「味方編隊、戻ってくる。」
高瀬に無線を送ったが、高瀬からの応答はなかった。それどころか、高瀬は西に向かって更に高度を取ろうとした。私は訝りながら翼を左右に振って四番機に合図をすると高瀬の後を追った。
「武田、味方編隊の後上方をよく見ろ。」
味方編隊は着陸するため高度を下げながら基地に接近を始めた。
「後だ、後。」
高瀬の声がもう一度響いた。味方編隊の後上方高度約七千あたりに別の編隊が目に入った。
「しまった、敵か。」
私は思わず叫んだ。この態勢で後方から敵にかぶられたら編隊を解いて着陸態勢に入ろうとしている味方に大きな損害が出る。思わずスロットルを全開にして敵に向かおうとすると高瀬が機体を滑らせて前を遮った。高瀬機に突っ込みそうになってスロットルを戻すと機体を上昇させて速度を押さえた。
「敵機はP四七だ。馬力が違うから駆け上がり競争をしたらとても勝てない。」
落ち着いた高瀬の声が耳に響いた。前から迫ってくる何時ものグラマンとは違う胴体の太い銀色の大型戦闘機がぐんぐんと空を駆け上がって我々の頭を押さえようとしているように見えた。高瀬は速度を上げるでもなく高度を取るでもなく敵編隊の外側を回るように大きく右に旋回を始めた。そして敵が味方の編隊に被さるように降下を始めた時に大きく翼を翻して横合いから敵に向かって突っ込んで行った。
三十機に近い敵にたった四機で飛び込んで行くのはほとんど自殺行為だったが、高瀬は何時ものように一撃で敵の先頭機を砕いた。そしてそのまま敵の頭を押さえ込むように敵編隊の左から右へと駆け抜けて行った。私も照準器に捕らえた敵に向かって機銃を撃ちまくるとこれに火を吐かせた。
後方で戦闘が始まったことに気づいた味方は着陸を中止すると速度を上げて戦闘空域から離脱を図った。味方の危機を救った我々は制空の任務を果たしたが、何時もは一撃で離脱を図ろうとする高瀬が圧倒的に優勢な敵に絡みついて離れなかったことから、その後は敵に追いまくられ散々な目に遭わされた。
図体がでかい割には恐ろしく出足の鋭い大型戦闘機を振り切るのは容易なことではなく、各自ばらばらになりながらやっとのことで滑走路に滑り込んだ時、生き残っていたのは私と高瀬だけだった。
一日に四機の列機を失ったことに私は衝撃を受けた。劣勢で敵を迎え撃つこと三度、敵機十機を撃墜して味方が失ったのは事故を含めて四機だったのだから、スコアとしては勝ち戦だった。しかし、これまでどんな戦闘でも直率した部下を一度に四人も失ったことはなかった。
「戦争をしているんだから被害は付物だ。それを気に病んでいたら戦闘は出来ない。搭乗員四名を失ったのは残念だが、貴様たちは立派に戦ったのだから責任を感ずることはない。」
飛行長はそんな言い方で慰めようとした。
「高瀬、貴様は無理な戦いはすべきでないと言っていたが、最後の戦闘はどう考えても無謀だった。何時もは一撃で離脱を図る貴様がどうしてあんな無謀な戦いを挑んだんだ。」
私は指揮所から戻ってきた高瀬に食いついた。高瀬は私の隣に体を投げ出すように腰を降ろした。
「沖縄から来たのかな、あのP四七。上陸直後に飛行場を取られたとは言っていたが、もう機能しているんだな、敵の沖縄の航空部隊は。素早いものだよな。」
「俺はそんなことを聞いているんじゃない。」
私は気色ばんで立ち上がった。
「合理的な戦い方をすべきだと言っていた貴様が、圧倒的に優勢な敵のど真ん中に飛び込むなんぞ、どうしてあんなことをしたのか、それを聞いているんだ。」
高瀬は「おや」という表情で振り返った。
「今日、俺とお前が生きて帰れたのはただ運がよかったからだ。俺はあそこで味方の編隊の安全と引き換えに死ぬつもりだった。」
高瀬が前を向き直ってそう言った。
「あの時、自分たちに被害が出ないように合理的に戦おうと思えば出来たかもしれない。しかしそれでは着陸しようとしていた味方が壊滅的な被害を受けていただろう。俺たち四機が時間を稼いで味方が退避する時間を作り、味方の主力が救えるのなら、部隊として考えればそれは合理的じゃないのかな。
戦争では個人の命など問題じゃない。勝つためには人の命など無造作に切り捨てる。作戦を立案する参謀たちのコンパスの広げ方、定規の使い方で、何千、何万の命が消えていく。戦争をするってことはそういうことだ。」
高瀬は無造作に言ってのけた。
「だからと言って貴様も無造作に人の命を切り捨てるのか。そういう考え方に同調するのか。」
作戦ということを考えれば高瀬の言うことに理があることはよく分かっていた。だが私の感情は収まらなかった。高瀬はゆっくりと立ち上がって私に向き合った。
「良いか悪いかの問題ではない。俺たちは戦争をしているんだ、戦争を。それを忘れるな。」
高瀬は普段見せたことのないような厳しい表情で私を睨み据えた。私も負けずに睨み返した。
「高瀬中尉、武田中尉、貴様たちの身を捨てた奮戦には感謝する。おかげで部隊は壊滅的な被害を免れた。」
突然飛び込んできた声の方向を振り返ると山下隊長が立っていた。
「直卒の部下を失った武田中尉の無念の気持ちもよく分かる。個人の感情を捨てて部隊としての戦闘に徹しようという高瀬中尉の考え方も納得できる。しかし今、俺たちは海軍の総力を挙げて敵の圧倒的な戦力と戦っている。ここが正念場だということを忘れんで欲しい。今日の貴様たちの戦闘は見事だった。改めて礼を言う。」
山下隊長はそれだけ言うと立ち去った。私たちは睨み合ったのも忘れて顔を見合わせた。
「おう、俄か雇いのスペア士官もバリバリの海兵出にお褒めの言葉を頂く身分になったか。」
高瀬はぞんざいな調子で投げつけるように言うとまた椅子に体を投げ出した。私も自分のやり切れない感情を高瀬にぶつけるのをやめて湯飲みにお茶を注ぐと椅子に腰を降ろしてそのお茶を口の中で転がすようにゆっくりと飲み込んだ。