長かった待機勤務を終えて従兵の運んでくれた食事を取っていると飛行長が一升瓶二本を下げて入ってきた。
「今日はご苦労だった。ベテランでも撃墜の困難なB二九を一撃で撃墜したのは見事だ。これは司令と私からだ。」
飛行長は下げてきた一升瓶を差し出した。
「私の手柄ではありません。島田一飛曹の手柄です。お言葉はそのまま島田一飛曹に伝えてやりたいと思います。」
飛行長は黙って頷いた。
「その島田の本領を引き出したのは誰の手柄かな。」
「はっ。」
「貴様が彼の本当の能力を引き出したんじゃないのか。しかし無線に入っていたぞ。『引け。』という島田の声が。前方背面降下攻撃は初めてか。あれは突っ込みの角度と引き起こしの時期を判断するのが難しい。無理をしちゃいかんぞ。」
飛行長はそれだけを言うと振り向いて出口の方に向かって歩き出した。そして出口のところで思い出したように振り向いた。
「陸軍の連中を慰労してやろうかと思ってな。もうすぐに士官連中が士官次室に集まる。貴様もどうだ、顔を出してみないか。」
私は「はい」と返事をして飛行長の背中に向かって敬礼した。食事を戻した後、飛行長からの褒賞の一升瓶一本を下げて下士官宿舎に向かった。戸口から部屋を覗くと酒を飲んでいる者、博打に興じている者、寝台に寝転がっている者、それぞれ様々につかの間の余暇を過ごしていた。島田一飛曹は寝台に寝転がって本を読んでいた。私はそっと部屋に入ると島田一飛曹の寝台へ歩み寄った。
「気をつけぇ。」
高藤飛曹長の号令が響いた。その声で全員が立ち上がって私に向かって敬礼をした。私は答礼をしたが、未だにこの軍隊の儀式が何とも照れくさかった。
「どうか楽にしてくれ。島田一飛曹に飛行長からの届け物をもって来ただけなんだ。」
顔が熱くなるのを感じながら私はなるべく皆の時間を邪魔しないようにと心を砕いた。
「分隊士、B公をやったそうですなあ。分隊士も高瀬中尉のような天才かもしれませんな。」
「俺はただ運がよかっただけで高瀬のような天才とは違う。高瀬や島田一飛曹がいなかったら今ごろは靖国神社で神様やってるよ。」
背中に大きな笑い声を受け止めながら私は一升瓶を島田一飛曹の寝台に置いた。
「司令と飛行長から今日の貴様の活躍に対してくださった。昨日といい、今日といい、貴様には本当に助けられた。俺からも礼を言う。」
「そんな、礼を言うのはこちらの方です。分隊士がおられたからこそ戦果が上がったのです。それを酒までいただいて恐縮しております。」
「じゃあ失礼する。邪魔をした。」
私は出口に向かった。そして戸口のところで、私はさっき飛行長がしたように振り返った。
「士官次室で陸軍さんの歓迎会をやるらしい。皆も顔を出してやったらどうか。向こうにも下士官はいるのだし、かまわないだろう。」
私は一旦部屋に戻り、そこにいた高瀬や他の数人の士官と連れ立って慰労会へと出かけた。会場の士官次室にはもう陸軍の搭乗員と飛行長、山下隊長や各隊の士官が集って酒盛りが始まっていた。
「おう、英雄のお出ましだな、さあ、こっちへ来て飲め、飲め。」
飛行長が手招きで私達を座に呼び込んだ。とりあえず茶碗に注いでもらった酒を一口飲んだところで陸軍の中尉が立ち上がって我々に礼を言った。酒井という士官学校出の若い中尉だった。その中尉は『皇軍精神の神髄を発揮して云々、皇軍の精華を極めた云々』という言葉を好んで使った。それを聞いていた高瀬が顔をしかめて茶碗を煽った。
戦力とは前線に展開する戦力、それを支える資源、生産力、技術力、そしてこれらを戦力として統合し、合理的かつ柔軟に運用しうる国家戦略、確固たる施政方針、したたかな外交手腕、そうした条件が整ってこその精神力なのであろうに、わが国のように資源が乏しく、技術も欧米の追従模倣を抜け出せず、そして貧弱な生産力も敵の爆撃によって破壊し尽くされようとしている今、ただいたずらに精神力だけを鼓舞してみても、それは有効な戦力となり得ないことは明らかだった。
「君たちが乗っている戦闘機に付いている発動機は米国製、ペラはフランス製だよ。機銃も十三ミリは米国製、うちの二十ミリはスイス、陸軍の二十ミリはドイツ製だったかな。とにかく軍用航空機の基幹部品はみんな欧米の技術だよ。」
飛行長がさらりと言ってのけた。
「お言葉ですが四式戦の機体、発動機ともに中島飛行機が開発したものであります。」
陸軍の中尉は心外といった様子で飛行長に反論した。
「確かに作っているところはそうさ。だが元の技術は欧米のものだよ。四式戦のペラは仏蘭西のラチェから製造権を購入したものだろう。もっともうちの紫電のペラも独逸から製造権を買って造っているものだけどな。海軍の象徴と言われる戦艦大和の装甲も英国製だよ。結局敵の技術を使わせてもらって戦争をしているのだから、お互いにあまり大きなことは言えんなあ。」
「しかし、たとえこの身が砕けようと陛下の御盾として国体を護持し、御大心を安んじ奉らなければ申し訳が立ちません。」
飛行長はゆっくりと茶碗を口に運んだ。
「国体も御大心も国家と国土と国民があっての話だ。陛下もそれはよくご存知だと思うよ。この戦争は本当に必要不可欠なものだったのだろうかと最近はそう考えることがあるよ。この戦争が日本にとって是か非か、それは分からんし、政は政府と議会の仕事で、我々は戦えと言われれば、それがどのような戦争であろうと戦わなければならないのだけれど、せめて戦うのなら戦うで別のやり方があったのかもしれない。陸軍と海軍は縄張り意識から争いをしたりしないで、お互いに協力してこの戦争を戦わなければいけなかったのかもしれない。
同じ国の軍隊で同じ発動機を積んだ陸上戦闘機なら、君たちが使っている戦闘機と我々海軍の使っている戦闘機が異なっていること自体不自然なことだ。まして同じ口径の機銃を使っているのに弾丸に互換性がないなど我々は真剣にこの戦争を戦う気がなかったと言われても反論の余地がない。
今回の戦争は、単に双方が保有している戦力を使用した決戦によって雌雄を決するなどという以前の戦争とは違って、資源、生産力、技術力、人的資源、そういったものを総動員して、物を作りながら戦い、戦いながら作り、相手が消耗し尽くして立ち上がれなくなるまで戦い続ける総力戦だ。
本来はすべての規格を統一してできるだけ部品を共通化して、できるだけたくさんの兵器を短期間に作らなければならなかったのに、そんな戦いの最中、陸海軍の兵器の規格がばらばらでお互いに弾薬を融通しあうことも出来ないなど我々にはこの戦争を戦う能力も資格もなかったということかな。
うちの部隊の者にはもう言ったことだが、この戦争は負けだ。最初から勝てる見込みなど万に一つもなかった。それが分かっていながら軍の面子や妄信的な精神論に引きずられ、合理的な戦略、戦術の分析をすることもなく、この戦争を始めてしまった。本来軍の目的は国家と国民の安全を守ることであったのに、我々はそれさえ忘れていた。
ただ最後の最後になってそのことに気がついたのがせめてもの救いかもしれない。戦いはまだしばらくは続くだろう。我々に残された最後の使命は、命に代えてもこの国と国民を後世に残すことだ。そのためには陸軍も海軍もない。出来る限り協力し合って最後の使命を果たそうじゃないか。」
飛行長の言葉に反論するものは誰もいなかった。誰もが押し黙って下を向いていた。
「どうもいかんな。俺がこんなことを言っては軍法会議ものだな。俺も高瀬や武田に影響されたらしい。だが軍内部ばかり見ていて外の世界を見なかったつけが回ってきたようなものだよ。予備士官をスペアだの俄か雇いだのと馬鹿にする風潮があるが、それは大きな間違いだ。軍事的な知識なら海兵出の方が上だろうが、広い意味での学識や一般的な常識的なものの見方では比較にならん。軍人もこれからは普通学を軽んじては勤まらん。馬車馬のように前ばかり見つめておらんで違った視点からものを見ることが必要だとつくづく感じたよ。」
飛行長は手に持った茶碗を口に運ぶとゆっくりと酒を一口飲み込んだ。
「今まで話したような技術という問題もそうなんだが、個々の技術を統合して米国で言うシステムとして運用するという能力、我が国はこれにも遅れを取っている感がある。電探の開発、これにも大きく遅れを取ったが、性能はとにかく今はそれなりに使えるものは出来ている。ところが電探で得られた情報を一ヶ所に集約して分析して防空戦闘機を誘導する、高射火器で迎撃する、そういう防空体制を作り上げることが出来ない。
あるいはもっと我々に身近な問題として考えてみれば、戦闘機はそこそこ高性能のものが出来るようになってはいるが、これ運用するとなると滑走路はろくに舗装もされていない。整備補給の施設もまともなものがない。部品の交換時期、油脂類の交換時期、こうしたものもろくな指示書もない。うちの部隊では高瀬中尉が整備と一緒になって研究してある程度統一された整備法、整備指示書を作り上げたが。
せっかく雷電などの高性能の局地戦闘機が出来ても着陸が難しいとか文句をつけて投げてしまう。確かにあの機体は着陸速度が高いが、飛行場をうまく作れば多少速度が速いことくらい問題ではない。陸軍の二式単戦もそうだろう。
防空体制というものを一つの製品として見れば戦闘機というのは部品のひとつに過ぎない。勿論それは製品の根幹となる重要部品ではあるが、それだけに拘っていてはまともな製品は完成しない。我々はそれぞれの分野ではそれなりにいいものも作ってはいるのだが、それを統合して運用するという能力ではどうも敵に劣っているように思う。
それは教育の問題なのだろうと思う。個性を圧迫して型に嵌めることを良しとするような教育からはそうした能力を身につけたものは決して生まれては来ない。これも昔、高瀬や武田に言われたことだったな。
戦争が終わってこの国を立て直すときには、まずこの国の教育の方法から考えなければいけないだろう。どうすればこの国の国民に二度とこうした戦争の辛酸をなめさせなくてすむのか、それを考え出せるような指導者を育てるためにな。」
その時戸口で「失礼します。」という大きな声が響いた。声をかけておいた高藤飛曹長たちがやって来たのだった。
「おう、入れ、入れ。」
飛行長は心よく皆を招き入れた。彼等が加わった席はそれまでの重苦しさが消えて歌声や歓声が響く賑やかなものに変わった。陸軍側の下士官も招き入れられて宴は夜がふけるまで続いた。
翌朝○八○○出発予定の陸軍機を見送るために私は早めに起き上がって飛行場に出た。私が指揮所に着いた時には陸軍の四式戦は滑走路に引き出され、すでに発動機を始動していた。指揮所には飛行長や山下隊長、高瀬や高藤飛曹長、島田一飛曹なども集っていた。陸軍の中尉は飛行長となにやら話をしていたが、出発時間が迫ると飛行長に敬礼をして、その場を辞して部下に簡単な指示を与えると私たちのところに歩いてきた。
「今日はご苦労だった。ベテランでも撃墜の困難なB二九を一撃で撃墜したのは見事だ。これは司令と私からだ。」
飛行長は下げてきた一升瓶を差し出した。
「私の手柄ではありません。島田一飛曹の手柄です。お言葉はそのまま島田一飛曹に伝えてやりたいと思います。」
飛行長は黙って頷いた。
「その島田の本領を引き出したのは誰の手柄かな。」
「はっ。」
「貴様が彼の本当の能力を引き出したんじゃないのか。しかし無線に入っていたぞ。『引け。』という島田の声が。前方背面降下攻撃は初めてか。あれは突っ込みの角度と引き起こしの時期を判断するのが難しい。無理をしちゃいかんぞ。」
飛行長はそれだけを言うと振り向いて出口の方に向かって歩き出した。そして出口のところで思い出したように振り向いた。
「陸軍の連中を慰労してやろうかと思ってな。もうすぐに士官連中が士官次室に集まる。貴様もどうだ、顔を出してみないか。」
私は「はい」と返事をして飛行長の背中に向かって敬礼した。食事を戻した後、飛行長からの褒賞の一升瓶一本を下げて下士官宿舎に向かった。戸口から部屋を覗くと酒を飲んでいる者、博打に興じている者、寝台に寝転がっている者、それぞれ様々につかの間の余暇を過ごしていた。島田一飛曹は寝台に寝転がって本を読んでいた。私はそっと部屋に入ると島田一飛曹の寝台へ歩み寄った。
「気をつけぇ。」
高藤飛曹長の号令が響いた。その声で全員が立ち上がって私に向かって敬礼をした。私は答礼をしたが、未だにこの軍隊の儀式が何とも照れくさかった。
「どうか楽にしてくれ。島田一飛曹に飛行長からの届け物をもって来ただけなんだ。」
顔が熱くなるのを感じながら私はなるべく皆の時間を邪魔しないようにと心を砕いた。
「分隊士、B公をやったそうですなあ。分隊士も高瀬中尉のような天才かもしれませんな。」
「俺はただ運がよかっただけで高瀬のような天才とは違う。高瀬や島田一飛曹がいなかったら今ごろは靖国神社で神様やってるよ。」
背中に大きな笑い声を受け止めながら私は一升瓶を島田一飛曹の寝台に置いた。
「司令と飛行長から今日の貴様の活躍に対してくださった。昨日といい、今日といい、貴様には本当に助けられた。俺からも礼を言う。」
「そんな、礼を言うのはこちらの方です。分隊士がおられたからこそ戦果が上がったのです。それを酒までいただいて恐縮しております。」
「じゃあ失礼する。邪魔をした。」
私は出口に向かった。そして戸口のところで、私はさっき飛行長がしたように振り返った。
「士官次室で陸軍さんの歓迎会をやるらしい。皆も顔を出してやったらどうか。向こうにも下士官はいるのだし、かまわないだろう。」
私は一旦部屋に戻り、そこにいた高瀬や他の数人の士官と連れ立って慰労会へと出かけた。会場の士官次室にはもう陸軍の搭乗員と飛行長、山下隊長や各隊の士官が集って酒盛りが始まっていた。
「おう、英雄のお出ましだな、さあ、こっちへ来て飲め、飲め。」
飛行長が手招きで私達を座に呼び込んだ。とりあえず茶碗に注いでもらった酒を一口飲んだところで陸軍の中尉が立ち上がって我々に礼を言った。酒井という士官学校出の若い中尉だった。その中尉は『皇軍精神の神髄を発揮して云々、皇軍の精華を極めた云々』という言葉を好んで使った。それを聞いていた高瀬が顔をしかめて茶碗を煽った。
戦力とは前線に展開する戦力、それを支える資源、生産力、技術力、そしてこれらを戦力として統合し、合理的かつ柔軟に運用しうる国家戦略、確固たる施政方針、したたかな外交手腕、そうした条件が整ってこその精神力なのであろうに、わが国のように資源が乏しく、技術も欧米の追従模倣を抜け出せず、そして貧弱な生産力も敵の爆撃によって破壊し尽くされようとしている今、ただいたずらに精神力だけを鼓舞してみても、それは有効な戦力となり得ないことは明らかだった。
「君たちが乗っている戦闘機に付いている発動機は米国製、ペラはフランス製だよ。機銃も十三ミリは米国製、うちの二十ミリはスイス、陸軍の二十ミリはドイツ製だったかな。とにかく軍用航空機の基幹部品はみんな欧米の技術だよ。」
飛行長がさらりと言ってのけた。
「お言葉ですが四式戦の機体、発動機ともに中島飛行機が開発したものであります。」
陸軍の中尉は心外といった様子で飛行長に反論した。
「確かに作っているところはそうさ。だが元の技術は欧米のものだよ。四式戦のペラは仏蘭西のラチェから製造権を購入したものだろう。もっともうちの紫電のペラも独逸から製造権を買って造っているものだけどな。海軍の象徴と言われる戦艦大和の装甲も英国製だよ。結局敵の技術を使わせてもらって戦争をしているのだから、お互いにあまり大きなことは言えんなあ。」
「しかし、たとえこの身が砕けようと陛下の御盾として国体を護持し、御大心を安んじ奉らなければ申し訳が立ちません。」
飛行長はゆっくりと茶碗を口に運んだ。
「国体も御大心も国家と国土と国民があっての話だ。陛下もそれはよくご存知だと思うよ。この戦争は本当に必要不可欠なものだったのだろうかと最近はそう考えることがあるよ。この戦争が日本にとって是か非か、それは分からんし、政は政府と議会の仕事で、我々は戦えと言われれば、それがどのような戦争であろうと戦わなければならないのだけれど、せめて戦うのなら戦うで別のやり方があったのかもしれない。陸軍と海軍は縄張り意識から争いをしたりしないで、お互いに協力してこの戦争を戦わなければいけなかったのかもしれない。
同じ国の軍隊で同じ発動機を積んだ陸上戦闘機なら、君たちが使っている戦闘機と我々海軍の使っている戦闘機が異なっていること自体不自然なことだ。まして同じ口径の機銃を使っているのに弾丸に互換性がないなど我々は真剣にこの戦争を戦う気がなかったと言われても反論の余地がない。
今回の戦争は、単に双方が保有している戦力を使用した決戦によって雌雄を決するなどという以前の戦争とは違って、資源、生産力、技術力、人的資源、そういったものを総動員して、物を作りながら戦い、戦いながら作り、相手が消耗し尽くして立ち上がれなくなるまで戦い続ける総力戦だ。
本来はすべての規格を統一してできるだけ部品を共通化して、できるだけたくさんの兵器を短期間に作らなければならなかったのに、そんな戦いの最中、陸海軍の兵器の規格がばらばらでお互いに弾薬を融通しあうことも出来ないなど我々にはこの戦争を戦う能力も資格もなかったということかな。
うちの部隊の者にはもう言ったことだが、この戦争は負けだ。最初から勝てる見込みなど万に一つもなかった。それが分かっていながら軍の面子や妄信的な精神論に引きずられ、合理的な戦略、戦術の分析をすることもなく、この戦争を始めてしまった。本来軍の目的は国家と国民の安全を守ることであったのに、我々はそれさえ忘れていた。
ただ最後の最後になってそのことに気がついたのがせめてもの救いかもしれない。戦いはまだしばらくは続くだろう。我々に残された最後の使命は、命に代えてもこの国と国民を後世に残すことだ。そのためには陸軍も海軍もない。出来る限り協力し合って最後の使命を果たそうじゃないか。」
飛行長の言葉に反論するものは誰もいなかった。誰もが押し黙って下を向いていた。
「どうもいかんな。俺がこんなことを言っては軍法会議ものだな。俺も高瀬や武田に影響されたらしい。だが軍内部ばかり見ていて外の世界を見なかったつけが回ってきたようなものだよ。予備士官をスペアだの俄か雇いだのと馬鹿にする風潮があるが、それは大きな間違いだ。軍事的な知識なら海兵出の方が上だろうが、広い意味での学識や一般的な常識的なものの見方では比較にならん。軍人もこれからは普通学を軽んじては勤まらん。馬車馬のように前ばかり見つめておらんで違った視点からものを見ることが必要だとつくづく感じたよ。」
飛行長は手に持った茶碗を口に運ぶとゆっくりと酒を一口飲み込んだ。
「今まで話したような技術という問題もそうなんだが、個々の技術を統合して米国で言うシステムとして運用するという能力、我が国はこれにも遅れを取っている感がある。電探の開発、これにも大きく遅れを取ったが、性能はとにかく今はそれなりに使えるものは出来ている。ところが電探で得られた情報を一ヶ所に集約して分析して防空戦闘機を誘導する、高射火器で迎撃する、そういう防空体制を作り上げることが出来ない。
あるいはもっと我々に身近な問題として考えてみれば、戦闘機はそこそこ高性能のものが出来るようになってはいるが、これ運用するとなると滑走路はろくに舗装もされていない。整備補給の施設もまともなものがない。部品の交換時期、油脂類の交換時期、こうしたものもろくな指示書もない。うちの部隊では高瀬中尉が整備と一緒になって研究してある程度統一された整備法、整備指示書を作り上げたが。
せっかく雷電などの高性能の局地戦闘機が出来ても着陸が難しいとか文句をつけて投げてしまう。確かにあの機体は着陸速度が高いが、飛行場をうまく作れば多少速度が速いことくらい問題ではない。陸軍の二式単戦もそうだろう。
防空体制というものを一つの製品として見れば戦闘機というのは部品のひとつに過ぎない。勿論それは製品の根幹となる重要部品ではあるが、それだけに拘っていてはまともな製品は完成しない。我々はそれぞれの分野ではそれなりにいいものも作ってはいるのだが、それを統合して運用するという能力ではどうも敵に劣っているように思う。
それは教育の問題なのだろうと思う。個性を圧迫して型に嵌めることを良しとするような教育からはそうした能力を身につけたものは決して生まれては来ない。これも昔、高瀬や武田に言われたことだったな。
戦争が終わってこの国を立て直すときには、まずこの国の教育の方法から考えなければいけないだろう。どうすればこの国の国民に二度とこうした戦争の辛酸をなめさせなくてすむのか、それを考え出せるような指導者を育てるためにな。」
その時戸口で「失礼します。」という大きな声が響いた。声をかけておいた高藤飛曹長たちがやって来たのだった。
「おう、入れ、入れ。」
飛行長は心よく皆を招き入れた。彼等が加わった席はそれまでの重苦しさが消えて歌声や歓声が響く賑やかなものに変わった。陸軍側の下士官も招き入れられて宴は夜がふけるまで続いた。
翌朝○八○○出発予定の陸軍機を見送るために私は早めに起き上がって飛行場に出た。私が指揮所に着いた時には陸軍の四式戦は滑走路に引き出され、すでに発動機を始動していた。指揮所には飛行長や山下隊長、高瀬や高藤飛曹長、島田一飛曹なども集っていた。陸軍の中尉は飛行長となにやら話をしていたが、出発時間が迫ると飛行長に敬礼をして、その場を辞して部下に簡単な指示を与えると私たちのところに歩いてきた。