明け切らない空の下に多数の戦闘機が並べられ、その間を、まるで一ヶ月前と同じように懐中電灯を手にした整備員が忙しく動き回っていた。
「沖縄周辺の敵を撃滅せよ。そして全機無事に帰って来い。」
それが司令の訓示だった。
「大分、鹿屋、知覧からも陸海軍の制空隊が出る。必要な指示は無線で流す。連携を取って共同で敵に当たれ。」
飛行長から短い指示があった。しかし誰も生きて帰ろうとは思っていなかったに違いない。私自身生きて帰ろうとは思わなかった。搭乗前に小隊長の高瀬が隊員を集めて簡単な指示をした。
「単独戦闘は厳に慎め。どんなことがあっても編隊を崩すな。編隊で戦えば生きて帰ることが出来る。生きて帰ってこの戦争が終わるまで戦え。全機俺について来い。」
高瀬の普段と違った激の飛ばし方に私は少し驚いて高瀬の顔を見つめた。高瀬は構わずに「別れ。」の号令をかけると自分の機体に向かって走り出した。
離陸して約一時間、我々は喜界が島上空でおよそ五、六十機の敵編隊を発見してこれに攻撃をかけた。典型的な後上方からの優位戦であっという間に敵を蹴散らしたのはよかったが、新手の敵が救援にやって来て形勢が悪くなった。私は区隊で降下攻撃をかけ、敵機一機を撃墜して優越感に浸っていたのもつかの間、救援の新手を加えて形勢を挽回した敵は反撃に転じた。
我々は数で圧倒的に勝る敵に包囲されて苦戦に陥った。区隊をまとめて急降下して追撃して来る敵を振り切り空戦空域を離脱したが、四番機の姿が見えなくなったために二機を先に返して単機で空戦空域に引き返した。
機首を返して五分も飛ぶと、逸れた四番機はすぐに見つかった。四番機は二機の敵に追いかけられて四苦八苦していた。すでに被弾したらしく発動機から薄い白煙を引きながら高度を落として行った。私は距離が遠いことは承知で追撃する敵と四番機の間めがけて機関銃を連射した。敵に自分の存在を知らせて注意を引きつけるためだった。目の前を曳光弾が流れていくのを見て敵機の一機は機首を返して私の方に向かってきた。
『敵と遠距離で正面から撃ち合うな。』
高瀬の声が聞こえたような気がした。私自身も二度の実戦を経験して敵の機銃弾が低伸性の良いことは経験済みだったので、一旦右に旋回して格闘戦に持ち込もうとした。こちらの思惑通り敵は私の後を追って旋回に入った。勝負は数旋回で決着した。旋回の輪から離脱しようとした敵機を急旋回で追って至近距離から機銃を連射した。爆発で引き裂かれ翼が折れた敵は独楽のように回りながら墜落ちて行った。
敵機を撃墜して高度を上げながら四番機を探したが、広い空には私の機体以外飛んでいるものは何も見えなかった。しばらく旋回してから私は機首を北東に向けた。高揚した気持ちが収まって来て自分がたった一人で飛んでいることに気がつくと言い様のない孤独感が押し寄せてきてそれが恐怖へと変わった。突然降って湧いたように敵機が現れて自分と乗機を引き裂き砕くのではないかとしきりに辺りを見回した。それでも見えるのは所々に浮かんだ雲ばかりだった。
そんな心細さも陸地が遠くに見えてくると急に気が大きくなってまた今日の戦果を誇りたい気分になってきた。そしてそんな気持ちは基地に近づくにつれて増していった。私は基地の上空を大きく旋回すると滑走路に滑り込んだ。機体の行き足が止まると整備員が駆け寄ってきたが、これまでとは違って誰も表情が強張っていた。
「皆帰ってきているか。」
発動機を切って整備員に尋ねた。
「帰って来たのは大よそ半数です。山下隊長、高瀬分隊士、高藤上飛曹もまだ戻りません。」
私はそれを聞いて冷水を浴びせられたように体がすくんだ。今度の戦いが容易なものではないことを改めて思い知らされた。指揮所に報告に行くと飛行長も表情を強張らせていた。
「F六F二機撃墜確実、うち一機は小隊による共同撃墜。」
戦果を報告しても飛行長の顔に笑顔はなかった。
「ご苦労だった。午後もう一度出てもらうことになる。待機所で食事を摂って休養してくれ。」
飛行長は机の上の双眼鏡を手に取ると指揮所の奥に戻って行った。待機所に行く途中何度も爆音を聞いて空を見上げた。三々五々味方機が帰還して来た。その中には発動機から白煙を引いてよろめきながら帰って来る機体もあった。
「やられた、やられた。」
海兵出の竹本中尉が私を見とめて言った。
「他の部隊と連携して当たれと言ったが、一体他の部隊は出ているのか。」
「零戦隊は喜界が島の手前で別の敵戦闘機隊に遭遇して散々だったそうです。陸軍の四式戦部隊は航法と誘導がまずくて戦闘空域に辿り着けなかったそうですよ。午後は海軍から誘導機をつけて出すと言っていました。」
島田一飛曹の声が聞こえた。
「島田、無事だったのか。」
私は思わず声の方を振り向いた。
「まだ帰還しない機体の燃料はよくもって後十五分ですね。」
島田一飛曹は時計を見ながら呟いた。誰もが西の空を見上げた。
「高瀬を見かけなかったか。」
「高瀬分隊士は二番機を探しに単機で戦闘空域に戻って行かれましたが、その後は、・・・」
島田一飛曹はそのまま黙って俯いた。
「丸山は、丸山中尉は、」
「丸山は最初の一撃の後に新手の敵にかぶられて撃墜された。」
今度は竹本中尉が俯いた。
「撃墜数は戻った者の分だけでも二十機を超えている。だが味方の損害も五機や十機じゃないぞ。」
「五十機にも満たない数で百機を優に超える敵と渡り合ったんだ。仕方がないさ。」
「こんなじゃあ一週間もしないうちに味方は全滅だな。」
その時かすかな爆音が耳に飛び込んできた。誰もが立ち上がって天幕の外に飛び出した。
「双眼鏡を持って来い。」
「見張所、帰還したのは誰か。見張所。」
誰かが大声を張り上げた。見張員は大型双眼鏡を爆音のする方向に向けた。沈黙が続く中、爆音だけが次第に大きくなって耳を打った。
「隊長機着陸します。高藤機続いて着陸します。」
見張員が大声を張り上げた。二機は何ごともなかったように安定した姿勢で滑走路に滑り込んだ。先に待機所に戻ってきたのは高藤兵曹長だった。
「何機戻って来ているか。」
高藤兵曹長が最初に口に出した言葉はそれだった。
「隊長と先任を入れて三十三機です。」
島田一飛曹が答えた。
「十五機もいかれたか。」
「高瀬分隊士、丸山分隊士も今だ未帰還です。」
「なに、まさか、」
高瀬が未帰還と聞いてさすがの高藤兵曹長も言葉を失った。
「燃料、後十分。」
見張所からの声が響いた。誰もが顔を見合わせたが言葉を飲み込んだまま口に出すものはいなかった。
「おい、皆、どうした。景気の悪い顔をして。」
山下隊長の声が響いた。
「一四○○、大村空と合同で稼動全機をもって制空に出る。集合は一三四五、指揮所前。準備しておけ。」
山下隊長は命令を伝えると指揮所に戻って行った。主計が握り飯と一緒に缶詰や漬物を運んできたが、手をつける者は少なく誰もが西の空を見上げていた。
「燃料、後五分。」
何人かが時計を見つめてため息をついた。結局、残りの五分が過ぎても高瀬を含めて未帰還の一五名は一人も帰らなかった。天幕の中に戻る者、しばらく空を見つめる者、それぞれが残酷な現実を納得させようと時間を過ごしていたが、やがて全員が午後の行動に備えてそれぞれ準備を始めた。
私には高瀬が未帰還になったことが信じられなかった。その辺からひょっこりと高瀬が現れそうな気がしてならなかった。しかし燃料切れの時間を一時間過ぎても高瀬たちは一機も戻らなかった。そしてその頃になるとさすがに高瀬たちの未帰還を認めざるを得なくなった。
「沖縄周辺の敵を撃滅せよ。そして全機無事に帰って来い。」
それが司令の訓示だった。
「大分、鹿屋、知覧からも陸海軍の制空隊が出る。必要な指示は無線で流す。連携を取って共同で敵に当たれ。」
飛行長から短い指示があった。しかし誰も生きて帰ろうとは思っていなかったに違いない。私自身生きて帰ろうとは思わなかった。搭乗前に小隊長の高瀬が隊員を集めて簡単な指示をした。
「単独戦闘は厳に慎め。どんなことがあっても編隊を崩すな。編隊で戦えば生きて帰ることが出来る。生きて帰ってこの戦争が終わるまで戦え。全機俺について来い。」
高瀬の普段と違った激の飛ばし方に私は少し驚いて高瀬の顔を見つめた。高瀬は構わずに「別れ。」の号令をかけると自分の機体に向かって走り出した。
離陸して約一時間、我々は喜界が島上空でおよそ五、六十機の敵編隊を発見してこれに攻撃をかけた。典型的な後上方からの優位戦であっという間に敵を蹴散らしたのはよかったが、新手の敵が救援にやって来て形勢が悪くなった。私は区隊で降下攻撃をかけ、敵機一機を撃墜して優越感に浸っていたのもつかの間、救援の新手を加えて形勢を挽回した敵は反撃に転じた。
我々は数で圧倒的に勝る敵に包囲されて苦戦に陥った。区隊をまとめて急降下して追撃して来る敵を振り切り空戦空域を離脱したが、四番機の姿が見えなくなったために二機を先に返して単機で空戦空域に引き返した。
機首を返して五分も飛ぶと、逸れた四番機はすぐに見つかった。四番機は二機の敵に追いかけられて四苦八苦していた。すでに被弾したらしく発動機から薄い白煙を引きながら高度を落として行った。私は距離が遠いことは承知で追撃する敵と四番機の間めがけて機関銃を連射した。敵に自分の存在を知らせて注意を引きつけるためだった。目の前を曳光弾が流れていくのを見て敵機の一機は機首を返して私の方に向かってきた。
『敵と遠距離で正面から撃ち合うな。』
高瀬の声が聞こえたような気がした。私自身も二度の実戦を経験して敵の機銃弾が低伸性の良いことは経験済みだったので、一旦右に旋回して格闘戦に持ち込もうとした。こちらの思惑通り敵は私の後を追って旋回に入った。勝負は数旋回で決着した。旋回の輪から離脱しようとした敵機を急旋回で追って至近距離から機銃を連射した。爆発で引き裂かれ翼が折れた敵は独楽のように回りながら墜落ちて行った。
敵機を撃墜して高度を上げながら四番機を探したが、広い空には私の機体以外飛んでいるものは何も見えなかった。しばらく旋回してから私は機首を北東に向けた。高揚した気持ちが収まって来て自分がたった一人で飛んでいることに気がつくと言い様のない孤独感が押し寄せてきてそれが恐怖へと変わった。突然降って湧いたように敵機が現れて自分と乗機を引き裂き砕くのではないかとしきりに辺りを見回した。それでも見えるのは所々に浮かんだ雲ばかりだった。
そんな心細さも陸地が遠くに見えてくると急に気が大きくなってまた今日の戦果を誇りたい気分になってきた。そしてそんな気持ちは基地に近づくにつれて増していった。私は基地の上空を大きく旋回すると滑走路に滑り込んだ。機体の行き足が止まると整備員が駆け寄ってきたが、これまでとは違って誰も表情が強張っていた。
「皆帰ってきているか。」
発動機を切って整備員に尋ねた。
「帰って来たのは大よそ半数です。山下隊長、高瀬分隊士、高藤上飛曹もまだ戻りません。」
私はそれを聞いて冷水を浴びせられたように体がすくんだ。今度の戦いが容易なものではないことを改めて思い知らされた。指揮所に報告に行くと飛行長も表情を強張らせていた。
「F六F二機撃墜確実、うち一機は小隊による共同撃墜。」
戦果を報告しても飛行長の顔に笑顔はなかった。
「ご苦労だった。午後もう一度出てもらうことになる。待機所で食事を摂って休養してくれ。」
飛行長は机の上の双眼鏡を手に取ると指揮所の奥に戻って行った。待機所に行く途中何度も爆音を聞いて空を見上げた。三々五々味方機が帰還して来た。その中には発動機から白煙を引いてよろめきながら帰って来る機体もあった。
「やられた、やられた。」
海兵出の竹本中尉が私を見とめて言った。
「他の部隊と連携して当たれと言ったが、一体他の部隊は出ているのか。」
「零戦隊は喜界が島の手前で別の敵戦闘機隊に遭遇して散々だったそうです。陸軍の四式戦部隊は航法と誘導がまずくて戦闘空域に辿り着けなかったそうですよ。午後は海軍から誘導機をつけて出すと言っていました。」
島田一飛曹の声が聞こえた。
「島田、無事だったのか。」
私は思わず声の方を振り向いた。
「まだ帰還しない機体の燃料はよくもって後十五分ですね。」
島田一飛曹は時計を見ながら呟いた。誰もが西の空を見上げた。
「高瀬を見かけなかったか。」
「高瀬分隊士は二番機を探しに単機で戦闘空域に戻って行かれましたが、その後は、・・・」
島田一飛曹はそのまま黙って俯いた。
「丸山は、丸山中尉は、」
「丸山は最初の一撃の後に新手の敵にかぶられて撃墜された。」
今度は竹本中尉が俯いた。
「撃墜数は戻った者の分だけでも二十機を超えている。だが味方の損害も五機や十機じゃないぞ。」
「五十機にも満たない数で百機を優に超える敵と渡り合ったんだ。仕方がないさ。」
「こんなじゃあ一週間もしないうちに味方は全滅だな。」
その時かすかな爆音が耳に飛び込んできた。誰もが立ち上がって天幕の外に飛び出した。
「双眼鏡を持って来い。」
「見張所、帰還したのは誰か。見張所。」
誰かが大声を張り上げた。見張員は大型双眼鏡を爆音のする方向に向けた。沈黙が続く中、爆音だけが次第に大きくなって耳を打った。
「隊長機着陸します。高藤機続いて着陸します。」
見張員が大声を張り上げた。二機は何ごともなかったように安定した姿勢で滑走路に滑り込んだ。先に待機所に戻ってきたのは高藤兵曹長だった。
「何機戻って来ているか。」
高藤兵曹長が最初に口に出した言葉はそれだった。
「隊長と先任を入れて三十三機です。」
島田一飛曹が答えた。
「十五機もいかれたか。」
「高瀬分隊士、丸山分隊士も今だ未帰還です。」
「なに、まさか、」
高瀬が未帰還と聞いてさすがの高藤兵曹長も言葉を失った。
「燃料、後十分。」
見張所からの声が響いた。誰もが顔を見合わせたが言葉を飲み込んだまま口に出すものはいなかった。
「おい、皆、どうした。景気の悪い顔をして。」
山下隊長の声が響いた。
「一四○○、大村空と合同で稼動全機をもって制空に出る。集合は一三四五、指揮所前。準備しておけ。」
山下隊長は命令を伝えると指揮所に戻って行った。主計が握り飯と一緒に缶詰や漬物を運んできたが、手をつける者は少なく誰もが西の空を見上げていた。
「燃料、後五分。」
何人かが時計を見つめてため息をついた。結局、残りの五分が過ぎても高瀬を含めて未帰還の一五名は一人も帰らなかった。天幕の中に戻る者、しばらく空を見つめる者、それぞれが残酷な現実を納得させようと時間を過ごしていたが、やがて全員が午後の行動に備えてそれぞれ準備を始めた。
私には高瀬が未帰還になったことが信じられなかった。その辺からひょっこりと高瀬が現れそうな気がしてならなかった。しかし燃料切れの時間を一時間過ぎても高瀬たちは一機も戻らなかった。そしてその頃になるとさすがに高瀬たちの未帰還を認めざるを得なくなった。