃は急速にその威力が低下していった。

 高速重防御戦闘機に対する有効な射撃方法という問題に対して高瀬が示した解答では百点満点とはいえないものの、そこそこ合格点に達する回答だった。高瀬は決して百点満点を狙おうとはしなかったが、彼我の状況を冷静に判断して、常に柔軟でしかもそれなりに有効な対応を心がけていた。戦争そのものにははっきりと否定的な態度を表していた高瀬だったが、戦闘に対しては極端な精神主義に走ることを非として常に積極的に、しかも合理的に対応しようとするその態度には好感をもって受け入れる者も少なくなかった。

「貴様が言っていた射撃方法はどこかで実験済みなのだろう。フィリピンか、試してみたのは。」

防空隊の指揮官が引き上げてから私は高瀬に尋ねてみた。

「ああ、これは俺のアイデアではない。貴様が言うとおりフィリピンにいた時、ある防空隊の士官が話していたことに自分の経験を加えてみた。『点を以って点を捉える。』それが今までの日本流の対空射撃だ。しかしこれでは名人芸をもってしても高速で運動する航空機を捉えるのは至難の業だ。

 弾丸が勝手に飛行機を追いかけて当ってくれればいいのだが、そんなことは夢物語だ。それならば高速で敵機に追従する機銃を開発するとか、炸薬の爆発力を大きくして危害半径を増すとか、弾幕を張ってその中に敵機を捉えて撃墜するとか、そういう面をもって点を捉えるといった射撃方法を考案するしかない。

 その指揮官はある施設に攻撃を仕掛けてくる敵機の侵入路がいつも同じであることに着目して、機銃の配置を変え、敵機が突っ込んで来た時にその進路上に弾を流すことを思いついた。敵が通るところに弾を流しているのだから必ず何発かは当ってくれる。それでずいぶん敵機を撃墜したそうだ。

 大事なことは習ったことを覚えて単純に繰り返すことではなく、その場その場の状況にうまく対応させることだと思う。どうも軍人は、あるいは日本人自体がそうなのかもしれないが、知識を状況に対応させるということが不得手なようだ。戦略的に見ればこの戦争はもう絶望的だ。有効な手立ては何もない。だが局地的な戦闘に限ればまだまだ戦い様によっては敵に一泡吹かせることはそんなに難しいことではない。要は何がその場に一番適した方法なのかを考えることだ。既成の知識や概念に囚われてはいけない。」