数日の戦力回復期間をおいて第二段階の作戦が準備されていた。各地から補充の搭乗員が使い古された機体に乗って決戦場へと馳せ参じてきたが、満足に編隊も組めないものが大部分で、搭乗員の技量、機体の性能、質量、どれを取ってみても到底敵に抗すべくもないのは明らかだった。

 制空部隊である我々は搭乗員と機体の補充を受けて表面的には戦力をほぼ回復したが、粗製乱造による機体の性能低下に加えて補充された搭乗員はほとんどが実戦経験のない未熟な搭乗員であることなどを考えると実際の戦力低下は数値に表わされたものよりもずっと大きかった。しかも部隊発足当時のようにそれらの未熟な搭乗員を編隊空戦が出来るまでに訓練する時間はなく、そのままに実戦に投入せざるを得なかった。

 そんな状況では多寡だか十回にも満たない実戦経験しかない我々でも当然のように古参の搭乗員として扱われた。高瀬は勿論、私までもが実戦経験のない搭乗員をその指揮下に割り振られた。

「飛行時間は何時間か。」

私に割り振られた中山三飛曹は少年のようなあどけなさを残した顔を紅潮させて大声で答えた。

「百五十二時間であります。」

「そうか、それでは基本空戦機動は一通り出来るな。」

「はい。」

中山三飛曹は耳が張り裂けそうな大声を出した。

「そんなに大きな声を出さなくてもいいよ。普通に答えればそれでいい。」

私が笑うと中山三飛曹は大きく息を吐き出してから普通の声で「はい。」と答えた。

「飛行時間なんか俺とそんなに変わらんよ。一、二回実戦に出て生き残ればもう古参の搭乗員だよ。」

『だからその一回か二回の実戦を生き残れ。』

 私はそう続けたかった。しかし、そうは言っても今日の終わりに自分が生きている保証もなかったが、生き物としての本性なのか、ただ厚かましいだけなのか自分が死ぬとはかけらも思わなかった。簡単な面接にもならないような問答が終わると私は中山三飛曹を飛行場に連れ出した。実機を使って紫電の操縦方法を一通り説明するつもりだったが、内地とは言え最前線となってしまった九州で補充の搭乗員を連れて慣熟飛行を行っている余裕はなかった。

 掩体に格納されている自分の機体まで中山三飛曹を連れて行って操縦席に座らせ、計器、レバー等の配置を一通り説明してから零戦には装備されていない空戦フラップについて簡単に説明した。これは翼面荷重の比較的高い局地戦闘機である紫電が急旋回した際に揚力を確保して、小さい半径でうまく旋回することを可能にするために自動的に最適の角度でフラップを開く装置で我々のような技量未熟の搭乗員には随分と便利な仕掛けだった。

「空に上がったら空戦に入る前に必ずスイッチを自動にしておくことを忘れるな。ベテラン搭乗員は手動で使っているようだが、我々にはそんな技量も余裕もない。機械が勝手にうまく飛べるようにしてくれるんだからありがたいものだ。便利な道具はありがたく使わせてもらった方がいい。ただし誤作動には気をつけろよ。」

操縦席に座って真剣な目つきで食い入るように機器を見つめている中山三飛曹に話しかけた。

「ここにくる前に横須賀空で何時間か紫電に搭乗しました。二一型ではなく一一型でしたが、機器類の配置は概ね同じであります。」

「何だ、知っていたのか。」

 大した経験もないくせに知ったかぶりをして解説をした自分が照れ臭くなった私は笑って誤魔化して機体を降りた。後を追って転げるように機体から降りて来た中山三飛曹は私の前に立ち塞がるように回り込むと大声で言った。

「私は命など惜しくはありません。喜んで国難に殉ずる覚悟は出来ています。」

「生きろ、生きて戦え。ただ死ぬばかりがご奉公じゃない。最後の最後まで生き抜いて戦え。いいか。」

中山三飛曹は「はい。」と返事はしたものの、多くの仲間が特攻で散っていくこの時期に『生きろ。』という私の言葉は受け入れ難い様子だった。

「いいか、中山、死ぬことは容易なことではないが、命令一つあれば何時でも死ねる。俺たちの任務は生きて敵と戦うことだ。それを忘れるな。」

私は念を押すようにもう一度言って聞かせた。翌日から海軍がその肉や骨を削って注ぎ込むような総攻撃が再開された。すでに海軍には主力となるべき艦隊はなく未熟な搭乗員に使い古した機材をあてがって、ひたすら敵に人間の命を叩きつけるしか戦うすべはなかった。

 第一次攻撃は相当な効果を上げ、慶良間列島には損傷した敵の艦船がひしめき合っているという偵察報告は聞こえていたが、敵の攻勢は一向に弱まる気配が見えなかった。それに引き換え我々の戦力は急速に弱体化して枯渇して行った。第一次と同様に連日沖縄の敵艦船に向かって特攻機が出撃して行った。そして我々はその護衛に当たった。しかし敵は攻撃隊を待ち受ける戦術と同時にその出撃拠点を叩くことも併せて行い始めたために、我々は特攻機の進路の制空だけでなく基地上空の警戒も行わなければならなくなった。勢い搭乗員の負担は増加して戦力は分散され弱体化に拍車がかかった。

「中山、集合だ。」

 古参の下士官が大声を上げた。今日は彼の初陣だった。中山三飛曹は特攻に指名された隊員と手を握り合って別れを惜しんでいた。

「何があっても編隊を離れるな。この間言ったことを忘れるなよ。いいか。」

中山三飛曹は下を向いたまま黙っていた。

「どうした、中山。分かったのか。」

私は念を押すように聞き直した。

「分隊士、私は今日出撃したら生きて帰ろうとは思っておりません。同期の者が今日特攻攻撃に出撃します。これまで苦楽を共にした仲間が命を捨ててこの国難に殉じようとしている時に私一人がおめおめと生きてはおれません。彼等が敵に体当たりして任務を完遂するまで私は彼等を守ります。命はもう要りません。一緒に逝きます。」

 中山三飛曹は思いつめたように静かにゆっくりと話した。それは彼なりに苦しみ抜いて達した結論に違いなかった。

「中山、貴様が同期の仲間を送り出すのが情において忍び難いのはよく分かる。しかし、どんなに辛かろうとそれは私情だ。我々には司令からの命令がある。俺も軍人、貴様も軍人、軍人に命令は絶対だ。いいか、命令に私情を挟むな。我々の任務は特攻ではない。特攻機の進路の制空だ。特攻はこれからも続く。俺たちがいなくなったら、これから後に続く特攻隊員に大きな損害が出る。特攻は今日出撃する者だけではない。それを忘れるな。」

中山三飛曹は顔を上げて大きく見開いた目を私に向けた。その目は涙で光っていた。基地を離陸して一時間、お定まりのように敵は喜界が島上空で待ち構えていた。その敵に我々よりも先に陸軍の四式戦が絡みついた。その後一呼吸おいて我々の編隊も敵の中に飛び込んで行った。圧倒的に優勢な敵に対して制空戦闘と言えば聞こえはいいが、我々に出来ることは自分を囮にして敵を引っ張り回して燃料弾薬を消費させ、特攻機のために一時的に沖縄までの空路に抜け穴を作ってやるのが精一杯だった。

 敵を照準器に捉えても正確な照準も何もなく、とにかく手当たり次第に機銃を乱射して敵の編隊を突き抜け、それを数回繰り返すと後は一目散に逃げ出した。振り返ると二番機に付けておいた中山が反転して敵に向かっていくのが目に入った。

 列機に帰還するよう命じておいて私は単機で機首を返して中山機を追った。しかし連れ戻すどころか中山機は敵のど真ん中に飛び込んで十数機の敵から集中砲火を浴びていた。私に出来ることはのたうちながら燃え上がる中山機をただ見つめるだけだった。もう火は機体全体を包んでいて救出しようにも術がなかった。そして中山に群がっていた敵機の一部は私を見つけてこちらに機首を向けた。私は反転しながら降下して敵を振り切ると全速力で北に飛んだ。

 このまま戦が続けば何れは誰もが命を落とすのは目に見えていた。事実、特攻の指名を受けていない我々の部隊もこの半月で四分の一近い搭乗員を失っていた。誰の命も時代の大きな流れの中では強風の前に置かれた蝋燭の炎のようなものだった。その中で『死ね。』と命令された者と『生きて帰って死ぬまで戦え。』と命令された者がいた。先に待っているのは同じ死であっても、その両者の間には大きな隔たりがあった。中山はその隔たりを乗り越えることが出来ず私情に溺れて命を落とした。人として彼の行動は称えるべきものがあることは否定しないが、公人たる軍人として彼の行動が賞賛の対象になるべきかは首を傾げざるをえなかった。

『中山は十数機の敵機を自分の身をもって引きつけて特攻機の進路を開いた。』

私はそう考えながら帰途を急いだが、何かしら納得できないものが心にわだかまっていた。基地に滑り込んで指揮所に行くと中山三飛曹の戦死を報告した。

「中山三飛曹は単機で敵十数機と交戦し、被弾自爆戦死しました。」

 出来るだけ感情を交えずに手短に報告すると飛行長から「何とかして連れて帰れなかったのか。」と質問があった。編隊で離脱途中に単機で反転して敵の中に飛び込んだので後を追いかけたがどうすることも出来なかったことを話すと飛行長は黙って頷いた。

「中山の双子の兄弟が今日特攻出撃したんだ。後で分かったことだが、最初から分かっていれば出すんじゃなかった。」

飛行長はしばらく黙って私を見つめていたが「ごくろう。」と言って私を解放した。待機所に戻ると高瀬が出迎えてくれた。高瀬は今日も敵機を撃墜して金色の十字架の数を増やしていた。